桜のつぼみも膨らみ、あたたかな風が春の香りを運ぶ今日この頃。
ありがとう。
お世話になりました。
頑張れよ。
元気でね。
晴れ渡った青い空の下、卒業生達の新たな旅立ちを祝福する声があちこちで聞こえる。
そんな泣きながらも笑う人達が集う間を縫って、俺は周囲に首を巡らす。目的の人物の姿はまだ見当たらない。
あと探してないところは──と、思い出していけばふとある場所が頭に浮かんだ。
俺は誰かに見付かって咎められる前にと、早々に気配を消して校舎内へと駆け出した。
みんな校庭に出払ってしまっているのか、三年のクラスがある三階の廊下は、しんっとして静まり返っていた。
俺は足音を立てないよう慎重に、けれど少し早足になって、三年の教室を端からひとつずつ中を確かめながら回っていく。
──あ、いた。
とうとう探していた人物の、後ろ姿を発見する。窓辺に肘をついて外を眺めているらしいその人物へ俺がゆっくりと近付いていくと、気配に聡いそいつはすぐにびくっと肩を揺らして後ろを振り返った。
「よっ!」
俺は明るく笑って片手を上げる。
振り返ったそいつは思いっきり眉を顰めた後、ずびっという音が盛大に聞こえるほどに鼻水を啜っていた。
「何しに来たの」
「別にぃ~? 何となく、来たかったから」
「放っといて欲しいんだけど」
そいつは再びくるりと窓辺へ顔を戻す。泣き顔を見られるのが本当に嫌なのか、そのまま窓縁についていた両腕に顔を突っ伏した。
俺は構わずそいつの隣にまで足を進める。
下を見れば晴れ晴れとした表情の生徒達が、互いに最後の別れを惜しみ合ったり、新天地への門出を励まし合ったりと、眩しいくらいの光景が広がっていた。
「・・・・・・ダメだったの?」
俺はぽつりと呟いてみる。明らかな動揺を見せて背中をピクリと動かしたそいつは、突っ伏した姿勢のまま僅かに頷いた。
「そっか。まあ、頑張ったじゃん。ちゃんと告白したんだろ?」
「・・・・・・した。先生にちゃんと自分の気持ち伝えられたし、今までお世話になったことにも・・・・・・、お礼、言えた」
それでも、やっぱり悲しいものは悲しいと、そいつは震えた声で続ける。
俺は肩に掛かっているそいつの長い髪を、ぽんぽんと労るように撫でた。
小さな嗚咽が繰り返される音を聞きながら、俺は教室の窓から覗く澄んだ青空へと視線を上げる。
すぐ隣で降り続ける雨は、まだ当分止みそうになかった。
【ところにより雨】
街の広場はひしめき合う人々の熱気と暗い憎悪に満ちていた。集まった人々の注目の先には、大きな断頭台が不気味な死神のように聳え立っている。そこに屈強な鎧を纏う二人の騎士に挟まれ、両手を後ろで縛られ顔に麻袋を被せられた一人の男が連れて来られた。
男は言葉にならないうめき声を上げ、激しく抵抗するように身動ぎしている。男の体躯は乱暴に断頭台の前に引きずり出されると、被せられた麻袋を顔から剥がされた。そこには幽鬼のように落ち窪んだ目をした、男の醜い顔があった。男の表情が露わになった瞬間、人々から怒号のような声が上がる。それでも男は暴れるのをやめない。両肩を左右から騎士達に抑え込まれているのにもかかわらず激しく首を振り、猿轡を噛まされた口の端から汚らしい唾を垂らしていた。
断頭台の前で両膝を折る男の前に、ひとつの人影が静かな足取りで横から進み出た。
人影の姿に騒がしかった周囲の人々の叫びがおさまる。二人の騎士も姿勢を正すように僅かに項垂れ、男の前に立つ人影へと敬意を払った。
人影はまだ二十歳そこそこの青年だった。
その青年に向かって、目を剥いた男がうめき声を大きくした。騎士が抑えていなければ、今にも飛び掛からんばかりの勢いだった。
その男の様子をじっと見据えた青年は、悲しげに瞳を揺らす。そしてゆっくりと語り出す。
「かつての王よ。貴方は特別な存在だった」
もう手の届かない遠くにある何かを懐かしむように、青年は視線を男から外し空を映す。
「そして私も貴方を、特別な王だと尊敬していた」
いまここにみすぼらしく膝を折る男は、かつてのこの国の王だった。そして男の前に静かに佇む青年は、かつてのこの国の王の息子だった。
「けれど、王よ。貴方が特別なのは、貴方を特別として見てくれる民がいればこそ。民に見捨てられた貴方などに、いったい何の価値があるというのか」
偉大だったはずの王は、いつしか自身を特別な存在と過信して地に堕ちた。自らの存在を脅かす者を処刑し、認めぬ者には非道な拷問を行った。
「私慾に塗れた瞬間、貴方は貴方自身の特別を失ったのだ」
男へと視線を戻した青年の瞳は、今度はまるで鋭利な刃物のように、冷たく研ぎ澄まされていた。
そんな青年の言葉などまるで聞こえてないのか、かつて王だった男は変わらず喉から耳障りな唸り声を上げていた。頬には暗い影が差し、血走った目にはドス黒い怒りや憎しみがこびりついている。
青年はもうこれ以上は無駄だと判断した。
大好きだったはずの父はもう死んだ。ここにいるのは多くの民を死に至らしめた、もはや人間ですらない何か。
青年は一歩後退ると片手を上げた。それを合図に騎士達が、抱えていた男の首を断頭台へと固定する。
断頭台から降りた青年は、家臣達の元まで下がりひそかに目を閉じる。刃を吊り上げていたロープが断ち切られた音を感じとりながら、熱くなりそうな目頭を必死に押さえつけていた。
【特別な存在】
バカみたいなことばかり
必死になってやり続けていた
人に指を指されて嘲笑われたり
そんなことしても無駄だと呆れられたり
しまいには見下されて蔑まれたりもしたけれど
バカみたいなことだって
自分がいいと信じて
必死になってやり続けていったから
いま予想もしていなかったような
多大なる喝采と賞賛が
溢れんばかりに聞こえてくる
【バカみたい】
放課後の教室で二人きり
窓辺から差し込む夕日のオレンジ色が
お互いの姿を眩しく照らす
帰らないの? と私が問えば
帰りたくない と貴方は返す
そっか 私と同じだね と笑って言えば
このまま時間が止まればいいのに なんて
素敵な台詞を 言ってくれる
ああ そうだね
私と貴方 この二人だけの世界
ずっと続けばいいのにね なんて
叶わない願望を口にするつもりはないけれど
時々訪れる
二人ぼっちだけのこの空間が
私は好き
【二人ぼっち】
これは夢なのかな。
そう問い掛けたら、
そうだよ、夢だよ。
と言う、君の声が返ってくる。
夢だから、
醒める前に早く終わらせよ。
夢だから、
忘れてもいいんだし。
そうか。
これは夢なのか。
そう思ったら、
何故か涙が一筋こぼれ落ちてきた。
夢の中でなら君と思う存分愛し合える。
そこには僕らを苦しめた身分の差も、
僕らを別たせた戦争という残酷な悲劇も、
どこにもないのだから。
愛してるよ、と僕は言う。
私もよ、と君が返す。
けれど、ずっと一緒に居ようとは、
僕も君も言わなかった。
【夢が醒める前に】