「いいか。よく聞けお前ら!」
メガホンを片手に高台に登ったその男は、高らかに叫ぶ。
「この戦いに勝つための手段なら何でもやれ、何でも利用しろ。仲間の命を守り、敵を倒すためならば、どんな汚いことをしても俺が許す」
軍服を身に纏い、一糸乱れぬ整列を組んだ部下達に向かい、男はさらに声に力を込めた。
「世間が何と言おうが、上のお偉いさんがどう命令してこようが、俺はお前らの命が何より大事だ。規律なんてクソくらえ。戦場に出ないで吠えるだけの犬のことなど気にするな」
男はそこでいったん言葉を切ると、すうっと息を吸い込んだ。
「お前らのすることは、俺が全て肯定してやる。外の人間がたとえそのやり方を間違いだと否定してきても、俺が全て信じてやる。だから──」
──絶対に全員生きて帰ってこい。
男がそう告げた瞬間、あちこちから拳が天高く突き上げられ、力強い咆哮が迸った。
【たとえ間違いだったとしても】
お前らが命を散らすことほど、間違いなことなんてないのだから。
ぽたり。
ぽたり。
ぽたり。
ぽたり。
小さな雫が水面に落ちる。
ぽたり。
ぽたり。
ぽたり。
ぽたり。
私はそのゆっくりと落下していく様をじいっと眺めながら。
いいなぁと、羨ましく思う。
最初は小さな小さな水滴でしかなかったはずの雫が、今は寄り集まって大きな大きな水溜まりを形作っている。
私もこんなふうに。
自分の一部を切り離してでもいいから。
何か大きなものの一部になりたかった。
だってそうであったなら。
こんなに寂しくて虚しい気持ちに捕らわれて。
泣くことなんて、なかったはずだもの。
【雫】
もう何もいらないわ。
そう言った彼女の周りには絢爛豪華な品々の数々が所狭しと並べられていた。
高級な調度品。
きらびやかなドレスにアクセサリー。
美味しいお菓子やジュースに、愛玩用の子犬や子猫まで。
あらゆる物が彼女のために用意された。
あらゆる物が彼女の望みのままにあった。
それなのに。
だって、何を並べてもつまらないんだもの。
何もいらなくなるほど満たされても。
彼女の欲は満足しない。
【何もいらない】
もしも未来を見れるなら。
私はまず未来を見るかどうかの葛藤をするだろう。
もし見ない選択をしたならば、私は何が起こるか分からない未来をただ受け入れて、その時その時を頑張りながら生きていくことになるだろう。
そして仮に見る選択をしたならば、そこには未来を見た私が誕生し、知ってしまった未来が受け入れられなければ、それを変えようと努力するかもしれない。
けれど、その努力が報われるかどうかは不確定で、その先にある未来は再び分からなくなる。
もしかしたら未来を知ったことにより、いらぬトラブルに巻き込まれることもあるかもしれない。
そんなことを考えたら、結局どこから始めても未来は見えないままではないかと思った。
だったらそんなに肩肘を張らなくてもいいような気がしてきて、これからくる未来を少しだけ楽しみにして見ていこうと思った。
【もしも未来を見れるなら】
目を開けるとそこには見慣れた形の街並みが広がっている。ただひとつ違うのは知っているはずの景色から色という色がごっそりとなくなってしまったということだった。
これはどういうことだろう。
僕は目を瞬かせ、夢ではないかと疑ったが、あいにく頬を思いっきり抓ってみても、目の前の様子に変化はない。
「・・・・・・あの、すみません」
僕はこの理解不能な状態に、思わず目の前を通り過ぎようとしていた道行く人を呼び止めた。
「はい?」
その人は僕のほうを振り返って足を止める。色がついていないからよくわからないが、幾分か落ち着いた低い声と高い背丈から考えて、僕より少し年上の男性ではないかと予想する。
「この世界はどうしてしまったんでしょう」
僕のその一言に相手は何かを察したらしく、「ああ、君、生まれたてか」と納得したように頷いていた。
「生まれたて?」
「この世界に生まれたばかりの人にはまだ世界の色が見えないんだ」
「・・・・・・えっ? いやいや、そんな馬鹿な。だって昨日までは普通でしたよ」
「普通って?」
「えっ?」
「君が昨日まで見ていた普通って、本当にそこにあったのかな?」
何を言ってるんだと思いつつも、僕は口を挟めなかった。
「例えば君はどうして僕に話し掛けたんだい? こんなにも通行人がいる都心の街中で」
「それは貴方が一番近くにいて話しかけやすかったからで・・・・・・」
「・・・・・・なら、これならどうだった?」
そう彼が言った途端、真っ白だった彼の姿がみるみる色を取り戻していく。
「・・・・・・あ」
「僕に色がついていたら、君は僕には話し掛けなかったんじゃないかな?」
そうかもしれないと思った。
彼は確かに男性だったけど、肌は僕よりも白く髪はキラキラした金髪で、明らかに日本人の僕とは違う国の出身の人だと分かる。
「確かにもし色があったら、きっと僕は言葉が通じないかもしれないと一瞬でも考えてしまう貴方には話し掛けなかったかもしれません」
「そうか。ならここが、無色の世界で良かったよ」
彼はすうっと片手を僕の前に差し出した。
「危うく君と友達になり損ねるとこだった」
彼が悪戯っぽくウインクする。僕は何だかあはははと、嬉しい笑いが込み上げてきて、気付けば彼の差し出した手をしっかりと握っていた。
「あの、もっと色々僕にこの世界のことを教えて貰えませんか?」
「ああ、もちろんいいさ。喜んで」
彼は僕の肩を軽く叩いた。その瞬間、僕自身もみるみる色を取り戻していく。
どうやら僕は昨日までの僕とは違う、新しい自分に生まれ変わっていたらしい。
これまでつけていた色眼鏡を取っ払い、これから僕はこの新しい世界を、きちんと見てみようと思う。
【無色の世界】