その世界の中心には、大きくて真っ赤な炎が立ち上っていた。その炎はいつからあるのか、どうしてあるのか誰も知らない。人々は古くからその炎を囲うようにして街を作り、生活を営んできた。炎のあたたかさで地上は寒さを知らずに過ごせ、光に恵まれた大地から豊かな実りがもたらされる。
まさにその炎は人々にとっての生きるための糧だったのである──。
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「もう止めましょう」
旅人は切実な声で訴えた。
「それはできないよ。これが僕の役目なんだ」
旅人から少し距離を置いた場所に座る男は穏やかな態度で答える。そんな男の様子に旅人はいてもたってもいられなかった。
旅人の前にはあの大きな炎が轟々と燃えていた。そしてそのすぐ手前には男が小さな椅子に腰を掛けている。けれどとても奇妙なことに、座る男の傍らにはこんもりと大量に積まれた薪の山があった。男はその山から薪を一本取り出すと炎へと投げ入れる。
ぱちりと火の爆ぜる音が辺りに響いた。
「どうして貴方ばかりが、こんな辛いことをしなければいけないのですか?」
男の皮膚には長い間熱い炎にあてられたためにできた、いくつもの火傷の跡があった。
世界を巡りに巡った旅人は、この場所に辿り着くまで知らなかった。この世界の仕組みを。
まさかたったひとりの力が、皆の平穏を形作っていることを。
「辛いこと? そんなこと思ったこともないよ。これは僕の役目で仕事なんだ。ずっと昔に神様からもらった僕の使命さ。この使命のおかげで僕は誰かの役に立てるんだ。こんな素敵なことってないだろ? だから、君がそんなふうに気にすることはないんだよ」
男は笑って、また薪を一本投げ入れた。
この世界を支える炎が消えないように番をすること。それが男が昔、神様とやらからもらったたったひとつの生きる意味らしい。
「さぁ、もう行きなさい。慣れない者がここに長くいると、炎の熱さで倒れてしまうから」
男はそう言って旅人を送り出した。旅人は離れ難かったけれど、確かに肌に受ける熱はとてつもなく熱くて、呼吸もしづらいことを自覚していた。
「──どうかお元気で」
男がそう言ったのを最後に聞いて、旅人はその場から去った。あれから一度も男には会っていない。何故か再びあの炎の近くへ行こうとすると、いつも辿り着けずに元の場所へと戻ってしまうのだ。
旅人はあたたかくて眩しかった、男の笑顔を思い出す。
強くて、優しくて、ひたすらに痛い。
ああ、何て表せばいいのだろう。
そう、彼は、まるで──。
【太陽のような】
太陽という存在がない、どこかの世界でのお話。
「僕は臆病で情けない人間です。子供の頃から周りの人に馴染めず、これまでずっと家にひきこもり、ひとりぼっちで生きてきました。もちろん僕を産んでくれた両親はいます。彼らはこんな僕が家にいてもそっとしておいてくれますが、廊下で顔を合わせるたびにいつもぎこちない笑顔を作るのです。きっと彼らも僕と同じで、僕をどうすればいいのかわからないのだと思います──」
向かいに座る青年は、重そうな頭をさらに俯かせた。
「だから、自分を消してしまいたいと?」
わたしはそんな青年をじっと視界に捉えながら質問を続けていった。
「・・・・・・はい。こんな弱いことを言ったら笑われるかもしれませんが、僕は生きているのが堪らなく苦しいのです。でも堪らなく苦しいと思わないと生きていけないのです。こんな馬鹿げた矛盾を抱えて何を言っているんだと思います。けれど、これが僕なんです。僕という存在なんです。簡単には変えられません」
「でも、貴方はこうしてわたしの元を訪れた。それはどうしてですか?」
「ネットで貴方のことを見つけました。貴方の元に来れば全てを消して0にしてくれると、そうサイトに書いてありました。僕は・・・・・・、僕を消したい。僕自身をリセットしてしまいたいんです」
ぼそりとした低い声が室内に落ちる。わたしはゆっくりと語り出した。
「なるほど。貴方の考えは分かりました。しかし、貴方の認識には少しだけ訂正すべきところがあります。まず全てを消して0にすることなどわたしにはできません」
青年がびっくりしたように顔を上げた。みるみるその表情が曇っていく。
「・・・・・・では、やはりあれはデマだったのですね」
明らかに落ち込んだのが分かるくらいに肩が下がった。わたしはさらに続ける。
「いえ、そもそも0というものが存在している時点で、何もないということはあり得ないんですよ」
「それはどういう・・・・・・?」
「だって0は貴方ですから」
わたしの言葉に青年が「え?」と首を傾げた。
「わたしにできる事はただひとつ。0からの出発を手助けすることです。なぜならそこに0があれば、あとは足せば足すほど数が増えていきます。そしてまず最初の+1がこのわたしです」
「・・・・・・!」
わたしは青年の目の前に片手を差し出した。
「0はそこにあるだけで、大きな力となるのですよ」
暗かった青年の瞳に僅かながら光が射し込んだ。拙いながらもおそるおそる差し出された青年の手を、わたしはしっかりと握り返した。
【0からの】
教室の片隅で。
その日彼女は一人だった。
窓際の一番後ろにある自分の席に座りながら。
やけに遠くを見るようにして空を眺めていた。
僕はそんな彼女の横顔を。
遠い距離から見遣り。
その瞳の奥に微かに揺れた静かな悲しみを。
秘かに読み取っていた。
僕はふと思って。
彼女に留めていた視線を彼女が見つめる空へと向ける。
窓の外には澄んだ青い空が。
突き抜けるようにどこまでも続いていた。
その途方もないほどの空の広さを見ていたら。
何故だか急に不安になって。
胸がぎゅっと締め付けられた。
もし彼女のなかに去来している感情も。
こんな形であるのなら。
勝手な都合ではあるけれど。
僕は彼女に寄り添いたいと思った。
【同情】
ぐしゃり、ぐしゃりと、枯葉を踏む。
苛ついた心を叩きつけるように、強く踏みつける。
おさまらない怒りはどうしようもなくて、あまりの悔しさと情けなさに涙まで滲んできた。
怒りの魔人と化した私が、傍若無人に闊歩する。それでも大地に敷かれた枯葉の絨毯は、ぐしゃり、ぐしゃりと、小気味よい音を鳴らし続けた。
頑張れ、頑張れ。
行け行け、GO、GO!
まるで荒んだ私の気持ちを、鼓舞するみたいに。
【枯葉】
遠くの地へと去る君へ。
君と過ごしたいくつもの日々が、僕の人生を色鮮やかなものへと変えました。
君と過ごした今日はもう帰らないけれど。
さようなら。
どうかお元気で。
そしていつかまた。
会う日まで。
【今日にさよなら】