僕と一緒に
「僕と一緒に踊りませんか?」
王子が私の前でそう跪いて言う。普通の人間なら飛んで喜ぶこの状況に、私は疑問を抱いていた。
一国の王子が、貴族といえども自分より下の身分の者に頭を下げていいものなのかしら。
せめて意中の相手……いいえ、婚約相手ではないと。我が国の王子は単純だ、なんて噂されたらどうするんでしょう。
そう疑問に思う私の前で、王子は焦れったそうに差し出した手を更に伸ばす。近くになった王子の手には、お坊ちゃんらしく傷1つない。
私も大概だけど、それ以上に甘やかされてきたのが手に取るように分かる。そう感じながら、私はようやく口を開いた。
「ごめんなさい、今日は召使いと来ていて、その子の相手役を務めなきゃいけないんですの……私も踊りたかったのに、申し訳ないですわ、王子様」
王子の誘いを断りながらも面は立てる。貴族としてこれからもやっていくには、そうするしかない。
王子も断れられた事に不満は感じつつも、それなら仕方ないと身を引いてくれる。良かったわ、相手役にと他の召使を出されなくて。
王子と踊るなんてそうそう無い素敵な機会、しかも王子自ら誘ってくれるなんて、かなり好意を持たれているのは明白でしょう。
それでも私は断るの。……王子が離れて、代わりに私の召使いが傍に駆け寄ってくる。王子様のお誘い断ってよかったんですかと慌てた声を出している。
それを聞きながら、私は心の中で呟く。あのね、務めなきゃいけない、なんて本意じゃない言い方をしたけれど。違うのよ。
――貴女と踊りたいのよ、私だけのプリンセス。
cloudy
曇色の飴玉を貰った。
目の前に事故に合いそうなおばあちゃんがいれば、見て見ぬふりはできない。詳細は省くが、何とかおばあちゃんを助けると、お礼にと1粒手渡された。
一般に売られているような飴と同じように包装されているが、自分は見た事のない種類の飴。
見た目からは味が想像できないが、折角の好意なのでいただいておいた。
おばあちゃんに手を振ってから飴を開けてみる。どんな味か分からないが好きな味だと嬉しい、と思いながら口の中に放り投げた。
――甘い。それもかなり。
シチュエーションも含めて言うと、ショートケーキの上に鎮座している苺のような甘さだ。もしくは、特大パフェの終わりがけの甘ったるさ。
食べ覚えのない味。ただただ甘くて、それが癖になる。1粒しかないのを残念に思うくらいには。
……ふと、そういえばと思い出す。おばあちゃんを助けた時に独りごちていた言葉。前半だけ聞いて後半は流していたけれど。
『助けてくれてありがとうねえ、お兄さん。でもまさか、事故に会いそうになるなんて……やっぱり、不幸を除いておいてよかったわあ』
――人の不幸は蜜の味。突如思いついた言葉に、思わずゾッとする。まさかそんな、なんて。
違うに決まっているけど、もしも、もしも貰ったのが、人の不幸を煮詰めた飴玉だったら。それを食べた俺は……。
そんな有り得ないに決まっている想像はきっと、近付いてきている。曇りきった空の下、立ち尽くす俺の近くで車の走行音が聞こえた。
既読がつかないメッセージ
『別れたい』
その文字だけが液晶にひとりぼっちで浮かんでいる。既読のマークは横で小さくだが主張していた。
3時間前、何度も悩んで決めた貴方へのメッセージ。理由も綴ろうかと思ったけど、長くなりそうだから控えた。
ずっと好きだったし、2人きりの空間はとてつもなく居心地が良かった。それがずっと続くものだと、信じていた。
貴方の隣で見た事のない彼女が笑っていた時、私は何も感じる事が出来なくなった。
一つ一つ証拠を集めて、貴方の全てを知ってしまったのが、2人にとっての終わりのきっかけだったんだろう。
部屋にひとりきり。メッセージアプリ内でも、私の言葉ひとつきり。もう貴方は傍にいない。
出来ることならこれからも、貴方の隣で笑いたかった。叶わない願いを私は抱き続けている。
――だけど、それももうさようなら。私は貴方の存在ごと捨ててしまうから。
チラッとだがスマホを覗くと、見慣れた貴方のアカウントからの新着メッセージ。
通知が来る度にどのタイミングで既読をつけるか迷うような、甘い恋をしていた過去。
……そんな過去、存在していただろうか。
『仲直りしたい』
その楽観的で馬鹿みたいな言葉には、永遠に既読がつくことはない。
秋色
――秋の色ってどんなだろう。
烏も鳴く下校中。道端に座り込み落ちていたどんぐりを拾いながら、僕は考えを張り巡らせる。
夕焼けの橙色、紅葉の赤色、お月見の黄色。
パッと思い浮かぶのはそれくらいかな、と僕は一度思考を終えた。色なんか、数え切れないほどある。
人によって秋の色っていうのは違う。誰かにとっての秋の色が、誰かにとって春の色な事もあるだろう。
だから結局、秋の色ってどんなだろう、なんて問いに答えは無いのだ。……そう、僕は隣の君に告げる。
そうかな、と若干納得していなさそうな君は、同じように座り込み僕が手に持つどんぐりを覗き込みながら言った。
「でも私達は、その答えを知っているんだよ」
その語り掛けるような口調が、なぜだか擽ったく感じる。手が滑ってどんぐりを落としそうになって、慌てて右手で握った。
答えを知らないから今こうやって考えているんだろう、と答えても君は何処吹く風。
「じゃあ答えを教えてよ」
「それは教えられない。だって、君はまだ探し出せていないから」
僕が聞くと君はそう言って、何も教えてはくれなかった。君はそっと垂れた髪を耳にかける。
いつもなら不満を小さく独りごちてしまうような場面で、今日の僕は微動だにしなかった。ただただ、顕になった君の耳に目線を奪われる。
微かに煌めいているピアス。アクセサリーをつける習慣のない君の耳に珍しい、一粒の美しい欠片。
視線に気が付いた君が笑う。恋人から貰ったの、と小さく零す。視界の端で何かの花が僕を嘲笑う。心が揺れる。
「また明日ね」
僕を置いて、君はそう言って立つと笑って駆けていった。突拍子の無い別れに人は直ぐには動けない。君が行った方向を意味もなく目で追う。
勢いがいいところも、幼馴染として隣で見てきた僕にとっては嫌になるくらい君らしかった。何度も見慣れた君の姿だった。
2人きりで見つめたどんぐりの茶色、切ない思いが渦巻くピアスの銀色、また明日ねって笑った君の頬に昔はのっていたはずの桃色。
自分なりの、自分だけの秋色に染まる今日。