あれ、いいな。あ、あれも好き。
これすごくかわいいし、これなんか逆に奇抜すぎてウケる。
彼女と一緒のショッピング。
僕の彼女は好奇心が旺盛で、いつも目にしたあらゆるものに興味を持つ。
これ終わったら前々から気になっていた中華のお店に行かない?
あ、でも、さっき見かけたイタリアンのお店も気になるな。
何事にも冷めていると他人から指摘される僕にとって、彼女のこのバイタリティは尊敬に値するほどだった。
「ねぇ、今日いっぱい連れ回しちゃうかもしれないけど、いいかな?」
「もちろん。どこへでもお供いたしますとも」
そう返せば、やったぁと彼女が手を叩く。
またお気に入りの店が増えちゃいそうと、満面の笑顔を溢す彼女の姿が、僕にとっての一番のお気に入りであることは内緒だ。
【お気に入り】
誰よりも君を想う。
君がいなくなった世界でこれからもまだ生きていくために。
そんな独り善がりを今だけは許して。
【誰よりも】
10年後の私から届いた手紙。
幸か不幸か。
そんな代物がいま私の目の前にある。
これは神様の悪戯なのか。
それとも悪魔の罠なのか。
封を開いた瞬間、魔のデスゲームの始まりだなんて、どこぞの漫画みたいな展開になったりはしないだろうけれど。
こんなものは読まずに捨てしまったたほうが賢明か。
いやいやでも、めっちゃ重要なことが書いてあったら困るし。やっぱりいちおうは確かめておくべきか。
私はおそるおそる封を切った。
中にあった二つ折りになっていた紙片を、ゆっくりと開く──。
「ああ! やっぱ無理!」
一文字目を読もうとしたところで、手紙の文面を机へと伏せる。
「怖い、怖い。こんなの。未来からの手紙なんて、絶対に読んだら最後のやつじゃん。絶望的な未来を変えるために過去を今から改善していきましょうって事でしょ。ふざけんなよ、私。私を誰だと思ってるの。お前だぞ!」
卑屈と怠惰が服着て生きてるような奴だぞ。
誰かに何かを期待されたこともなければ、私が私をもう諦めているほどに落ちぶれているんだからな!
「ちくしょう・・・・・・。何で私に手紙なんか書いたんだよ」
私なんてなんにもできないのに。
埋もれては不貞腐れてばかりなのに。
10年後の自分から見た私は、いったいどんなふうに映っているんだろう。期待してもいいくらいには輝いて見えるのだろうか。
私は一度目を閉じて深呼吸をした。机にあった紙を両手に持ち、伏せてあった文面は自分の方へと向ける。
「よし!」
私はカッと目を見開くと、白い紙に並んだ文字へと意識を集中させた。
【10年後の私から届いた手紙】
叶った恋は甘く溶け
破れた恋は苦く残る
甘くて苦いチョコレートが
バレンタインの象徴だなんて
なんて理に適っているのだろう
どちらの味になるかだなんて
そんなこと
あげるまでは考える余裕もないけどね
【バレンタイン】
古びた神社の鳥居の端に、一匹の猫が横たわっていた。土や埃にまみれた体躯が、浅い呼吸を繰り返している。
その猫は子猫であった頃に母親からはぐれ、それからずっと独りきりだった。自身の生命の終わりがもうすぐだと悟った猫は、やっとの思いでこの神社へとやって来たのだ。
『──逝くのか』
どこからともなく声が降った。猫は頭を上げる力もないままその声に耳を澄ます。
この世でたった一人の友人の声に。
(うん。もうダメみたい・・・・・・)
強がることもできない。本当は元気な時に会いに来て、そのまま誰の目にもつかず消える予定だったのに。会ったら最後になるのだと考えたら、どうしてもこの場へ足を運ぶことを躊躇してしまった。
『お前がしばらく来なくて、わたしは寂しかったぞ』
(・・・・・・そうだね。ごめんね)
『なのに、どうしてもっと早く来なかった』
生き抜くにはまだか弱い力しかなかった幼い頃から、猫にとっての唯一の拠り所がこの古びた神社だった。
見つけた時はまさかそこに、人から忘れ去られたままの神様が住んでいるなんて、思ってもみなかったのだけれど。
(君に「さよなら」を言いたくなかったんだ)
君と話した時間はあまりにも楽しく、あまりにも幸せだったから。手放せなくなって困ってた。そんなことを伝える気力はもうなくて、視界がどんどん狭くなる。
『お前もわたしを置いていくのか?』
ああ、そうだね。
君はいつだって、誰かに置いていかれてしまう側なんだ。
君はこの地でそんな想いを、いったいどれだけの長い間してきたのだろうね。まだこの先も続く悠久の時間を、また君は寂しさだけを抱えて生きていく。
そんな君を。
置いていってしまわなければならない。
君がいてくれたから、自分はひとりぼっちじゃなく生きてこれたのに。
(・・・・・・待ってて)
遠ざかる意識の中でそれだけを言う。
(生まれ変わるまで・・・・・・、ちょっとだけ待ってて)
届いたかどうかも分からない。
もう体が重くて、頭の中も眠たくてたまらないから。
けれど、伝えずにはいられなかった。
寂しさしか知らない神様が、少しでも長い年月を悲しまずに越えていけるように、願わずにはいられなかった。
*****
横たわった小さな体躯が、二本の腕にそっと掬われた。この世のものとは思えないほど美しい青年が、胸元に抱いた猫の背を慈しむように撫でる。
ああ、待っているよ。
お前のためなら、いつまでだって。
安らかに目を閉じた猫の体が、眩い光に包まれる。光はぱっと弾けて粒になると、柔らかな風に乗って空へと上った。
【待ってて】