生きているうちにやりたいことを思い付くだけ挙げてみようと、まっさらなノートを机に広げて考えてみる。
考えに考えて、五つくらいなら何とか挙げることができたが、それ以上となるとどうにも思い付かない。こんなに私の想像力は貧相だったか、はたまた好奇心とやらが薄いのか。
「なぁにやってんの?」
後ろから突然声を掛けられる。考えることに集中していたせいで、部屋に誰かが入って来たのにも気付けなかった。
「生きているうちにやりたいことリスト? ・・・・・・え、なに、これ?」
「ちょっと、勝手に見ないでよ!」
慌てた私はリストを覆い隠すように体を丸める。
「何でそんなもの書いてるの?」
「別にいいでしょ。単なる気まぐれよ」
「・・・・・・ふーん」
さっさと出て行ってほしい。私がそう思っていると、「生きているうちにしたい割りには、少なくない?」と、まさに悩んでいたことを指摘される。
「まだ書いてる途中だから」
「いや、さっき明らかに手、止まってたじゃん」
くっ、こいつはどこまでこちらの図星をついてくるのか。
「あっ、そうだ!」
私が悔しさに歯嚙みしている間に、持っていたペンを相手に取られた。こちらがすかさず抗議しようとしたところで、「これも付け加えといて」と、勝手に割り込みノートにサラサラと文字を綴っていく。
私はそれを読むと、一瞬だけ思考が停止する。
「何これ。全部あんたと何かをすることばっかじゃん!」
ノートを思わず鷲掴んだ私は文句を告げる。
「誰かと一緒にやったほうが、楽しいじゃん。それに──、そのほうがやりたいこともいっぱい浮かぶでしょ」
そう言われて私は、はたと気付く。
あんなに思い付かなかったやりたいことが、友人や家族の顔と一緒になって、一気に閃いた。
【やりたいこと】
ベッドから起き上がると、窓にかかるカーテンの隙間から細い光の筋が射し込んでいた。
わたしはゆったりと体を起こしてから、今日が久しぶりの休日であったことを思い出す。
わたしは布団から抜け出して、絨毯の上に裸足のまま立ち上がると、窓辺へ近づきカーテンを開けた。薄暗かった室内が眩しい光に照らし出され、心地良い温さが起き抜けの感覚を徐々に醒ましていく。
トン、トン、トン。
部屋の扉をノックする音が聞こえた。
わたしがそちらへ振り返るのと同時に、扉が控えめに開かれる。
「おはようございます。朝ごはん出来ていますけど、どうしますか。せっかくのお休みですし、もう少しあとにします?」
私が起きていたことに、心なしかほっとしたように安堵した彼女へ、「いや、いま行くよ」と返す。その途端にぱっと花やいだように表情を明るくした彼女が「じゃあ、待ってますね」と明らかに声を弾ませたことに、私は顔には出さずに内心で苦笑した。
部屋の扉が静かに閉じられた後、わたしは窓辺から離れ身支度を整え始める。
もう何十年も思ってきたことだが、わたしの朝はいつも、お日様に包まれたような心地から始まる。
【朝日の温もり】
いつも誰かの意見に流され、または誰かの後をついて道を辿っていた。
たぶん、そうするほうが楽だったから。
あとはきっと、怖かったのだと思う。
どちらかの道を選ぶということは、どちらかの道を捨てるということだ。
それが私は怖かった。
選んだ道が正解じゃなかったら、正解だった道を捨てることになったら。
掴めなかったチャンスは、ただ過ぎ去っていくだけだ。二度と同じチャンスは巡ってこない。
そう思うと踏み出す足が震えた。
難なく道を選び取り成功している人を見ると羨ましい。そんな醜い心に嫌気がさすも、それでも必ず人生の岐路というものはやってきてしまうから。
臆病な私はそれでも。
もう誰かに委ねるのだけは、やめようと思う。
たとえ震えながらでも、その一歩を刻もう。
辿り着いた先に待っているものが何かなんて、考えたら途方に暮れそうだから。
今はただ震えるほどに重いこの一歩を、私は私以外のせいにしないで選び取る。いつかの日に振り返ったその足跡を、誇れるようになるために。
【岐路】
遠くの地平線へ沈む太陽を、君と並んで見送る。互いの手と手を繋いだまま、僕らはオレンジ色の夕景の中で、もうすぐ来るはずの闇色の夜を待っていた。
これが最後の夜だ。君とこの世界で過ごす最後の。
そう思ったけれど口には出さなかった。ただ手のひらに触れる温もりだけを感じ、世界の終焉を受け入れる。
「怖くない?」
彼女がそっと囁くように聞いてきた。
「怖くないって言ったら嘘になるけど、それでもどこか安堵している自分もいるんだ」
僕の言葉に彼女が手を繋ぐ力を強くする。
「うん。私も、そう。何でかな?」
その疑問に僕は答えられない。だってこんな状況で安らいでいるなんて、自分でもよくわからないのだから。
「でもね、私、思うの。今までの人生がどうだったとしても、きっと最期に君といられることが答えなんだって思う」
君と見るこの風景が。君と繋ぐこの手が。
終わりさえ良ければ、たとえどんな理不尽だって許せるなって気がするの。
こんな突然に起きた世界の終わりでさえも。
そう言って微笑んだ君はとても美しく、僕の脳裏に焼き付いた。
【世界の終わりに君と】
隣を歩く彼女が俯いて、もうかれこれ三十分くらいは経っただろうか。自転車を引きながら左腕に巻いていた腕時計を覗き込んだ。俺よりも頭一個分低い位置からは、微かに鼻を啜る音がする。
どうやらまだ泣いているらしい。
「たかがキーホルダーひとつなくしたくらいでそんなに落ち込むなよ。また新しいの買えばいいじゃんか」
「たかがじゃない! あれはこの世に100個しか存在しない限定品なの! 簡単に買えなんて言うな!」
そんなに貴重なものなら、鞄なんかにつけて持ち歩かなきゃ良かったのに。──なんてことを言ったらたぶん怒鳴られるので、余計なことは言わないけれど。
「今日は朝から本当に最悪だよ。自転車が壊れて学校は遅刻するし、お気に入りのキーホルダーはなくすし、しかもちょっと気になっていたひとつ上の先輩に彼女がいたことが発覚するしで、もうさんざん!」
彼女の目が涙目から、いささか鋭く吊り上がったところで、俺は隣から目を逸らすように空へと視線を上げた。清々しいほどに晴れた日の放課後に、実は長年片思いをしている幼なじみとこうして帰路についている。
こいつの自転車が壊れたおかげで、家が隣同士の俺は、半ば強制的に自転車の荷台を彼女に空け渡して一緒に登校することになったし、お気に入りのキーホルダーをなくした悲しみを、たぶん一番ぶつけやすいからだとは思うけれど、俺に甘えるように愚痴ってきては、今もまだこうして俺の前に無防備な顔を晒している。しかもいま初めて聞かされたお気に入りの先輩の存在に、こちらが焦りを覚える間もなく振られたらしい。
彼女の最悪な一日が俺にとっては予期せぬラッキーデーだったなんて、そんな最悪なことを口に出して言うつもりはないけれど。
思うくらいは許されるだろう。
なんせこいつに恋してから今日まで、こいつに振り回されっぱなしの俺の最悪な日々は、片手ではもう数え切れないくらい、山ほどあるのだから。
【最悪】