夏草
夏草や兵者どもが夢の跡
夏休みの学校の教室。
人のいない空っぽの教室を見て、1学期の騒々しかった日々を思い出す。
明日からは2学期。
また、兵者どもが帰ってる。
素足のままで
学生のとき、合気道と出会った。
私はスキー部に興味があったのだが、たまたま入学オリエンテーションで隣の席になった知り合いが、合気道部に見学へ行くと言うので、着いていったのだ。
合気道はよく警察官が演武する護身術のようなもので、先輩に習って前回り受け身や後ろ受け身を教えてもらった。
受け身を少し習うだけで、合気道ができるような気がしてきたから不思議だ。
その日のうちに入部を決めた。
そして、私を誘った同じクラスの知り合いが親友になった。
私はそのあと卒業まで合気道を続け、地元に就職で帰ったあとも地域の道場の門を叩き、今でも合気道を続けて、かれこれ8年になろうとしている。
素足のままで道場の畳を踏み、足裏全体に均等に体重をのせる自然体。
この自然体は、攻撃を受けた際に前後左右どの方向にでもスッと体重を移動して攻撃をかわせるフラットな姿勢である。
この自然体は日常生活でも意識できる。
心を片寄らせず、常に自分の中心に置くことで、何かあったときにスッと対応ができる。
こうやって私は合気道の心得を学び、その心を自分の軸にするように稽古をしている。
もう一歩だけ、
苦しいときのあと一歩
その気持ち、どうやって振り絞っていますか?
私は、自分を騙すようにしています。
素の私はとっても自堕落でやる気のない人間です。
あと一歩!という目標に「いいじゃん、そんなに頑張らなくて」という反応を絶対にします。
なので、私はそんな素の自分を騙して頑張らせるんです。
たとえば、新しいシューズを買ってあげるし頑張ってみな?とか、
机の上を片付けてからやってみな?とか、
紅茶飲んだらうまくいくよ、やってみて?とか、
図書館行けば超集中できるよ!とか、
スマホでテレビ観ながら走るのはどう?とか、
自堕落な自分のために色々とやる気の出る方法を考えてあげて、やさしーく言ってあげます。
ダメなときも多いです。
けど、頑張ってくれるときもあります。
そんなときは頑張った素の自分を沢山褒めてあげます。
すごい、できたじゃん、天才だね。
これ、家族に報告してみなよ!とか、
めっちゃ疲れたよね、パフェ食べに行っていいよ。とか、
頑張ったこと、手帳に記録しよ、ほら見て、今週の貴方はこんなに頑張った!すごね。本当に頑張ってるね!とか。
そうやって、素の自分をうまく煽てながら育てていく。
偉そうなことを言いますが、
素の自分のダメなところも、頑張った偉い自分も
分かってあげられるのは結局自分だけだと思う。
素の自分に呑まれないように、あと一歩、あと一歩、と励ましてあげれば私は頑張ってくれます。
大切なのは、私を騙す、優しさと強かさです。
見知らぬ街
地元に住む私は、正直に言うと
家と職場の往復しかしていない。
そんな私が平日に仕事を休んで東京の街に出掛けた。
新幹線で東京駅につき、山手線に乗り換える。
地方から出てきた人でごった返していた場所から
どんどんと離れていく。
平日の昼なのに電車の外には沢山の人がいることに驚いた。
みんな仕事中なのかな?
仕事終わりなのかな?
お休みの日なのかな?
私のような旅行者なのかな?
目の前を歩く一人一人に思いを馳せる。
旅行者か旅行者じゃないかは、荷物を見れば分かるもので、一人一人を観察すれば、その人が東京に住む人だということも分かってくる。
ふと目にとまったのは小さな肩カバンをかけた男の人。
疲れた顔をしていた。
それはまさに私が仕事から帰るときの顔だと思った。
早く家に行きたいのか、少し足早にJRからメトロに向かって歩いていた。
このあとスーパーによって帰るのかな?
しっかり働いたあとの疲れた顔の中にも、このあとの生活を取り仕切るための表情がみえた。
その横を歩く女性は警戒心のないようすで、勝手知ったる道という足取りだった。目的地に向かう過程のつかの間のまの抜けたような様子に見えた。
それぞれがそれぞれの人生のために歩いていることを私は感じた。
まるで東京に来て、壮大な物語を外から鑑賞しているような錯覚に陥った。
『人の数だけ人生がある。』
私はなんてちっぽけな存在だろう、
なぜだか知らない街に来てつくづくとそう思った。
遠雷
蜜蜂と遠雷
住ノ江国際ピアノコンクールに望む4人の物語
私はのだめカンタービレが好きで、この作品と出会った。
ピアノから溢れ出すきれいな音のつぶ。
その粒がつながって流れ出す美しいメロディ
文体から溢れ出す美しい情景にうっとりとした。
私が特に印象に残ったのは、ピアノコンクールに向かう演奏者の孤独
華やかな舞台に立つまでに孤独な時間がいっぱいある。
狭い練習室で1日の多くの時間をピアノに向かって過ごす。
同じメロディを何度も何度も引きながら、少しずつ少しずつ思い描いた音を再現し、作り上げていく。
その上で舞台にあがる。
実際に多くのピアニストが浮世離れした存在だと言う。
世間から隔離された空間に自分を置き、音楽に取り憑かれた亡霊のような人がピアニストには多いそうだ。
(言い方が悪くてすみません。)
確かにのだめにもそんなシーンがあったので納得した。
そんなピアノに自分のすべてを捧げてきた人々の奏でる音楽にすごく興味がある。