今日も外は寒い。
視線をふとベランダに向けると、日差しを浴びた洗濯物が風になびいている。
その様子を室内から温かいお茶を手に望む時間は少し気分がいい。
同じ時であっても、存在する場所が、その向きが、人が、ほんの1センチ違うだけでがらりと変わる。
限りなく広く深く目に見えないものだらけのこの世界。
人生の半分程度を終えた今でも、その何億分の一だって経験していることはない。
ただ、その世界の中で針の先よりも小さな小さなこの場所で、ほんの少し気分の良くなる世界。
これは私だけの世界。
この世界は。
【どうして】
①どんなふうにして。いかにして。
②なぜ。
③それどころか。
④感心して言う語。いやはや。
⑤(多く重ねて用い、相手の言葉を強く否定する)とうてい。もってのほか。
広辞苑 第七版より
とある連休最終日の昼下がり。
―さて、これをどうしてやったものか―
脱水までされたそれは元気を失っているため、日干しされた。
・・・・・・・
風呂上がりでまだ濡れた髪をタオルで拭きながら、昨日入れた煎茶を冷やしているボトルを冷蔵庫から取り出す。
コップに注いだお茶を飲みながら8畳ワンルームの部屋に戻ると、消さずに風呂に入ったテレビが部屋の中に笑い声を伝えている。
そのテレビに向かい、ベッドの側面にもたれかかって風呂上がりの一息をつく。
そんな自分だけの夜の時間は、時に物足りなさを感じたりもすることがあったり、なかったり。
そして今日もいつものスタイルに入るべく部屋の入りかけたところで、髪を拭く手は止まり、顔を引きつらせる。
定位置にあるクッションの上に我がもの顔で(どちらが前かもわからないが)鎮座している毛玉。
わずかながらも規則的に膨張したり縮んだりしているところをみると呼吸をしているようだ。
行儀が悪いと言われようが誰も見ていない。その毛玉を右足で軽く蹴ってクッションから避けた。
・・・・・・・
どうして毛玉との生活をしているかというと、さかのぼること3日前。
翌日から休みで祝日を含めて3連休。良くも悪くも何の予定もない。
何の予定がなくても休みの前日は嬉しいもので、ご飯を作る気にもなれず出来合いのご飯とお菓子、休日用のちょっと良いパンを買ってアパートに戻る途中、
小さな黒い毛玉を見つけた。
(猫?・・・にしては丸すぎるし・・・)
頭の中には西部劇で地面を転がるダンブルウィードや北海道のまりもが思い出された。これで黒ければまっくろくろすけのおっきいやつ。
質感的に軽そうだから絵にかいたような・・・毛玉。
ゴミかと思ってそのまま通り過ぎると、信号待ちの時に足元に転がってきた。
(え?風吹いてたっけ?)
足元を見るとさっきの毛玉は自分の足元にある。
信号待ちの間、少しその毛玉と距離を取った。
アパートの下についたとき、嫌な予感がして振り返ると毛玉がいる。
軽い恐怖。救いはまだ周囲が明るいこと。これが夜だったらマジで怖い。
明らかに毛玉に話しかけるのも気がひける。さっさと部屋に入ってしまおうと階段をあがって振り返ると階段の下で止まる毛玉。
(こころなしか、さみしそうにしている気がしなくもないが・・・)
そのまま毛玉はおいておき、早々に部屋に戻って買ったものを片付け、早めの食事の準備を・・・といっても温めるだけなのでさっさとお風呂のお湯をためた。
一息つくと、さっきの毛玉が何だったのかまた気になった。
外はほとんど暗くなり始めていて、干していた洗濯物を取り込んだときに下をのぞいたが毛玉はいない。
(いないとは思うけど・・・)
部屋を出て階段のところに行くと、
―いた・・・―
ただの毛玉でしかなく、目も見えないのにこちらを見上げているような気がしてしまう。
そっと階段を下りて隣に立つと、逃げるどころかどうして毛玉は目の前で小さくくるくると転がり始めた。
―なんのアピール・・・―
得体も知れないのにちょっとかわいいと思ってしまう自分がいる。
(このアパートペットは禁止なんだよなぁ・・・これ毛玉だけど)
かがんで「うち、くるか?」と小さくこぼすと毛玉は足元まで転がってきた。
そのまま抱え上げると重さはほとんどない。
言っては悪いがでかいほこりのようだった。
毛玉を抱えて玄関に入ると、ちょうど風呂から入浴準備ができたという案内が流れた。
潔癖というわけではないが、外から持ち帰ったものをそのまま部屋に入れるつもりはない。
(そのまま風呂につれて入るか)
ネコは水が苦手と聞いたことがあるが、果たして毛玉はどうなのだろう。
表情がわかるわけでもなければ、風呂を見て逃げるようなそぶりもない。
とりあえず、適温のシャワーを上からかけてみた。
―マジか・・・―
温かいお湯を浴びた毛玉は・・・重みに・・・つぶれた。
それはもうぺっちゃんこである。
(まんま毛玉じゃねぇか)
と、つまみあげると、その身をよじって水分をしぼりおとし、もとの毛玉に戻った。
なかなか器用なものだ。
自分が先に洗って見せ、泡立てた泡をつけてやると伸縮を繰り返して自ら泡球になった。
シャワーを上からかけてやると、つぶれたものの要領を得たのか自分で自分を絞って毛玉に戻った。
こころなしか、どや顔をしている気がするが顔はない。
風呂に入れておぼれてもかなわないため、洗面器に湯を取り分けてやると自ら入っていた。
満足そうにしている気がするのはこっちの勝手な想像なのか、それを見た後はしばらく自分の時間となった。
「あがるぞ」
声をかけると、洗面器からのっそりでてきて、べショッとつぶれた。
持ち上げると、熱い毛玉になっていた。
(毛玉の癖にのぼせるのか・・・)
乾いたタオルで水分を取り、ドライヤーで冷風を当ててやると転がりだした。
果たして毛玉に水分は必要なのか。
生き物であると仮定すれば、水分がいらない生き物はいない。
コップにお茶を注ぐついでに、さらに水を注いでやると、目もないのにコップと見比べるような動作をしている。
試しにコップを渡すと、コップを覆ったと思ったら冷えたお茶はなくなっていた。
(飲むのか・・・)
こうなると、飯も食べるんだろうなとあたりをつけて、買ってきた多めの総菜は2つの皿にわけた。
テレビの前で皿から不自然に消える総菜を見ながらも、毛玉が満足そうにしているのを見ていると、
どうしてこいつは憎めない。と、軽く笑っている自分がいた。
鳴き声があるわけでもなく、持ち上げてみても毛玉。
どこから見ても毛玉なこいつとの不思議な生活が始まった連休前。
・・・・・・・・・・
そして、今日、間違って洗濯機に放り込まれた毛玉は日干しされる運命となった。
目覚めた毛玉はしばらく洗濯機には近寄らなかった。
どうして洗濯機などと、洗濯機の前に立つときには裏目がましく見られているような気がしてならない。
こうして毛玉との生活は続いていく。
時計の針で計ることが出来ないほんの一瞬でも、永遠に戻ることはできない。
分かっているからこそ、決断までに時間がかかる者。
分かっているからこそ、迷わない者。
そんなことなど考えることもなく進む者。
どれも間違いではないといわれるけれど、きっとどれも正解でもない。
誰にとって何が正解か、それは時に自分でも分からない。
一度しかない人生を意識することは難しい。
誰かのためになるならば
―この身がどうなろうとも、未来のある誰かのためになるならば―
そう言って、剣の光に包まれる勇者の姿や、魔法陣に包まれる魔法使いの姿。
一生懸命見ていたアニメの中にある「絶対的役割」のある世界。
主人公の生き生きとした表情や、困難に打ち勝った後に訪れる幸せな世界。
幼少期から大好きだったそれは、大人になった今も変わることはなかった。
その世界を楽しめる自分は、アニメの世界にあるような「絶対的役割」のある主人公とは全く異なる人生を歩んでいる。
この世には残念ながら戦争が存在するものの、魔法も魔族もない。
しかし、誰かのための勇者や魔法使いは存在している。
誰かは時に誰かの勇者や魔法使いになる時がある。
私にとっての勇者や魔法使いはもう現れているのだろうか。
もしもタイムマシンがあったなら
「後悔先に立たず」
最もわかりやすいことわざであると同時に、何をするときもこのことわざを理由に自分を納得させる。
それを予防線と言えばその通りでもある。
失敗したとき、結果が自分の理想と違ったとき、過去をやり直したいと思うことは多々ある。
本当にそれがやり直せてしまうとしたら、やり直すだろうか。
本当は簡単にそうしてしまいたいと思う。自分に関わる全てのことを気にしなければ。
「やり直しが可能である」
それはとても魅力的であると同時に、とても怖いことだと思う。
どれだけ自分だけのことだと思っていても、自分の行動は、きっとどこかで誰かのなにかに影響する。
過去を振り返ることは同時に、その先の未来を変えようという意志でもある。
自分の経験を活かすこと、だからこそ大変なこともあるし、時にそれは辛い。
振り返ってもすぐには変われないことも多いことは事実。時に数年だってかかる。
自分で自分のことに気づくことは簡単なようで難しい。
自分で考える限り、自分で簡単なことを難しくできるからだ。
とはいっても、人生の多くをかけても変わらないものがあるとすれば、それはもう自分の本質だと認めるしかないかもしれないが。
こうして、生きている限り常に何かは表裏一体で、この世の中で本当に一人だけでできていることはとても少ないのかもしれない。
そう考えると、タイムマシーンで過去に戻ることに恐怖を感じないだろうか。
好奇心でタイムマシーンを使ったとして、過去の自分に手を出さずにいられるだろうか。
過去の自分に手を出さなかったとして、その時の自分の気持ちに耐えられるだろうか。
何に代えても、絶対に失くしたくない何かがあるとき、そこからの自分の人生がどうなろうと覚悟し、その覚悟を持ち続けられるだろうか。
葛藤がその歩みを止めるとしても、葛藤できるからこそどこかで何かは進んでいる。
戻れない事実があるからこそ、人生とは一度しかないものなのだろうか。
怖がりだから、そう、思ってしまうのだろうか。
きっと、私だから、そうなのだろう。