ふゆもと

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5/19/2023, 9:18:42 AM

 なんの変哲もない路地裏の隙間が男の職場であった。ザッと敷物を敷いて、空き缶と座椅子を一つずつ用意したら開店前の準備は終了である。
 張扇でペンと床を叩いて「さあ、よってらっしゃい!」と声を張り上げる。噺売りは身一つでできる身軽な商売だが、その客寄せは力量の差が出るところの一つだ。身振り手振りでちょいとすれば、あっという間に年頃の男女が五名ほど集まった。出だしには悪くない人数だと張扇で手を叩いて乾いた音を一つ響かせて、男は三日月なりに目を細め笑んだ。
「さてさて、みなさんお揃いのご様子。ならば、さっそく人間に恋をしたおろかな猫の噺をひとつお聞きいただきましょうか」
 ある一匹の猫が、一人の人間と出会って永遠の離別を経験するまでのなんてことのない物語。
「――そうして亡骸になった人間とともに逝けなかった猫は、冬空を彷徨う羽目になったのです」
 パタンと張扇を静かに打ち鳴らし、話を締めくくった男は空き缶をずいっと観客の前に差し出した。
「この話のお代はお客さんにつけてもらってます」
 さあ値打ちを決めてくれと言い募るものだから、本日の最初の客たちはそれぞれ顔を見合わせて彼らは財布の中からお金を取り出し代金をジャラリと入れた。彼らにとってこの噺は小銭分の価値だったらしい。
「おやまあ、今日のお客さんは耳が肥えていらっしゃるらしい。どんな恋の噺をご所望で?」


※思いついたけどちょっと19時には間に合わないので途中で投稿します!


【恋物語】

5/3/2023, 5:18:18 AM

 あの人はまるで砂糖菓子のようだ。
 とろりと熱で蕩けていって、一度その甘さを味わったら忘れずにはいられない。
「良い子だね」
 その一言を得るためにひたすら待ち続けている。優しさを与えられなければ期待もしないのに。
 ああなんてずるいひと。

【優しくしないで】

4/30/2023, 2:57:02 PM

 ひたすら何もない道を歩いて行くと、あちらこちらに『この先、楽園』という標識が掲げられていた。
 枝分かれした道は一寸先も見通せないほど濃い霧に覆われており、道をたどってみないことにはその先が何であるかもわかりそうにもない。
 楽園と書かれた文字以外は見つけることができず、どうやら楽園かそれ以外かで道が分岐しているようだ。
「上手い話には大抵裏があるんだよなあ」
 その先が気にならないと言えば嘘になるが、幸か不幸か男は用心深く、おいそれと足を踏み入れるような性格ではなかった。
 最初に楽園とは書かれていない道を選んで、上りだか下りだかわからない道をただ歩き続ける。次の分岐まで長く歩いたような気もするが、ふしぎと疲れや空腹などは感じられなかった。
 しかし、何度目かの分岐から眠気が襲い始めるようになった。ぐらぐらと揺れる視界に抗えず、何度か気を失うように眠っていた。
 この場所には時間を示すものなど何もない。太陽もなければ月もない。道以外は無なのである。
 自分がどれくらい寝ていたのかわからないというのは、恐怖以外の何ものでもなく、男は目が覚めるたびに生きている実感が湧くまでその場でじっとしていた。次に目が覚めないことも考えられる、と一人顔を青くさせて。

 精神を削られながらも黙々と歩いていく。
 今日なのか昨日なのかそれとももっと前だったのか、またもや分岐が現れて項垂れる。
「もうたくさんだ!」
 いい加減にしてくれ、と叫んだところで誰の声も返って来ないことはわかりきっている。しかし、声を出さずにいるのもそろそろ限界だった。この場所にきてどれくらいの時が経ったのか定かではないが、男にとっては永遠とも呼べるほどの長さがあった。
 そんな時にふと過ぎる。『この先、楽園』と書かれた道に進んだのなら終わりが来るのだろうか、と。神経がすり減ると、楽な方へと、終わりの方へと思考が誘導されていく。
 まるで詐欺の手口のようだと鼻で笑いながら、男は頭を振って楽園とは別の道を選んだ。

「おやまあ、なんと執念深い」
 そんな男をみている者がいた。その人物は僧侶の格好をしており、男とも女とも取れる声を響かせる。僧侶は錫杖を時折シャンと鳴らしながら、ゆったりと歩みを進めていく。
「彼にはぜひとも我々の一門の戸を叩いて欲しいものですねえ。そうは思いませんか?」
 虚空にそう柔らかな口調で尋ねる。待てど暮らせど返答はなく「私もまだまだですねえ」と一人つぶやいた。
 僧侶の視界には無数の彷徨う人間の姿が見えていた。その中でも一際低い位置で歩いている話の渦中である一人の男が、仏の誘いを何度も無碍にしていた様子も当然ながら見えていた。
 この場所は僧侶が俗世を捨てるための無限である。本来ならば、心を無にして仏に真摯に向かう時に現れる空間のはず。しかし、男は何かの拍子にここに間違って入り込んでしまったらしい。
 極楽浄土へ誘おうとしていた仏の御心など知る由もない男は、最後まで頑なにその選択肢を取らなかった。
「惜しかったですね」
 僧侶の声が楽しげに響いたものだから、僧侶の周りにはどこからともなくお金がばら撒かれた。
「このようなことでは私の心は動きませんよ」
 この仏はやたらと人の心を試したがるきらいがある。これも試練の一つで、施しを喜ぶそぶりを見せたらまた最初の修行へと帰すつもりなのである。何十年もかけてようやくここまでたどり着いたのにひどいものだ。


 その日、ひと月ほど意識不明の重体であった一人の男が病院の一室で目を覚ました。


【楽園】

4/24/2023, 9:26:31 AM

 頭の中に街を飼っている。いつからそうなのかわからないが、気がついたらそこに在ったのだ。
 私はその街をシーイングシティと名付けた。シーイングシティの住人たちは毎日忙しなく生活しており、現実と同様に事件も後を絶たなかった。
「うるさいなあ……!」
 頭の中でどんどんと頭痛のように響く音に眠りを妨げられ、イライラしながら頭を振る。思考のスイッチを切り替えてシーイングシティをその名の通り覗き見ると、いつの間にか街一番の大通りから広場に渡ってお祭り騒ぎになっている。
 昨夜はそんな様子はなかったはずだと眉を顰めながら、監視カメラの要領で街の様子を切り替えていく。こういった企画を立ち上げるのは、おおよそ領主だとあたりをつけて領主の屋敷を覗き見る。シーイングシティを覗き見るときばかりは、しばしば自分が神になったような気持ちになる。

「今日は大切な日なのになぜ曇っているんだ」
「いい日に当てたと言っていただろう!?」
「いや……そのはずなんですが」
 ワインレッドを基調とした応接間で、領主が複数の住民に詰め寄られている。
 男たちの剣幕に押され、領主は立派に出た腹を摩りながら困ったと眉を下げた。
「記念日だったんだろう。テンの」
「ええ、間違いなくテンにとっていい日のはずなんです」
 机に広げられたカレンダーで領主が示した日付には見覚えがある。今日ではないか……? とつぜん、現実世界と時間がリンクしている可能性を示唆されて、目の前がチカチカと光った気がした。
「なら、なぜ祝いの日に曇り空なんだ」
「せっかくテンの祭りを計画したのによ。これじゃあ台無しじゃないか」
 顎髭の男が苛立ちを隠そうともせずに腕を組んで指を叩く。
「毎年、この日はカラッとした晴れだったんだろう。なのになぜ急に」
「記録が間違ってたんじゃねえのか?」
「何を言うか! 十五年も続けてきた記録に嘘などあるものか!」
 胡乱げな視線を一身に受けて、領主がキャンキャンと吠え立てる。その姿がでっかいポメラニアンのように見えるのは、彼の髪が白くてふわふわと広がっているからだろうか。
「テンに直接聞くことは叶わないが、テンはこの日を大切に思っているはずなのだ」
「確か……虹が出るのもこの頃だったか?」
「そうだそうだ! 去年は二重に架かっていた」
 そう言われてみればと照らし合わせたようにして、あれこれと天気の話を始める彼らを見て、顔が熱を帯びていくのを感じた。
「少し晴れ間が出てきたか?」
「本当だ。テンにいいことが起こったか!?」
 沸き立つ彼らとは裏腹に、穴に埋まりたい気持ちを抱えながら頭のスイッチを切り替えた。

「あー……うそでしょ、かんべんして」
 枕に顔を埋めて唸る。彼らがテンと呼ぶのは、おそらく私のことだ。
──虹が架ったという一年前は、生まれてはじめてプロポーズを受けた日だった。こんなに幸せでいいのかと舞い上がったことを覚えている。
 それなのに今日晴れやかでないのは、パートナーと喧嘩したからだ。日付を跨ぐ前に出てったきりの相手の姿が焼きついて離れない。
「なーに、まだ泣いてたの」
「泣いてない……」
「ほんとだ」
 寝室にとつぜん現れたパートナーに思わず溢れかけた涙が引っ込む。いつ帰ってきたのだろうか。
 情けなくすすった私の赤い鼻の笑って、他愛のない喧嘩を「ごめんね」と終わらせて「仲直りしてくれる?」と囁く。その包み込むような温もりにまた泣きそうになった。
「私こそごめん……」
「うん。じゃあ今から誕生日のやり直ししよう」
 ケーキ買ってきたと手を引く相手に敵わないと思いながらも、私の心が晴れていくのを感じた。

「やっぱり今日は天のいい日だ! 祝うぞ!!」
 また頭の中ががやがやとうるさくなったが、今度は不快な気持ちは微塵も感じられなかった。
 今日のシーイングシティの天気は、曇りのち晴れ。


【今日の心模様】

4/18/2023, 12:02:32 PM

 ガラス玉に映るものはぜんぶ透明。ガラスには色を識別する機能がないから私の目は何も映さない。
 ねえ、私のご主人。ご主人はどれくらいの歳で、どんな顔をしながら私に触れているのかしら。ご主人、私はね、自分がお人形だと言うこと以外はなにもわからないの。私はあなたに大切にしてもらえているのかしら?

【無色の世界】

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