『子猫』
生まれてからずっと、同じ時間を共にした
愛猫を亡くしてから、君は心ここに在らず。
そんな君に、僕はこの子を贈る。
その子を手の中に抱いた君は、久しぶりの
笑顔と、幸せそうな顔を見せた。
透明で綺麗な涙が頬を伝っている。
そんな君の表情が見たくて。
君に元気になって欲しくて。
空へ旅立ってしまった、君の愛猫の代わりとは
言わないけれど、僕はこの子を君に贈るから。
この子とも、大切な思い出を作ってみないかい?
君とこの子との幸せな未来を願って――。
君に――子猫を贈ります。
『秋風』
教室の窓側の1番後ろの列。
僕のお気に入りの席。
春、夏、秋、と冬になって雪が降り始めるまでは、
きまって窓を開けて、風になびいてカーテンの隙間
から、ちらっと見える空を眺める。
夏が終わった。
服が汗で濡れてベタつくように蒸し暑くて、
うるさいセミの声はもう、聞こえない。
いつも通り、窓を開け、授業中に頬杖をつきながら
外を見る。
少し強い風が吹いて、僕の髪はふわっと空気に
持ち上げられた。その風は少し冷たくて・・・・・・。
「秋風――」
嫌になるほど蒸し暑かった夏が終わり、
少しだけ風が冷たい、紅葉が映える、秋がやってきた。
『また会いましょう』
桃色の、大きな花弁をつけた桜の木。その花弁がふわふわと散り始めたあの日、貴方は僕に一言、言葉を遺して、1人未知の世界へと旅立った――。
少し広めの個室の病室。病室特有のしんみりとした雰囲気はなかった。そんな要素をひとつとして、感じさせられないような、桜の香りで溢れる和やかな雰囲気の部屋。そこには、白いベッドや綺麗な花が生けられていた。
僕と貴方が出会ったのは、奇跡といってもいいくらいだ。
病院の図書館で、たまたま、隣の席に座っていて、たまたま、読んでいた小説の作者が同じ人だっただけ。
そんな偶然が重なって奇跡となり、僕らはお互いの病室まで通い、世間話などをする仲になった。
この、二人だけの時間が楽しみで、寝る間も惜しんだな。
けれど、出会いは突然に、というように、別れも突然だった。
窓を開けて、おだやかな風に乗り、ふわふわと桜の花弁が手のひらに舞い込んで来た時。貴方の容態は急変した。
あなたの苦しむ姿を目の前にした時、僕のからだは固まってしまう。何とか必死に手を伸ばして、ナースコールを押し、先生を呼ぶ。
貴方が苦しまないように、先生は最善を尽くしてくれた。そのおかげで、命の灯りが途絶えてしまうまでの最後の1時間を、共に過ごせることができた。
結局、最後までいつもと変わらない話しをしていたけれど、その中でお互いに通じる想いを伝え合うことができた。
それもあってか、貴方は逝く前に僕に言葉を遺した。
今、思い返して考えてみれば、その言葉は、僕の貴方を失うことへの寂しさや喪失感、自分たちがまた会えることを願って、の言葉だと理解出来る。
彼女は、最後まで人の心を救うような、心優しき人間だった。
――「また会いましょう」。
『スリル』
申し分がないほど、裕福な家庭に生まれ落ちたぼく。祖父は日本国内だけでなく、世界にも存在を知らしめた、大手世界企業の会長、父はその社長。祖母と母は、もとは茶道や生け花など、その道をゆく、由緒正しきお嬢様の身分である。
いわゆる、「貴族」の彼、彼女らには、身分の縛りから解放される、唯一の時間がある。
それは、生死の天秤を傾けるほど、危険な行為をすること。つまりは、スリルを楽しむことだ。
命綱はあれど、生死を決めるその綱は、自分の体重に耐えられるか分からないような、バンジージャンプ。サバンナに無防備で入り込み、野生の肉食動物に追いかけられたり。
それぞれが、それぞれの命をかけたスリルを楽しんでいる。
そんな一族に産まれ落ちたぼくは、もちろん、その遺伝子を継ぎ、自分の命をかけたスリルを毎日楽しんでいる。
ふと、ぼくは思った。
これが、貴族の本当の遊びなのではないのかと。