叶った恋は甘く溶け
破れた恋は苦く残る
甘くて苦いチョコレートが
バレンタインの象徴だなんて
なんて理に適っているのだろう
どちらの味になるかだなんて
そんなこと
あげるまでは考える余裕もないけどね
【バレンタイン】
古びた神社の鳥居の端に、一匹の猫が横たわっていた。土や埃にまみれた体躯が、浅い呼吸を繰り返している。
その猫は子猫であった頃に母親からはぐれ、それからずっと独りきりだった。自身の生命の終わりがもうすぐだと悟った猫は、やっとの思いでこの神社へとやって来たのだ。
『──逝くのか』
どこからともなく声が降った。猫は頭を上げる力もないままその声に耳を澄ます。
この世でたった一人の友人の声に。
(うん。もうダメみたい・・・・・・)
強がることもできない。本当は元気な時に会いに来て、そのまま誰の目にもつかず消える予定だったのに。会ったら最後になるのだと考えたら、どうしてもこの場へ足を運ぶことを躊躇してしまった。
『お前がしばらく来なくて、わたしは寂しかったぞ』
(・・・・・・そうだね。ごめんね)
『なのに、どうしてもっと早く来なかった』
生き抜くにはまだか弱い力しかなかった幼い頃から、猫にとっての唯一の拠り所がこの古びた神社だった。
見つけた時はまさかそこに、人から忘れ去られたままの神様が住んでいるなんて、思ってもみなかったのだけれど。
(君に「さよなら」を言いたくなかったんだ)
君と話した時間はあまりにも楽しく、あまりにも幸せだったから。手放せなくなって困ってた。そんなことを伝える気力はもうなくて、視界がどんどん狭くなる。
『お前もわたしを置いていくのか?』
ああ、そうだね。
君はいつだって、誰かに置いていかれてしまう側なんだ。
君はこの地でそんな想いを、いったいどれだけの長い間してきたのだろうね。まだこの先も続く悠久の時間を、また君は寂しさだけを抱えて生きていく。
そんな君を。
置いていってしまわなければならない。
君がいてくれたから、自分はひとりぼっちじゃなく生きてこれたのに。
(・・・・・・待ってて)
遠ざかる意識の中でそれだけを言う。
(生まれ変わるまで・・・・・・、ちょっとだけ待ってて)
届いたかどうかも分からない。
もう体が重くて、頭の中も眠たくてたまらないから。
けれど、伝えずにはいられなかった。
寂しさしか知らない神様が、少しでも長い年月を悲しまずに越えていけるように、願わずにはいられなかった。
*****
横たわった小さな体躯が、二本の腕にそっと掬われた。この世のものとは思えないほど美しい青年が、胸元に抱いた猫の背を慈しむように撫でる。
ああ、待っているよ。
お前のためなら、いつまでだって。
安らかに目を閉じた猫の体が、眩い光に包まれる。光はぱっと弾けて粒になると、柔らかな風に乗って空へと上った。
【待ってて】
僕は罪人です。
生まれてからこのかた、生きるために何でもしました。
盗みも、騙しも、時には誰かを傷付けることも。
そうしないと、生きていけなかったから。
そんな理由を並べても、やってしまったことはやはり悪いことなんだと思います。
だからこうして捕まって、刑に処されるのは当たり前なことなので、僕は受け入れようと思いました。
『最期に伝えたいことはあるか?』
檻に入っている僕に向けて看守の人がそう言いました。僕がここに入れられてからずっと、僕の見張りをしていた人です。
伝えたいことなんて、そんなこと。
普通の看守だったら聞きません。
僕ら罪人のことなんて、人間とも思っていないでしょうから。
だからきっと彼は、看守にしては珍しい、いっとう優しい人なのでしょう。
伝えたいことなんて、僕にはありません。
今この瞬間まではそうでした。
だって伝えたい相手もいないのに、伝えたいこともないでしょう。
だから。
「ありがとう。僕のために泣いてくれて」
鉄格子を経て目の前に立つ彼は、ぽろぽろと涙をこぼしていました。
「ありがとう。僕の言葉をきいてくれて」
誰かに伝えたいことがある。
それはなんて誇らしく素敵なことなのでしょう。
そしてその思いが伝わった時、こんなにも心が満たされるなんて、僕は生まれてこのかた初めて知ったのです。
【伝えたい】
そこは世界からも見捨てられたような、うらびれた土地だった。固く乾いた地面はひび割れて、花どころか草木も生えていない。
そんな土地にある日ひとりの旅人がやって来た。旅人はみすぼらしいテントを一つ建てると、そこに住み始めた。
長い年月が過ぎ去った。それまで色んなことがあった。最初に住んだ旅人が呼び水になったのか、次第にその場へ人が集まり始めた。人が集まることによって渇いた大地は耕され、畑ができて、井戸ができて、家ができた。
そうすると土地はどんどん活気に溢れ、そこはいつの間にか賑やかな街となった。
そして、いま。
この場所には無数の墓標が建っていた。
再び長い長い年月が過ぎ去り、人は争いを起こして互いの命を奪い合った。
その土地はまた世界から忘れ去られていた。
かつての賑わいはどこにもなく、墓標の他には建物の残骸がそこかしこに転がっているだけ。
そこにまた何も知らぬひとりの旅人がやって来た。旅人はかつて街であったこの場所を奥へ奥へと進んで行き、あの無数の墓標たちの前に立った。
この場所で眠るかつての先人たちに、旅人は深く頭を垂れる。
旅人は訳あってひとりぼっちだった。帰る家を持たないまま各地を転々としていたが、いいかげん羽を休める場所が欲しかったのだ。
旅人はみすぼらしいテントをひとつ建てた。
この場所でまず生きてみようと、旅人は心に決めた。
【この場所で】
誰もがみんなひとりぼっちにはなりたくないと思っているのに。
誰もがみんな孤独を切り離せずに生きている。
誰もがみんなひとりぼっちにはなりたくないと思っているけど。
誰もがみんな繋がりを持てるばかりではないから。
きっと誰もがみんな、優しさを忘れられずにいるんだね。
【誰もがみんな】