ボクのココロの中にいる『怖がり』はね、ひとりぼっちなんかじゃない、幼なじみの「臆病」といっつも一緒にいてね、二人はとっても仲良しで。
ちっちゃい二人は本当に、どこに行くにも絶対に手をつないでいて……だからね。
「怖がり」も「臆病」もいつだって、ひとりぼっちなんかじゃないんだー。フフフッ。
見開かれた瞳から『星が溢れる』ように、いくつもの水の粒が落ちて柔らかな頬を伝うのを、僕は黙って見つめている。
それはこの生体アンドロイドの起動時に見られる通常の現象で、それを知るにも関わらず僕は、彼女の意思に背いて起動させてしまったのでは、という根拠のない罪悪感のようなわだかまりを、毎回感じずにはいられなかった。
起動した彼女は、その白くて長い指で涙を無造作に払い、ベッドの形をした充電器の上で身を起こす。
軽く辺りを見回し、それから僕を見つけると、ふわり、と柔らかく微笑んでみせる、たったそれだけで、僕のわだかまりは霧散していった。
そう。彼女が僕のやることを、批難するはずなんかないのだ──という、そんな調子のいい考えに、いとも簡単に変わってしまうのだから、まったく、僕って奴は……。
「おはよう、ございます」
「おはよう。さっそくなんだけど、今日は髪を切ってくれるかな?」
「はい。どのような髪型に?」
「僕に似合うってあなたが思う髪型にして欲しい」
「わかりました」
僕をまっすぐに見つめる彼女の瞳、人間のものではないそれは、いくつもの星を内包しているかのようにキラキラと、まるで万華鏡のような美しさで。
それだって、生体アンドロイドならではの特長の一つなのだけども──僕には持ち得ない、僕の目なんか濁っていて、だから僕とは違う美しい瞳の生き物に、僕は僕の何もかもを肯定して欲しくて、あなたを手放すなんてことは絶対に考えられなくて、なのに、僕は……!
「終わりました」
「ありがとう。うん、いいね、軽くなったし」
「気に入っていただけたようで、よかったです。……警告。稼働制限時間、残り10分です」
「ああ……」
まったく……軽度のアンドロイド依存症と診断されるなんて、僕は本当にバカだった。もっと上手くやっていればこんなふうに、セーフティロックなんてかけられなかったのに。
一日の稼働時間が40分までだなんて、短すぎる。
けどこれでも、彼女を取り上げられてしまうよりはマシなのだ。
「じゃあ……おやすみ」
「おやすみなさい」
電源を落とされた彼女のベッドに背を預けて僕は、ふう、と息をついた。
再起動出来るまで、あと24時間。
ああでも、髪を切ってもらうのは、やっぱりいいな。合法的に、頭を撫でてもらってるみたいに感じられるし。
彼女にお願い出来るのはとにかく、依存症が進んだと自動診断されないような行動だけ、だから……。
「またしばらく、対面での語学レッスンだけで我慢しなくちゃ」
呟いて僕は立ち上がり、少し離れた場所にある自分のベッドへ潜り込む。添い寝はアウト判定になってしまうから、しょうがない。
さあ……眠ろう。
早く明日を迎えるには、眠ってしまうのがいちばんだ。
彼女の維持費だけは絶対に削れない、その代わりに食費やなんかを削ってベーシックインカムを節約するためにも、睡眠は有効だ。
ああ──本当にすぐにでも、明日になってくれないかな?
彼女の『安らかな瞳』が、瞬きもせずに私を見つめている。
彼女は私の作業机のすぐ脇の棚の上で、すっかり眠りの体勢……キジトラと呼ばれる芸術的な毛皮に覆われた前足もしっぽも、体の内側すっかり収納済み、ふっくら体型がふっくらを増して、私を見つめていたはずの瞳も、重たくなったまぶたのせいで、どんどんと細くなってゆき……。
ああ、神様。
彼女はアナタが遣わした、眠りの精なのですね?
私は彼女に誘われるがまま、夢路へと旅立っていい……そうですよね?
そう、レポートの提出期限が明日ってのはきっと、どこか遠い国の話。
本当に、なんで……なんでこんなに、気持ちのいい……眠るって、眠れるって本当に、なんて幸せなことなんだろう……。
あー……意識が、溶けるぅ……。
ぐう。💤
「……って、また、なっちゃうからね? だからね、いまこの部屋には入れてあげられないの、許して、お願い!」
「にゃ〜」
「わーん、かわいいよぅ……でもダメ、二時間は絶対、集中しないとだし」
「にゃ〜ん?」
「っ、前足でドアをカリカリしてもダメなの〜!」
「にゃっ」
「あっ、こら! 待って、またその棚の上……お願いだから、そこで丸くならないでってばー!泣」
「フフッ。キミのこと、こうして『ずっと隣で』見てたいなぁ」
「いやあの、そろそろちゃんと神様の仕事してくれませんかね? だって聞けば、私の転生先だって決まってるって話じゃないですか? ってか隣もクソも、こんな精神だか魂だかな状態のままなんて……とにかく、肉体をくださいよ、肉体を!」
「……肉体? あ、そっか、そうだね。肉体はあったほうがこれから、いろいろと……」
「っ、えーい、そうですよ! どう転ぶにしても、このままなんて私、イヤですから!」
「うーん、でも……やっぱり先に、告白の返事を聞かせて欲しい、落ち着かないし! あっでも、断られちゃった場合は、どうしたらいい? その後のボクって、冷静に転生チュートリアル終わらせられるのかな……?」
「ちょっ、それ……私のこと、脅してます?」
「ねぇ、ボクのこと……『もっと知りたい』?」
「あー……えーと。まずは、これから転生するっていう、この世界のことが知りたい、かな?」
上下左右のどこを見渡しても、真っ白な空間。
突進してきた暴走車を避けようとして崖から転落死したという、とっても残念な前世を終えたばかりの私は、目の前にフワフワと浮かんでいる、光を放つ球体に言った。
「なんでー? そんなの、後ででもよくない?」
「いやぁ……」
さっきの自己紹介によると、球体の彼はこの世界の神様らしいんだけども。
でもね……この場所で気がついた私に向かっての第一声が、
「初めましてー! 単刀直入に言うけどさ、ボクのカノジョになって欲しいんだっ」
って、さぁ……ホント、なに言ってんだコイツ、ってなった。
でもしょうがない、状況を把握するために質問を繰り返して。
そしてようやく、ここが次元のハザマ的な場所で、私はなんだかんだでこれから異世界に転生しなくちゃで、その説明なんかのためにここに呼ばれたってことがわかって、やっとやっと、頭が働くようになったところなのだ。
頭、が……うん、いまここにいる私って、肉体、ないっぽいんだけどね?
にしても、この状態でナンパされるって、いったい?
あ、待てよ……そうか。
きっと「カノジョ」の意味が、なんか違うんじゃないかな?
「……あのぅ」
「うん、なぁに?」
「カノジョってのは、どういう意味、なのでしょう?」
「あれ? ボクはいま、キミがさっきまでいた世界の言葉を使ってるはずなんだけど。つまり、ボクはキミのことが好きだから付き合ってくださいっていう、そういう意味だよ? これなら、伝わる?」
「…………」
……えーと。
この状況で告白されたらこうしたほうがいいよ、っていうアドバイス的なのを『もっと知りたい』んですが……?
どっかにスマホ、落ちてないかなー?(切実)