とても寒いの。あなたがいないと。
とても静かなの。あなたの話し声がしないから。
心が冷たくなっていくの。あなたが愛を囁いてくれないから。
私の周りはずっと雨。
どこに行ってしまったの?何故私のそばにいないの?
「……義姉さん」
あなたによく似た義弟はいるのに何故あなたは写真の中で笑っているの?
寒いわ、寒いわ。冷たい水が体に流れているように心から凍えてしまう。
お願い、私を迎えに来て。
「義姉さん、泣かないでください」
「泣いてなんかいないわ、これはただの雨よ」
私から流れる“降り止むことのない悲しい涙(あめ)”
突如として世界終焉が発令された。
もちろん、人はすぐには信じない。以前にも同じようなことがあったからだ。
今回も大丈夫。誤報だと思っていた。
刻々と終焉の日に近づくたび人々は本当の終わりの意味を知ることになった。
終焉宣言から数日後、空の色が淀み始める。1週間立つ頃には空が割れ、東京上空に謎の光る輪が出現した。人々は絶望しこの世界から逃げようとする者が現れる始末。
国の偉い人“そうり”とか言う人が先に逃げた。連日、テレビやラジオで同じようなことが報道されていた。
(無駄な努力とはこのことを言うよな……)
青年はテレビの音に耳を傾けながら納豆を混ぜていた。
「ほい、ちぃ。お味噌汁、今日は大根の葉とお揚げさんだよ〜」
「おぉ、さんきゅ」
味噌汁を受け取り、手を合わせ食べはじめる。
「楓、これなんだ?」
「あー、それね……一応炒めもの。余り物を入れまくったらカオスになっちゃった」
あははと頭を掻く楓。
“ちぃ”こと──小太郎は晴れて恋人同士となった楓と同棲しはじめて3年が経とうとしてた矢先、終焉宣言が発令された。
当時はデマだ、誤報だ、どうせ起こるわけ無いと思っていた。
発令から数日後、世界変動を目の当たりにしたことで現実に起こることを確信した。
動揺しパニックを起こした小太郎を宥めたのは恋人の楓であった。
彼の“大丈夫”は確証がないのに強いパワーを持っていた。
正気を取り戻した小太郎も思い直し、すぐには消えるわけがない、人は残り続けやがて朽ちるのみ。それまでふたりはいつもと変わらない日常を過ごすことにした。
そうできると信じていた。
発令から1ヶ月が過ぎようとしてた頃、小太郎と楓が買い物中、近くの人が砂と化して消えた。
「もう無理だ!何処かへ逃げよう!」
家に帰ると小太郎は急いで荷物をまとめはじめた。
「ちぃ、落ち着いて!大丈夫だから!」
「大丈夫なわけないだろ!見ただろアレを!」
声を荒げて楓に叫んだ。ビクリと体を震わせ固く唇を閉じた。
「あ……ご、ごめん。楓のせいじゃないのに……」
「ううん、おれもごめん」
二人は手を握り合いキスをした。
「えへへ、仲直りのちゅーだ〜」
「こんな時まで茶化すなよ……」
にこにこと笑う楓がもう一度唇にキスをした。
「おれも、怖いの。世界が終わりますと言われたあの日から、ずっと」
楓の手に力がこもる。
「それでも、ちぃと終わる日まで一緒にいたいから怖くないフリしてた」
怖いよとポロポロ泣く楓を強く抱きしめた。
自分たちではどうすることのできない現状で楓は何もない日常を送ろうと頑張っていたのだった。
その日は楓を強く抱きしめたまま眠りについた。
それからふたりは“何もない日常”を楽しんだ。
ふたりで朝ごはんを食べ、買い物に行き、映画を見たり、時には恋人らしいことをした。
最後の日がやってきた──。
1Kの部屋にふたりで雑魚寝をしている。目をつぶり、手を繋ぎながら。
「楓、今日のご飯も美味かった。いつもありがとうな」
「どーいたしまして〜」
他愛もない会話に花を咲かせながらふたりは時を待つ。
「ちぃ、これからおれらはどこに行くのかな?」
「さぁ?わからない。でも楽しいところだといいな。そしたら楓といっぱい遊べるしな」
ふっと柔らかな笑顔を向けている楓。
「キスして、いい?」
「うん」
顔を寄せ合い唇を重ねていく。何度も何度も角度を変えて。
「ちぃのスケベ」
「仕方ないだろ!楓が可愛いのがいけない」
部屋に二人の笑い声が響く。
「なあ、楓。どこに行くかわからないけど、もしこの世界が少しでも残ってたり、別の星があったりしたらいいなって俺思うよ」
「うん、そうだね」
「そしたら生まれ変わってまた逢えたらいいな!別の種族だって、星が違くたっていいさ楓と一緒に入れれば」
「うん……」
楓は目をつぶりながら泣いていた。小太郎の目からもとめど無く涙が溢れだす。
「ち……っ、小太郎ぉ……おやすみ!」
「あぁ、おやすみ」
おでこにキスをしたあと瞼を閉じた。
海の波のように穏やかで心地よい光に包まれた気がした。
──また逢えたら、君と何もない日常を。
【1番星を探している】──また逢う日まで
東の空がぼんやりと明るくなり始めた頃、一人の男が海へ来ていた。
鳥の巣のような頭に無精髭を生やした壮年。
彼はカメラを片手に空を見上げていた。
何故なら、先日同級生と酒を飲む機会があったから。三十路を迎えたばかりという事で誕生日会のようなものでもあった。その一人が海にまつわる不思議な話をしだした。
話を要約すると『夜が明けるとき海に来た人にしか見えない人がいる。それもとびっきり美人の』と言うのだ。
断じて美人に釣られたわけじゃない。
彼は‘月刊超常現象〜それって本当?〜’のライター兼カメラマンであった。名前は本名の‘幽羅(ゆうら)’で書いている。まだ小説家という夢を追っている時今の編集長にであった。嫌いだった名前から今の仕事が向いていると言ってくれたおかげでたくさんの読者ができた。
今日もその取材で来ていた。
(決してナイスバディな美女を期待しているわけではない)
空はまだ夜が明ける前、星が少しだけ見え隠れする。雲の隙間からキラリと何か光った気がした。
慌ててシャッターを切ったその時、ゴウゴウと音をさせながら塊が飛んできた。
「えっ!?」
驚いたのも束の間、刹那にして塊は閃光を放ち男は気絶した。
やけに体が重い。胸や腹に何かいる。それだけではなく、顔をペチペチと叩く者がいる──はっと目を開けるとそこには青い目をした男児が幽羅を見ていた。
「ママ!」
「は?」
男児は元気よく言った。髭面の男を見て。困惑しながらも体を起こし男児をよく見る。
「お前、誰だ?」
首を傾げる男児。にぱにぱと笑い話を理解していない様子だ。
彼の特徴は外見は人、黒い髪に青い瞳、洋服もよく見る子供服だ。ただ違うのは彼に獣のような耳と尻尾が生えていることだ。
「ぼく、名前は何?」
怖がらせぬよう不器用に笑みを浮かべる。見る見るうちに男児の目が見開かれていく。
「……ママ、ちがう」
「おう、おじさんは幽羅って言うだ」
「ゆーら?」
「そ。ゆ、う、ら、な?」
一瞬笑顔が消えたが名前を知ったことで男児はきゃいきゃいと膝の上ではしゃぐ。
「ゆーら!」と指で差し次に自分の方を指差し「てと!」と言った。
「お前、テトって言うの?」
こくんと頷くテト。
ぴょんと砂浜の上に飛び、わーっと言いながら駆け出すテト。
「美女じゃなかったな……」
無意識カメラをテトに向け何枚か撮ってみる。写真を確認して幽羅は絶句した。
テトを囲むように無数の手や笑う人の顔、時に頭部だけしかない者まで写り込んでいた。
「は?え?なんだこれ……」
じっとりと手のひらに汗が滲む。
テトがこちらを見て子供らしかぬ顔で笑う。
「みんな、てとのおともだち」
幽羅はテトの後ろに漂う禍々しい何かから逃げるように車に乗り込んだ。
【幽羅とテト】
──後悔した。ただ後悔しただけだ。
私が10歳のとき、友達とボール遊びをしていた。そのとき唐突に襲ってきた後悔。
──何故私はあのとき子宮に入ってしまったのか?
その日から生について考えることが多くなった。
──何故私は生きているのか?
──何故私は私なのか?目の前にいる人間が私だって構わないはずだ。なのに何故?
ご飯を食べているとき、風呂に入っているとき、寝るときまで考えている。
──この体を操作してるのは何故?
──意識が私として存在しているのは何故?
もちろん、答えはない。
私は私だ。父は父、母は母。そして他人は他人。
理解ができるが時々どうしてか自分がわからなくなるときがある。
期待されるたび、がっかりされるたび、私の価値とは何かモヤがかって見えなくなってしまう。
それと同時に私とは何か、私を通して両親や他人は何を求めているのか、何を見ているのか、何を望んでいるのかわからなくなる。
それは本当に“私”なのだろうか?いいや、違う気がする。
私は私であることを、他人は他人であることをやめてはいけない。どちらの領域にも超えてはならないものであると私は思う。
思うだけで、他人の期待に応えずにはいられない性である。
【私と性(さが)】
──……きて、おきてパパぁ。
愛娘の声がする。眼を開けるとお腹の上に頭を載せた娘が笑っていた。
──あ、おきたぁ! ママぁ、パパおきたぁ〜!
嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねまわる娘に、男はくすりと笑みが溢れる。ブロンド色の癖毛をくしゃりと撫でてやるといひひっと笑い手に擦り寄って来た。
娘と共にリビングへ行くと、朝食の良い匂いが漂ってきた。
──おはよう、あなた。小さな愛し子(リトル)、お役目ご苦労様。
妻は微笑み娘をひと撫でし、夫である男の頬にキスをした。
朝食は男の好きな具沢山のポトフと硬めのパンだった。木の温かみのあるリビング、朝の日が差し込む中、3人は食卓を囲んだ。男は思った───これは夢だ。
夢から覚めるとそこは屋根や壁が崩れた小屋であった。
夜明け寸前の淡い桃色と藍色の空には厚めの雲が四散している。昨晩は雨が降っていた。
奴隷市と呼ばれる地獄(ばしょ)から死に物狂いで逃げてきた。強制労働、人身売買、人体実験、臓器売買、そこで売られたものに人権はない。
「ふぅぅぅぅ────」
男は息を吐いた。季節は冷たい空気を残す春前。逃げる途中で盗んだ薄手のジャケットを着ているとはいえ、雨に濡れた衣服は少しずつ体力を奪っていく。濡れているのは衣服だけではなかった。頬に伝う雫はいつ止まるのかと男は眼を閉じた。
これは悪夢だ──男は思った。
眼に映る惨劇を前に男は動けずただ呆然としていた。鮮血が飛び散る床に横たわる2つの亡骸。一人は成人した女性、もう一人はまだ幼い女児。
「あ──あぁ」
遠くで獣のような声がする。喉が締まり痛むのは何故だ。眼から流れる液体は何だ。手の中にいる亡骸は誰だ────男は妻と娘だった亡骸を抱え慟哭した。
気づけば辺りは暗闇に落ちていた。よたよたともたつく足取りで男はシャベルを探す。妻が好きなスミレの群生地に2人を埋葬した。ここではまともな葬儀は望めない。
「俺もすぐにそっちに行くからなぁ」
男は言い残し、埋葬地を後にした。
男は再び眼を開けた。どうやら凍死を免れたらしい。
ここはスラム街の外れにある山奥。人狼や魔女、鬼の噂のある場所だった。
──いっそう、人狼や鬼に喰われて死んでしまいたい。
その思いだけで険しい山に登った。それでも男は生きている。あくまで噂は噂。
「ははっ───」
男は情けない己を自嘲した。
2人を埋葬した後、男は自暴自棄になり街をさまよっていた。街もまた悲惨なあり様である。善社会(ヒーロー)と呼ばれる者たちはどこにもいない。男が覚えていたのはそこまでであった。その後何があったのかわからない。気づいたときには奴隷市につれて来られていた。手の甲や腕には暴れたのか傷ができていた。ジクジクと痛むたび血が垂れていた。
家畜同然で檻に入れられた男がそこで見聞きしたのは善社会(ヒーロー)の裏の顔であった。
名は──アキレギア。表の顔は反社会(ヴィラン)と戦う英雄。裏では人権を奪い人身売買、臓器売買、売春で荒稼ぎする善人の皮を被った糞野郎だった。
生きているのなら──男は腹の奥から沸き立つような衝動に決心するように立ち上がった。
時は経ち────惨劇から2年が過ぎた。
復興は善社会(ヒーロー)たちと国が力を合わせ刻々と進んでいた。
あの日、現場に急行できなかった善社会(ヒーロー)たちはカメラの前で頭を下げていた。形だけの謝罪と本心ではない言葉の羅列を並べていた。
男は着々と決行の日を伺っていた。奴隷市で聞いた言葉を胸に最初のターゲットをアキレギアに決めた。
あの男を野放しにはできない。かと言って前線で戦う善社会(ヒーロー)に腕っ節が叶うわけではないので裏で動いてもらうことにした。金を詰めばいくらでも話に乗る者は多い。
レストランで食事を取りながら男は店内にあるテレビを見ていた。そこにはアキレギアが映っていた。
──今日の勝利は市民の方々の協力もありスムーズに反社会(ヴィラン)を確保することができました! 我々が戦えるのは皆様のおかげです。ありがとうございました!
猫をかぶり市民を欺く男(アキレギア)に男は静かな怒りを抱いていた。
テーブルにチップと紙を起き、レストランを後にする。
決行は今夜だ。
男は指示のあった場所へと訪れていた。スラム街から車で1時間ほど走らせた所にある廃墟となった研究施設だ。元は動物を使った実験が行われていた場所でもある。
重い扉を開け荒れた廊下を進み、階段で地下へと降りていく。手付かずのためややホコリとカビの臭いが充満していた。
地下は実験が行われていた痕跡が至るとこにあった。奥に進み自動ドアを手動で開けて入る。
そこにはアキレギアがいた。やや興奮した様子でガラス張りの小部屋に囚われていた。
「ここから出せェ! こんなことしてただで済むと思うなよォ!」
アキレギアは声を荒げガラスを叩く。前線で戦うのも頷けるほどのガタイのいい体。腕や脚も太く背も180はあるだろう。だが今は善社会(ヒーロー)という面影はなく、ボクサーパンツ1枚でそこに捕まっていた。
「……こんなに上手く行くとは思ってもいなかった」
「あぁ?」
男の言葉にアキレギアは顔を顰めた。
「はじめまして、善社会(ヒーロー)のアキレギア」
男は腰を下ろししゃがんで言った。
「誰だてめェ! どうでもいいから出しやがれくそったれェ!!」
アキレギアの怒号が飛ぶ。ガンガンとガラスを割るように叩く。冷ややかな目をした男はそれを眺めているだけで何も言わなかった。
「ちっくしょー、あの女(アマ)美人局かよォ。覚悟してろよォ、ぜってぇ娼婦に落としてやる!」
善社会(ヒーロー)としてあるまじきな言葉を吐き散らしアキレギア暴れていた。
「今のお前を見たら市民は何と言うんだろうな?」
その言葉にアキレギアは動きを止め男を睨みつけた。
男は続けて───
「お前がしてきたことは全て調査済みだ。お前が奴隷市で金稼ぎしていること、約2年前にあった街が襲われた事件も────全て知っている」
「だから何だァ?! てめェに何が関係があるんだァ? あぁ?」
アキレギアは今一度語気を強めた。
「妻子を、あの事件で殺された。その後どに連れて行かれた俺はお前の所業を知った。ただそれだけだ」
アキレギアは呵々と嗤った。
「そうか、そうか、死んじまったかァ! それでてめェはオレに復讐しようとしてるわけかァ!! 悪かったなァ救えなくってよォ」
手を叩き、それは愉しそうに言うアキレギアに男の眉が顰む。
「そうやって嗤って入ればいいさ。失ったものは戻らない。善社会(ヒーロー)くせに何もわかっていないんだな、お前」
男は小部屋の横にある装置を弄り作動させる。轟々と機械が動き出す。
「な、何をした! おい、おい! ここから出せェ!」
焦りだしたアキレギアはいっそう強くガラスを叩き出した。
「………この糞反社会(ヴィラン)」
ボソっとアキレギアが呟く。小部屋内の空気が変わったのか、
げほ、げほ咳き込みながら荒い息をしながら男を睨みつけていた。
アキレギアの息遣いに混じるようにははっと冷笑に似た嗤いがこぼれる。
「いいや、俺は反社会(ヴィラン)じゃない」
「……てめェみたいなっ、やつを反社会(ヴィラン)と呼ばずに……なんと言うんだァ!」
ゼェゼェと肩で息をしているアキレギアを横目に男は背を向けた。
「俺に反社会(ヴィラン)のような度胸はない。大層な思想も支配欲もない。ただ俺は俺の目的のためにやっているだけだ」
「馬鹿馬鹿しい……」
アキレギアは鼻で嗤った。
「お前には言われたくないよ」
男はアキレギアを見て嗤った。
「てめェは……反社会(ヴィラン)……だ。オレ(ヒーロー)たちの、敵だ」
げほ、げほと咳込み喉からヒューヒューと喘鳴する。アキレギアの体に徐々に毒ガスが回っていた。
「お前の口からまだその言葉が聞けてよかった」
息が漏れるように嗤い、男はアキレギアに背を向け地下施設を出た。
翌朝──テレビはアキレギアの死亡報道ではなく、アキレギアの不祥事で持ちきりであった。
市民は当然激昂し、善社会(ヒーロー)団体に批判殺到してしまった。一部の地域では暴動が起き、首が回らない事態に陥った。
あの後───アキレギアは男の通報により仲間に助けられ、一命を取り留めた。
男にとって目的は“殺人”ではない。悪行を働く者の厚生でもない。目的は──。
男は今日も変わらずスラム街のレストランに入ろうとしていた。
「よお、お前さん。上手く行って良かったなぁ〜」
薄汚れた面立ちで歯の抜けた中年が声をかけてきた。この男は──情報屋だ。男の計画にいち早く乗った人間だった。
「あぁ、お陰様で。どうです? メシでも奢りますよ」
「ひひっ、悪いねぇ〜。お言葉に甘えてそうさせてもらうよ」
禿げた頭を掻きむしりながら情報屋は嬉しそうに笑った。
「お前さん、これからどうするつもりだ?」
席に座ると同時に情報屋は聞いてきた。続けて──
「あの男だけじゃないだろう? お前さんは何のためにあんなことをした?」
「単純に復讐心だけですよ」
「本当に──?」
「えぇ、本当に──」
他愛もない会話をしていると注文したメシが運ばれてきた。
男の前にハンバーグランチ、情報屋の前にオムライスが運ばれてきた。
食べすすめながら男は口を開いた。
「──わかっているんですよ。俺がしていることが間違っていることぐらい。それでも失ったものは戻らない、どうしたって」
男はハンバーグを一口頬張り嚥下する。
「たとえ間違いだったとしても俺はこの生き方を変えることはできない───戦場にいた頃と何も変わらないんですよ」
男は左足を撫でた。無機質な硬い感触──義足であった。
「復讐心だけでは心が癒えることはないぞ」いたずらっぽく、声に真剣さを残しながら情報屋は言った。
「──知っていますよ」
男が2人のも元にやってきたのは情報屋と別れてすぐのことだった。スラム街からかなり離れた所に群生しているスミレの中を足取り確かに進んだ。
大きな木の下、スミレが一番綺麗に咲く場所の近くに妻と娘が眠る。
小さな花束と、複数味の入ったドロップス缶をを供えた。
2人の側に座り男は語りかける。幸せだったときにしていたような他愛のない話を。
「ごめんな……。もう少し俺は生きていないといけないらしい。こんなことしているってバレたらお前たちに叱られてしまうな。それでも俺はお前たちを殺したやつを許さない」
たとえ間違いだったとしても俺は俺のためにやり遂げる。
───そう俺は“復讐者”(ヒール)
【Heel】