わたしは、城館から町を見下ろすような夜景しか見れない。陽の光は、眩しくて熱くて痛い。わたしには、陽の光は強すぎて外には殆ど出られない。出られたとしても日傘は勿論、服は黒一色。帽子のつばが広いものしか被れない。
『仕方ない。』分かってる。分かってる。生まれつきの疾患。私の枷。たまに呪ってしまう。
それでも、良いことにしてる。其れがわたしだから。
他者と比較は、確かに良くない。己の欠点を他者と比較し、己を追い詰めるのは、確かに良くない。
でも、他者と己を比較し、他者から学び、己をより良くすることは決して悪いことでは無いと思う。
わたしは確かに他者とは違い、陽の光をまともに浴びることも…昼の景色も見ることも出来ない。
だからこそ、周囲の音や声に耳を澄ませられる。だからこそ、匂いに敏感で季節の訪れも感じられる。だからこそ、視覚だけでは捉えられない些細な変化を感動に変えられる。
其の事を教えてくれたのは、紛れもなく他者である貴方たちなのだ。
運命の人は、複数人いると思う。初めての運命の人は、自分を出産してくれた人。人によって、育った境遇も運命の人の数に数え方も異なるだろう。
私の故郷では、生き方を選べない。私は、親に逆らうことなく生きて来た。親の決めた人と十四、五歳に結婚して子を成し、育て…天寿を全うする。親の云うことを聞き、結婚後は夫に付き従う。其れが女の私の役目。
私は、優秀だった。幼い頃から、基本的に何でも努力した。生き残りたかったから。此処は、優秀で従順であれば生き残れる。より優秀で従順であれば、より力を有する家に嫁げる。力を有する家は、此処より豊かで穏やかな暮らしが出来る。だから、当時の私は他人を蹴落とすことも裏切ることも躊躇しなかった。酷く冷酷で自己中心的だった。
もうひとりの運命の人は、嫁いだ人だった。私が嫁いだ人は、親の云うことだけを聞き、従い続けた私とは違った。一族内での、地位を自らの力で築き上げて、盤石なものにした人だった。普段は芯が強く飄々としていて、時には情深く、甘えん坊な人だった。
楽な生き方を常に選んできた私には、あまりに不釣り合いな人だった。
でも、それでも…彼を愛してしまった。愛されたいと望んでしまった。私には、彼を望んで良いほど価値が無いと分かっていたのに。
彼は、そんな私を愛してくれた。『此の世に無価値な人は居ないよ。それにどんな生き方をしたか。じゃなくて、これからどんな生き方をするかが大切だよ。』と教え、支えてくれた。
ふたりの運命の人へ、本当にありがとう。
『入道雲』そう聞くと身構える。記憶の波に呑まれぬように、必死に記憶を頭の隅に追いやる。呑まれてしまったら、終わりだ。あの時のように、なってしまう。
抑える方法のうちの一つに、自傷行為がある。恐らく、これが一番手っ取り早く効果的、でも…しない。もうしないと決めた。
わたしにとって、自傷行為は、トラウマから目を逸らす手段に過ぎない。わたしは、目を逸らさず…向き合う。自分と向き合う。少しで良い。少しずつで良い。怖く、恐ろしくて良い。時には、目を逸らすことも大切だと知っている。でも、今は向き合いたい。あの時の自分と…。
困難は、乗り越えるだけが解決の方法じゃない。無理に乗り越える必要は、決して無いのだ。手段は、ひとつじゃない。自分に合う方法で、解決すれば良い。その方法が、見つかるまで迷い…戸惑い、苦しみ…藻掻けば良い。
生きてさえ…居れば、いつか必ずどうにか成る。今を生きるわたしなら、必ず出来る。やり遂げる。受け入れられる。自分に合う方法を見つけられる。
そして、今を生きるわたしなら…きっと…きっと…未来を明るく出来る。
虫の音が響く。強く照り付ける陽の光が、肌をジリジリと焼く。陽炎が見えるほど暑い日だった。
こんな日は、今迄になかった訳では無い。こんな時に外には出ない性分だったが、用が有ったのだ。なんの用かは、忘れてしまった。
でも、其の帰りの事だった。白き人を見た。其れはそれは、幽霊見たく肌が白く、髪も白い。目を閉じているのに、器用に煙管に火を付けて吸っていたのが印象的な麗人だった。
「どないした、おまえさん。そないなとこに突っ立って、ワレになんか用かいな。」と、澄んだ優しい声で話掛けられた。
私は、まさか気付いているとは思わず、しどろもどろした。そんな私に気付いたのか、鈴が転がるみたいに高笑いをして…煙管に口付けた。
その仕草が、妙に妖艶で…その瞬間だけ鮮明に覚えていた。
子どもだった私は、「幽霊どすか。」とおずおずと聞いた。
「おまえさんは、幽霊怖いか。」と白き麗人が聞いた。
「怖おす。」と私が応えると。
「そうか…。気ぃつけてな。」と、少し悲しげに微笑み手を振った。
私は、幼いながらに申し訳なくて「やっぱし怖ない。ほな、また。」と言いなんだか照れくさくて、目を逸らして走った。
白き麗人の顔は見れなかったが、嬉しそうな声で「おおきに。」と聞こえた。
辺り一面を流れる淡い緋色の水。空は、明るく白い雲に覆われて顔を出さない。人は全くといっていいほど居らず、なんとも孤独で、夢見心地だった。
首から足にかけて濃紺の包帯が巻かれ、その上からクレ染めの装束を着て、手には刀を持っていた。よく見ると何時もより手や足がひと回り小さい。頭巾を被って居らず、何だか落ち着かないが懐かしくもある。子どもの頃に戻ったみたいで、心地良くて鼻唄を唄ってしまいそうだ。
遠くから声が聞こえて、目を凝らす。
今は亡き最愛の人と同じ声だった。
声が小さくて聞こえず、近寄ろうとした時だった。「まだ、此方には来るな。」と、明瞭な声が聴こえた。
次の瞬間、目が覚めた。