勘のいい奴っていうのは偶にいる。
こちらの心を予め読んでいたかのように振る舞ったり、起こる出来事を事前に知っていたかのように対処する。
まさにそんな超能力みたいな力を発揮する奴が、俺がいま教育係を受け持っている職場の新人くんだった。新人くんはこちらが指導する余地もなく仕事の仕方も完璧で、俺は自分の存在意義を一瞬見失いそうになりかけた。そんな精神状態のせいもあってか、俺はつい新人くんに「君、いったい何者?」と、そんな冗談のような質問を本気でしてしまう。
「あ、実は自分、未来から来ました」
しかし返ってきた新人くんの答えは、俺の質問なんか霞むほどに突飛なものだった。
「・・・・・・え、マジで?」
「はい、マジです」
目一杯に両瞳を丸くさせた俺に、「未来って言ってもほんの五十年後くらいからですけどね」と、新人くんは呑気に笑う。
「え、でも、何で君この会社で働いてんの?」
率直な疑問だった。
「実は僕、本当は今からその五十年くらい後にこの会社に入社したんですけど、やっと仕事にも慣れてきた頃、大きなミスをやらかしちゃいまして・・・・・・」
この会社の社員でやらかしたミスと聞いて、俺はまさかと考える。
「まだ試作段階だったタイムマシーン、間違って動かしちゃったんですよね」
それを聞いた瞬間、俺の中であることが閃いた。それは、会社の命運を左右するほどの閃きだった。
「いやー、未来に帰るのが怖くて。だったら運良く同じ会社に入れたし、このまま働いちゃおうかなって」
彼はその事実に気付いていないようだが、俺はこの会社に自分の人生を捧げることをひそかに決意する。
彼がいればいま我が社が壁にぶち当たっているタイムマシーン事業の道が開ける。なんせ彼は我が社のタイムマシーンで過去に来た実績を持ち、きっと時間を渡ることに成功した実物までもを、所持しているのだろうから。
【未来】
1年後にまた会いに来る。
そう言って友人と固い握手を交わした俺は、放浪の旅に出た。着のみ着のままあちこちの諸国を巡り、同じ場所にいたら味わえないような未知なる体験をして、ひと回りもふた回りも大きくなって帰ってこようと意気込んでいた。
けれど、やる事なす事どうにも味気ない。毎日が無味乾燥していて、1日が過ぎるのはこんなにも長かったかと、あまりにも遅い時間の流れがいつしか億劫になった。
そうして気付いたら、俺は元いた場所に戻ってきていた。別れを告げたはずの友人が、帰って来た俺にすぐに気付いて、「おい、こら、どうしたんだ。約束の1年はまだ先だろう」と、不思議がりながら問い掛けてくる。どうやら1年どころか、俺が旅に出てまだ半年くらいの月日しか経っていなかったらしい。俺はその事実を知ったのと、友人の声を聞いたのとで、まるで夢から覚めたように我に返る。
「あれ? もう1年くらい経ったと思ってた。お前がいないと毎日が退屈でさ、時間が経つのも長く感じたからそのせいかも」と、ようやく俺は味気なかった日々の理由を理解した。
俺の様子から何かを察したらしい友人は、呆れたように「バーカ。なら旅に出るなんて言って、俺を置いていくなよ」と、叱りながらもどこか楽しげに苦笑していて、あ、そうか、俺が今よりも大きくなりたいと望んだのは、この友人の懐の深さに憧れていたからだったんだと悟る。
「・・・・・・だって、俺、お前みたいになりたかったんだよ」と、意図せず本音をポロリと漏らせば、「俺だって、お前みたいになってみたかったよ」と、友人が返してくる。
その後に友人と共に過ごした半年は、本当にあっという間に時間が過ぎた。
俺はふとあの日を振り返る。
1年前の俺と今の俺とは、はっきり言って然程変わっていないだろう。けれど、1年前のあの旅が、きっと俺にかけがえのない大切なことを教えてくれたのだと、それだけは胸を張って確信できた。
【1年前】
あるところに小さな町がありました。その町はまだ人口が少なく、町で利用できる施設も少ない状況でした。もっとみんなが楽しく過ごせるようにするにはどうすればいいだろうかと、若き町長は悩みます。
ある日、町長は考えました。自分は読書をすることが好きだ。町民の中にも確か読書をするのが好きだった者がいたはずだから、みんなで好きな本を持ち寄ってみたらどうだろう。
そうして町中の本好きが集まり、自分の好きな本を互いに紹介しあいます。
するとどうでしょう。今まで読書は一人で楽しむものと思っていた町民達は、自分の知らない面白そうな本がまだまだたくさんあることを知り、互いの好きな本を互いに貸し借りしあうようになったのです。
この日以来、町には読書を趣味にする人が増えました。この町のシンボルともいえる大きくて立派な図書館は、その日の出来事をきっかけにして造られたのだと、後に年老いた元町長は誇らしげに語りました。
【好きな本】
天気予報によると、今日は雨が降るらしい。目覚めてから窓を開けてみると、そんな予報が嘘かのように陽射しが照っている。
もしかしたら、これから天気が崩れるのかもしれない。けれど、そうじゃないかもしれない。
さて、どうしよう。今日は傘を持っていくべきか否かと悩むが、ここは無難に折りたたみ傘を鞄に入れておくことにした。
本日は二人の友人と待ち合わせをしていた。集合場所に着いてみると、見知った姿が二つ、すでに並び立っては何やら会話に耽っているようだ。駆け足で近付き待たせたことを謝るも、二人は気にしていないというように首を振った。
では行こうかというところで、ふと二人の友人の対照的な姿が目に付く。一人は財布とスマホくらいしか入らないだろう小さなウエストポーチのみを引っ提げ、もう一人は中くらいのリュックを背負いつつ、片手には大きめの雨傘を携えていた。こちらの視線に気付いたのかウエストポーチのみの友人が、傘を持った友人のことを指差す。
「あっ、お前も思った? いくら今日は雨が降るって言っても、今はこんなに晴れてるんだから、大きな傘なんて荷物になるって、さっき言ってたところなんだ」
確かに雨が降っていない時に、長さも大きさも嵩張る傘を手に持つというのは、自分だったら面倒に感じるような気がする。
そんなこちらの懸念をよそに、傘を持つ本人は「いいの、いいの、これは俺が好きでしていることだから」と、何ともあっけらかんとしていた。
本人が良しとするなら、こちらがこれ以上言うことはない。では行こうかと互いに頷き合い出発した。
今日は電車やバスを乗り継いで、いくつかの場所を訪れる予定でいた。ルートは順調に進み、そろそろ昼食にしようかと思う頃、晴れていたはずの空に、どんよりとした灰色の雲が立ち込め始める。案の定、昼食を終えた後には大粒の雨が降り始めていた。
「ちょっとコンビニで傘買ってくるわ」
雨天の空を見上げたウエストポーチの友人が、昼食を終えた店の軒先で近くのコンビニまで走り出そうとする。やはり彼は傘自体を所持していなかったらしい。
「わざわざ行かなくていいよ。俺、傘、持ってるから」
「いやいや、いいって。入れてもらうのも悪いしさ。だいいち男二人で相合い傘したとこで楽しくもねぇし。せっかくお前がここまで苦労して持参した傘なんだから、半分ずつ使ってお前が濡れたら元もこもねぇだろ」
申し出を断った彼の眼前に、大きな傘がそのまま差し出される。
「これ、お前が使えよ」
「へっ?」
傘を差し出した友人は、柔和な笑みでそう告げる。
「それじゃあ、お前はどうするんだよ」
「大丈夫。もうひとつ持ってるから」
背負っていたリュックを下ろし、友人は中から折りたたみ傘を取り出すと、「だから遠慮なく使ってくれ」と、大きな傘をもう一人の友人の手へ強引に握らした。
「何で二つも持ってるの?」
折りたたみ傘があるなら、雨傘をわざわざ手に持つ必要もなかっただろう。そんな意味も込めて浮かんだ疑問を口にすると、リュックを背負い直した友人は少し考えるようにして空を見上げた。
「俺さ、こういうあいまいな空模様の日に出掛ける時は、傘を二つ用意するようにしてんの」
上向いていた視線をこちらへ戻し、友人は何の気なしに言い放つ。
「そうすれば雨が降った時、困っている誰かに貸してあげられるだろ」
そのためなら、俺の荷物がひとつ増えるくらい、どうってことないよ。
闊達な笑顔を浮かべながら、清々しいまでの友人の宣言は、今日のあいまいな空が霞むほどに晴れやかだった。
【あいまいな空】
雨の日が似合う花なんて、私くらいのものでしょう
俯いてしまいそうになるほどの、どんよりとした厚い雲の日にだって
私は私らしく咲き誇ってみせる
【あじさい】