七夕
「ニャーン」
「おっクロ!元気だったかあ」
近所に、たまに出会う黒猫がいる。
名前はクロ(安直)。
黒猫は嫌がる人もいるが、俺は好き。
あの黒い毛並みを撫でまくって、
艶々のキューティクルクル(?)に
してやるのだ。
クロは人懐こくて、
かなりクルクルに近づいてきた。
そんな楽しい日々。
だったのに。
…最近見かけない。
ゴールデンウィーク頃から。
テリトリーを変えたのか、
はたまた追い出されたのか。
もしかして暑いし、衰弱して…。
いやいや!クロに限ってそんなことは!
そんなことは…。
スーパーや駅などで、
笹と短冊のコーナーが
設けられる時期になっても、
クロに会えない。
おっさんは悲しい。クロに会いたい。
そんな気分を誤魔化すために、
今日もコンビニで酎ハイを、
プシュッと開けて、呑みながらの帰り道。
「クロ!」
なんとクロが道の真ん中でお座りして
俺を待っている。せっかくの酎ハイが
ごろごろとアスファルトに転がる。
「良かった。良かったなあ、クロ」
しかしクロはつれなく道の傍らの
古びた物置小屋に入ってゆく。そして。
子猫を1匹ずつ咥えてきて
俺に見せてくれた。全部で4匹。
柄は様々。黒猫もいる。
「…」俺は言葉にならない感動で
いっぱいだった。
そして以前から調べていた保護猫団体に
その場で電話を入れたのだった。
もちろん、俺が引き取るつもりで。
これが七夕の神様(?)の
引き合わせってやつかあ。
俺は電話の後、パンパンと天の川に向かって
柏手(かしわで)を打つのだった。
合ってるのかどうかは知らない。
赤い糸
連想したのは、千人針。
一枚の布に、千人の女性が赤糸で一針ずつ縫い、千個の縫い玉を作った布。出征兵士の武運長久を祈って贈った。日清・日露戦争のころ始まり、日中戦争以後盛んになった。千人結び。
以上解説。
映画などでは、
道端に女性が布を持って立ち、
「千人針お願いします」と声をかけ、
通りすがりの女性が縫って、
「ありがとうございました」と
布を持った女性が頭を下げる…
なんてシーンを見たことがある。
最近、「ラーゲリより愛を込めて」という
日本映画を見た。
(人によってはネタバレとなるかも。
注意してね)
先の大戦の映画で、
千人針のシーンは無い。シベリア抑留の話。
主題歌を、好きなバンドの一つである、
Mrs. GREEN APPLEが務めているので、
興味が湧いた。
結論 なかなか良い。
後半、犬が疾走するシーンは
涙が溢れてきた。
主演の二宮和也。全体的に良かったが、
声が出にくくなるシーンは
説得力があった。撮影順は
バラバラのはずなのに、段々と声が…と
なっていっていて、役者根性という感じ。
中島健人演じるとある役は、良い意味で
中島健人と気付かないくらい新鮮だった。
特筆すべきは安田顕だ。
一切の希望を無くした人間とは
こういうものか、と言葉が出ない。
その人間が…と見てのお楽しみ。
やはり戦争ものなので、目を覆いたくなる
シーンはあるものの、感動のシーンも多い。
見て損はないかと。
君と最後に会った日
いつも通り遊んで
餌を替えて
水を綺麗にして
青菜を入れて
あの時 私は 自分の受験に精一杯
私を見上げる 君の瞳の色に
気付くことなんてなかったね
「私が合格して 家を出たら 母に
君の世話を頼まないといけない…
頭を下げるなんて やだな」
こう 思っていた
そんな私の思いを見透かしたように
君は
君は
寒い朝を選んで 鳥籠の下に横たわった
落鳥 らくちょう というやつだ
鳥は 野生の頃の本能が残っているのか
一般的に 体調が悪いのを隠すという
野生下では 体調が悪いのが
周りに伝わると 天敵にやられたり
感染症を疑われて
仲間と距離を置かれるからだ という
君と最後に会った時
もっと大好きだと伝えれば 良かった
もっと気にかけて
もっと愛おしめば 良かった
後悔が頬を伝う
余談だが 君はよく私の夢に出てくるよね
都市伝説だかなんだかで
あの世の人が この世の人の夢に
出てくるには
だいぶと徳やら金やら?を
積まないといけない
という説があるらしい
虹の橋の向こうで
いつも私に課金?してくれてるのかな…
ありがとうね
子供の頃は
「わしらが子供ん頃は〜」
なんて話、私は聞きたがる子供だった。
川で水遊び、サワガニは食べられるけれど
お腹もしっかり焼くこと、
山の清水は、
夏は寄生虫がいるかもしれないから
注意すること…
お陰で、
縄文時代大好きな子供に仕上がった。
今の子供たちに、
「おばちゃんの子供の頃はね」と、
どきどきわくわくの冒険話なんて、
できるだろうか?
ちょっと自信ないな。
あなたがいたから
あなたがいたから…
校庭の隅の大木を見上げた。
楠(くすのき)。
居場所のない「そこ」から逃れる時、
大抵はここに来た。
春には白い花で出迎えてくれ、
秋には実をつけ、
ツンとした匂いで私を包む。
木の真裏に隠れ、体育座り、
膝に顔を伏せた。
自分と対話した。
寂しいね。
ー寂しいよね。
悔しい。
ー悔しいよね。
自信なんて無いよ。
ー大丈夫、私もだよ。
いつしか、
楠と対話してるような気がしていた。
友達だった。
卒業し、同じ校区の学校に進み、
久々に母校を通りかかった時。
楠に張り紙が貼られていた。
どきり、と嫌な予感がした。
「長い年月をかけて生長した樹木が大木化・老木化した結果…」
要は、切る、ということだ。
わたしには、反対運動も、署名も、
やる気力も体力もない。
ただ、幹に手を置いて、感謝を伝えた。
それしかできなかった。
それ以来、母校には行ってない。
多分楠は切られたんだろう。
見に行けない。
ただ、心の中に、楠はいる。
いつまでもいる。
誰
も
み
な
心
に
ひ
と
つ
夏
木
植
う
季語 夏木 なつき 夏の季語