わたしは、春に生まれた。
掌をひねったような若葉が、
まだ薄膜のように透けていた頃、
風はやさしくて、世界の匂いは水に似ていた。
夏が来ると、葉の緑は濃くなり、
太陽の光を飲み込むたび、
体の奥に“熱”が沈んでいった。
その熱は、まだ名を持たない。
いつか色になる前の、静かな胎動だった。
そして――秋。
ある朝、空気がひやりと変わる。
その一瞬を、わたしは今でも忘れない。
葉の裏側を流れる細い細い道が、
まるで呼び覚まされたみたいにざわめいて、
緑がほどけ、光が内側から滲み出してくる。
最初に赤くなったのは、
いちばん高い枝の、いちばん日を浴びた葉だった。
その葉が赤へ変わったとき、
わたしは思った――
ああ、これは“疼き”だ。
長い季のあいだ溜めてきた熱が、
血潮のように表へ溢れていく疼き。
やがて赤は橙と混ざり、
橙は黄を抱き、
黄はまた赤に縁取られ、
わたしは数万の炎をその身に灯した。
風が吹くたび、
その炎は揺らめき、
“色の音”が細かく鳴った。
ちり、ちり、と、誰にも聞こえない微かな音で。
それは燃えるのではなく、
自分の中にしまい込んできた季節をひらいていく営みだった。
春の淡さ、夏の熱、雨の重み、
鳥の影、虫の影、
あらゆる記憶が色へと、光へと姿を変える。
わたしの紅葉は、死ではない。
散りゆく瞬間まで、
世界を抱きしめるための「回想」だ。
葉が地へ落ちたときでさえ、
それは“終わり”ではなく、
土に戻ってなお続く呼吸の一部である。
わたしは毎年、紅葉という名の記憶を編み直す。
色のかたちを変えながら、
季節とともに生き、
季節とともに語り続ける。
題 紅の記憶
眠りの映像
空想の心象
未来の形象
そのどれもを夢と呼ぶのは、
何かを思い描くという共通からだろうか。
“断片”と聞いて3つのうちからすぐに想起させれたものは、“眠りの映像”だった。
眠っている時に見る夢は、
心が意識の監視から放れたときに、
沈黙していた層が声をあげる現象だ。
悪夢に目を覚ましたとき、
心の深いところでまだ治りきらないものがあると知らせているのかもしれない。
ひとは、起きている間、たくさんの事を無かった事にして生きている。
治せない痛み
目を背けたい恐れ
精神のひび割れ
無意識のざわめき
怒り、傷、悔しさ、欲望
凍てつく孤独
理性はそれらを包むようにふわっと蓋をしている。
だけど眠るとその蓋は開かれてしまう。
だから、目を覚ました時に記憶している夢の断片は、
内側の地層に触れるための大切な手がかりでもあるんだ。
題 夢の断片
誰かが決めた声高な願いを、
口先だけで揃えさせられる教室。
「翼が欲しい」
その一節は、私には宿らない。
この足は、泥に触れている方が静かに根を下ろせる。
地を離れたいと思えないのは私だけじゃないだろう。
飛ぶという比喩が示す自由や希望は、
あまりにも短絡的で乱暴だ。
どうせ、ひとの道なんて
脳が発達した動物が故の“長い生の持て余し”に過ぎない。
行き先なんて無くても本当は構わないんだ。
未来は進む先のどこかじゃなくて、
形を変えながらも息づいてゆく想いそのものだと思うから。
「誰も幸せになれないよ」
そんな声が、胸の奥をかすめても
簡単には沈まない恋もあるだろう。
制度が人を区画に分け、肩書きが必要とされていても、
どの枠にも収まりきれない熱もあるだろう。
だれもがその鉄を熱いうちに打てるわけじゃない。
現実は確かに重い。
だから、
火を焚けないなら、小さな炉でできる範囲を探す。
誰もが巨大な鉄塊を打ち鳴らす必要はない。
細い針金だって、指先で曲げるだけで形は変わる。
そして、鉄を持たない事は欠落でもない。
公の仕組みや学校は、
「目立つ」「結果が出る」「他人と比べて優れている」
そういうフィルターで才能を探してしまう。
――だから皆たいせつなことを簡単に忘れる。
本当の才能ってもっと静かで、
対価も与えられずに日常の中に埋もれてるんだ。
たとえば、
人の話をじっくり聞けること。
空気を読んでそっと動けること。
ひとつのことを長く続けられること。
傷ついても、誰かを責めずに飲み込めること。
そういうものこそ本当は世界を柔らかくしている。
誇るべきだし侮るべきじゃない。
飛ばなくたっていい。
たとえ塞ぐときが長く続いても構わない。
自分の可動域を掴もうとすること
その過程こそが希望そのものなんだって信じてるよ。
題 見えない未来へ
幼い頃の俺には、嘘も誤魔化しも、
部屋に沈む濁りさえも見えてしまっていた。
俺に誠実だったものは音楽だけだった。
何も奪わず、何も押し付けず、
ただ静かに「好きに感じていい」と佇んでいる。
ギターは上昇気流だった。
指先から立ちのぼる振動が、思考に微かな囁きを落とし、
世界の色相までも塗り替えてしまう。
空気の震えだけで俺を遠くへ連れ去る。
それは現実に潜む、まぎれもない魔法だった。
あの頃の孤独こそが、未来の俺の手を引いていたのだろう。
大人になった俺は、その風を生み出している奏者に出会った。
奏者は言った。
「夢は叶ってしまえば、ただの現実だ。」
俺は応えた。
「夢を見るのも人間。
夢を魅せるのも人間。
それの何が悪い。」
互いの刃を確かめ合うような張り詰めた会話だった。
夢は幻想の衣をまとっているだけで、
決して逃避ではない。
誰かの手で綴られた、確かな現実の一部なんだ。
奏者は知らずにいた。
自分の一曲が、知らぬ地の幼い誰かの脈拍を支え続けていたことを。
放ったひとつの振動が、
ある夜を切り裂き、
孤独の底に灯を落とし、
世界の速度を変えてしまっていたことを。
音を作り出す者の夜は驚くほど静かだった。
実を結ばぬ日々に揺らぎ、遠く死を見つめた。
ふと顔を上げ、
机の上のギターが、弦をひとつだけ小さく震わせる。
それは、風の予兆のようだった。
闇の奥で風が生まれ、
指先を駆け抜け、胸を揺さぶり、意識の隅まで震わせる。
死よりも速く、音がその人を掴んだ。
それが、魔力の生まれる瞬間だったんだ。
絶えず生まれ続ける風は、
今も世界をそっと揺らし続けている。
題 吹き抜ける風
闇の中でこそ、
世界は一枚の黒へと溶け合い、
虚飾は役目を失う。
記憶だけが、灯りのように
本当に残すべきものの形を示す。
わずかな光は、
忘れずにいたい部分だけを拾い上げる。
声の温度。
指先の震え。
微笑の角度。
胸の奥で静かに燃え続ける小さな強さ。
それらが光に触れたとき、
“真実の輪郭”として姿を戻す。
ランタンの光は誠実だ。
余計なものをすべて抱き込み、
最後に“記憶の底に残った美しさ”だけを
そっと照らし返す。
外の強い光に慣れようとしなくてもいい。
歩かなくてもいい。
思い出を手に取れる瞬間が来たら、
そのときゆっくり
ランタンの灯を掲げればいい。
記憶のランタン