そっと伝えたい
お菓子作りなんて滅多にしないものだから、随分と時間がかかってしまった。
溢したり落としたり焦がしたりと波乱万丈の末、目の前には想定より幾分か控えめな量の焼き菓子がある。
まあ、あの子は顔が広いから、沢山の人から貰うだろう。
多すぎても食べきれなくて困らせてしまうかもしれないし、結果オーライだ。うん。
ありふれた包装に、何の変哲もないメッセージカード。
そこに純然たる愛の告白なんて記すことができたなら、どんなに良かっただろうか。
それで形容できるほど、この感情は美しいものでもなければ、単純明快とも程遠いものだ。
あの子がいないと生きていけないことだけが確かで、
それと同時に、あの子の枷になることだけは嫌だという思いが確かに存在している。
散々思考を巡らせた後、大きく溜息を吐き、友人としての感謝を簡潔に書き綴る。
悩んでいたせいですっかり遅い時間になってしまった。
明日に限って寝坊する訳にはいかないのだから、もう寝なければ。
綺麗な上澄みだけ掬い上げて、そっと渡すから。
その下に暗く澱んでいるもののことなんて、知らなくていいよ。
星に願って
夜の色に散りばめられた煌めきの中で、ゆっくりと流れる光に目が留まる。
確か「光害」と呼ぶんだったか、と記憶の糸を辿る。
人間の都合で打ち上げられて、休まず私たちを見張らせておいて、言うに事欠いて害だなんて。
単なる金属の塊だったとしても、眼前で輝くそれは星と同じように美しい。
否、本物の星だって、物質として捉えれば不可侵でも神聖でもないだろう。
だからきっと、これも流れ星だ。
寧ろこちらの方が、燃え尽きてしまうこともなく私を見守ってくれる.
人々が行き交う街の中、誰も気に留めることのないのんびり屋の流れ星に、そっと願い事をした.
夢と現実
無機質な電子音によって、意識は現実へと引き上げられる。
どうやら夢を見ていたようだ。
──どんな夢を?
数秒前まで確かに像を結んでいた筈の景色は、思考を巡らせたそばからはらはらと崩れていく。
確かなことは、ただ漠然と「夢でよかった」と安堵している自分がいるということだけだ。
眠っている間に見る夢は、心が映し出す現実へのメッセージなのだという。
病気によって見やすい夢があるだとか、夢がきっかけで症状が出る以前に病気が見つかったとかいう話を耳にしたこともある。
記憶の彼方に追いやられてしまった夢もまた、自分に重大な何かを知らせようとしていたのかもしれない。
そう思い至ると、もう少ししぶとく記憶に残っていて欲しいものだ、とつい理不尽な文句をつけたくなってしまう。
さよならは言わないで
あの人と過ごした時間は、私の人生において序章の一節に過ぎないだろう。
好きとも嫌いともつかない。
ただ、離れることなど到底考えられなかった。
あの頃の私にとって、確かに世界そのものだったのだ。
あの人にとってはどうだっただろうか。
さよならの代わりに告げられた、たった3文字の言葉が、かつての世界を辛うじて繋ぎとめてしまっている。
今でも心の片隅で再びの邂逅を待ちわびている。
あの人にとってはどうだろうか。
幼い時分の人間関係なんて、ましてや掛けた言葉なんて、きっとすっかり忘れて今を生きているだろう。
だとしたらまるで呪いだ、と静かに溜息を零した。