本棚の隙間

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──後悔した。ただ後悔しただけだ。
私が10歳のとき、友達とボール遊びをしていた。そのとき唐突に襲ってきた後悔。
──何故私はあのとき子宮に入ってしまったのか?
その日から生について考えることが多くなった。
──何故私は生きているのか?
──何故私は私なのか?目の前にいる人間が私だって構わないはずだ。なのに何故?
ご飯を食べているとき、風呂に入っているとき、寝るときまで考えている。
──この体を操作してるのは何故?
──意識が私として存在しているのは何故?
もちろん、答えはない。
私は私だ。父は父、母は母。そして他人は他人。
理解ができるが時々どうしてか自分がわからなくなるときがある。
期待されるたび、がっかりされるたび、私の価値とは何かモヤがかって見えなくなってしまう。
それと同時に私とは何か、私を通して両親や他人は何を求めているのか、何を見ているのか、何を望んでいるのかわからなくなる。
それは本当に“私”なのだろうか?いいや、違う気がする。
私は私であることを、他人は他人であることをやめてはいけない。どちらの領域にも超えてはならないものであると私は思う。
思うだけで、他人の期待に応えずにはいられない性である。

【私と性(さが)】

4/27/2023, 5:26:27 PM