怒涛の一年間だった。
毎年毎年、同じようなことを言っているものの、今年はここ数年より心のアップダウンが激しかった気がする。
おかげで、別れたものもあれば、出会いもあった。
人に振り回され、心に振り回され。
周りが身勝手に見えてしまったり、そう思う自分を嫌いになったり、負の感情が多くて。
押しつぶされて、孤独を感じたこともあった。
でも、独りではないのだと教えてくれた人もいる。
おかげで私はこうして今も、前を向くことが出来ているのだ。
ふわふわと軸が緩く、起きた物事に憂いたり喜んだりと感情が不安定だけれども、
今はただ、今年もこうして関わってくれた人達に感謝を。
#1年間を振り返る
十二月といえばクリスマスシーズン。
二十四日の夜に、良い子が寝ている間にプレゼントを置いていく。そんなシーンを想像すると思うが、みんな一度は思ったことであろう。
「サンタさんを見てみたい!!」と。
私もかつて、サンタさんに会うべく布団に入っても頑張って起きていたが、どうしてもすぐに眠ってしまって、起きる頃には朝になっていて、枕元にはプレゼントがちょこんと置いてあった。
あぁ、今年も起きていられなかった……と残念に思いつつも、目の前のプレゼントのワクワクで上書きされていくのが毎年恒例だった。
そんな私ももう、二十五歳。
アラサーに足を突っ込もうとしていて、二十四日の夜にサンタさんをワクワクと待つような歳では無いのだが、なぜこのような話を思い出したのか。それは、
今、ベランダにサンタと思わしき人影が、立っているからである。
本来そんな所に人がいれば、通報ものなのだろうが、赤と白のサンタ服を着たおじいさんが、ベランダでワタワタと慌てていると、恐怖よりも疑問の方が勝るものだ。
どうやら、こちらに入ってこようとベランダの戸をガタガタとさせている。
ちなみにこの音で私も目を覚まし、今に至る。
ずっと戸をガタガタさせているのだ。
本来子供を起こさぬようにプレゼントを置くはずが、戸の音を立ててしまったせいで起こしてしまってはサンタ剥奪案件だろう。
しかし、このサンタが全て悪いという訳では無い。
うちのベランダの戸は立て付けが悪く、開けづらい。コツがいるのだが、初めての人にはなかなか難しいのだ。
開けてあげようかなと、ついでに色々事情を聞こうと能天気に思ったその時。
シャンシャンシャンシャンシャン。
鈴を鳴らすような音が聞こえて、なんの音かなぁと思っていると、ベランダの手すりの向こうから何かが見える。
トナカイ……ソリ……大きな袋……そして……サンタ。
そう、もう一人サンタがやってきたのだ。
私のベランダ前でソリが止まり、様子を伺うように慌てているサンタに話しかけている。
窓越しなので何を話しているのかは分からないが、なにかジェスチャーを使って、この戸が開かないことを伝えているようだ。
話を聞いたサンタが、そんなわけなかろう、と言うように戸に手をかけた。
ガタガタ、ガタガタ。
開かない。
そりゃそうだ。慣れてないと開かないんだから。
自信満々だったサンタの顔は、だんだん歪み、首を傾げていた。
どうしてだろうとサンタ二人がかりで、ガタガタとベランダの戸を鳴らしている。
サンタ一人でも十分シュールなのに、二人に増えたら余計カオスになってきた。
カーテンをしめていないので、サンタが頑張っている姿はしっかり見える。
寝る前に、カーテンをしめなかった私を恨んだ。
何も出来ずぼんやり眺めていると、サンタと目が合った。
サンタ二人はこの世のものでは無いものを見たかのように、顔が青ざめていった。
正直その顔をしたいのは私の方だった。
見知らぬサンタが家宅侵入しようとしているのだから。
もう埒が明かないと判断した私は、意を決してベランダの戸をガラガラと開けた。
『……何か?』
「「……!!」」
戸が開いた瞬間、サンタ二人はポカーンとしていたが、だんだん花が咲いたかのように、サンタの顔が明るくなった。
あれだけ開かなかった戸がやっと開いて、嬉しかったのだろう。
二人から感謝されたが、自分の家の戸を開けて感謝されるのは不思議な気持ちである。
少し喜んだあと、ハッとしたようにそれぞれが持っていた袋を漁りはじめ、一つずつプレゼントを差し出した。
そもそもの目的がやっと遂行されようとしている。
もう子供では無いのだが、いいのかなぁとも思ったが、満面の笑みでとも渡してくるので、受け取ることにした。
サンタ二人はそれぞれ満足してソリに乗って帰って行った。
まさか、二十五歳のクリスマスイブにこんな経験ができるだなんて思ってもみなかった。
きっと、あのサンタ達は他の家庭にもプレゼントを配りに行くだろう。
こんな(家屋の構造的に)厄介なお家にもう当たらないように祈るばかりだ。
#イブの夜
「メリークリスマース!!」
時刻は午前八時。
通勤通学中の人が行き交う道に大きな声が響き渡る。
声の方を見ると、赤いサンタ服を着たお兄さんが立っていて、ニコニコと街ゆく人々に声をかけていた。
皆歩く足を止め、サンタ服のお兄さんの周りに集まっていく。
もちろん私も例外ではなく、足を止めてその様子をぼんやり眺めていた。
「あ、今年もいるんだ。街のサンタさん。」
ひょっこりと急に現れたのは、学校でよくつるむ友人だった。
神出鬼没なのはいつもの事なので、正直今いきなり出てこられても驚きはしない。
『街のサンタさん?』
「ここ数年、有名なんだよね。」
友人はガサゴソとポケットからスマホを取り出し、目にも留まらぬ速さで操作していく。
「クリスマス近くになると、子供から大人までみんなにプレゼントをくれるんだよ。」
『へー……誰でも?』
「もちろん!中身はお菓子が入ってるの。去年あたしも貰ったよー。」
目の前に出されたスマホの画面には、赤い箱に緑のリボンで装飾された箱があり、中に入っていたであろうクッキーと一緒に写っている。
『美味しそう。』
「美味しかった!!手作りらしいんだよね。」
『どこかのお店のじゃないんだ。というかその人パティシエか何か?』
「正体はわかんないんだよね……SNSとかでも色々考察されてるし。名前もわかんないから、みんな街のサンタさんって呼んでるの。」
そんな正体不明な奴のお菓子を食べて大丈夫なのか、とだいぶ心配になったが、去年もらって食べて、今の今までピンピンしているので大丈夫であろう。
チラリともう一度サンタに視線を移す。
笑顔で人に愛想を振りまいている。接客業が向いてそうな人だ、とサンタを目の前にして夢の無いことを考えていると、友人が「あ!」と言った。
『何?』
「プレゼントなんだけど、たまに当たりがあってね。」
なんの事やらと首を傾げていると、友人がまたスマホを操作し画面を見せる。
「プレゼントをくれる時に、リボンの形のブローチも一緒に貰う時があるの。」
『リボンのブローチ……』
画面を見ると、リボンのブローチの写真がSNSで投稿されていた。
冬向けの記事で作られたリボンで、色は様々だが固定で結び目のところが少し黒い。
ワンポイントになってたしかに可愛らしい。
『で、これを貰うと何かいい事あるの?』
私が尋ねると、友人は待ってましたといわんばかりに、腰に手を当て咳払いをして、一言。
「なんでも欲しいものが手に入る。」
自信満々に答えられたが、その言葉に目をぱちくりさせてしまった。
『は?いやそんなわけ……』
「でもそうなの!!現に私の入ってるサークルの先輩が貰って、欲しかったコスメ手に入ったんだってさ!!」
キラキラと目を輝かせながら熱弁されるも、非現実的すぎて頭に入ってこない。
アホらしくなり、学校へ向かおうと熱弁する友人を置いていこうとした瞬間、急に目の前に何かを差し出された。
「メリークリスマス。こちらをどうぞ。」
先程まで綺麗な笑顔を振りまいていたサンタさんだ。
いつの間に自分たちの所まで移動してきたのだろう。
目の前には水色ボックスに緑色のリボンが飾ってあるプレゼントが差し出されている。
静かに受け取ると、もう一箱渡してきた。
『二つ?』
「そこの友人の分。でも君にはこれもあげちゃうね。」
そう言って差し出されたのは……
白いリボンのブローチだった。
『え、あの。』
「君、いい子そうだから、プレゼントになんでも貰えるチャンスをあげる。」
『あ、ありがとうございます?』
ふたつの箱で両手が塞がれていたので二箱とも片手に持ち替え、リボンも受け取る。
その時にサンタの顔を見ると、少し息を飲んだ。
サンタの顔がにっこり笑っているようで、目は笑っていなかった。
光の加減もあるのか、顔も暗く見えてしまって余計に怖い。
「これを肌身離さず大事に持っておいてね。」
『あ、え、あの。』
「あとは、君が欲しいものを願って過ごしてくれれば、欲しいものが手に入るだろう。」
欲しいものが……手に入る。
「それでは……素敵なクリスマスを。」
ヒラヒラと手を振りながら、サンタは先程居た場所へ戻って行った。
「良かったねー!!ツイてるじゃん!!」
友人は自分の分のプレゼントを受け取りながら、キャッキャと騒ぐ。
あの顔を見てしまったので、本当にもらって良かったのだろうか、などと考えながらリボンに目を移す。
「どうする?つけて学校行っちゃう??」
『いや、しまっとく。』
貰ったリボンとプレゼントを持ってたエコバックにしまって、学校へ向かった。
数日経ち、ついにクリスマス当日。
リボンを貰ったことなどを忘れて、家でくつろいでいた頃。スマホに着信が入った。
『はい?』
「もしもし~!!私!!今日暇なら遊ばない??せっかくのクリスマスだし~」
友人からの電話。
いつも通り他愛もない会話をしていくんだろうな、と思い話していた。
「そういえばさ」
『ん?』
「欲しいもの届いた?街のサンタから。」
咄嗟に言われてキョトンとしてしまったが、すぐに思い出した。そういえば、と電話を片手に近くの棚を漁る。
『いや、何も届いてない。』
「あれぇ、そうなんだ。」
プレゼントで貰ったお菓子箱を開けると、例のリボンのブローチが出てくる。
手に取って改めて見ながら、ずっと思ってた疑問を呟いた。
『というか、住所も何も書いてないのに、どうやってプレゼントを届けるの?』
「まぁ……それはなんか住所録的なのとかかな?今あるかわかんないけど……」
『私名乗ってないんだよ?ただリボンを渡されただけ。どうやって……』
友人も分からなくなり、何も言えなくなったのだろう。
無言の時間が訪れる。
リボンをいじっていると、ふと変な感触がした。
『……ん?』
「どした?」
リボンの結び目部分が異様に固い。
飾りの固さというよりかは、中になにか入っているような。
『ちょっと待ってね。』
私はハサミを取りだし、リボンの結び目部分を切ろうとした。
しかし、やはりと言うべきか、切れない。
布のせいとかではなく、明らかにリボンの中に固い何かが入っている。
このままじゃ中を確かめられないので。ハサミの刃を器用に使い、リボンを解体していく。
無惨になったリボンから出てきたのは、
『……レンズ?』
「え?」
黒く小さい丸いレンズがついた物体。
そしてこれはどう見ても……
『カメラ……』
「は?なんで??」
もう一度バラバラのリボンを見ると、もう一つ細長いものがでてきた。
『これは……何、細長い……』
「と、盗聴器だったりして……」
友人がふざけたように言うが、正直笑えない。
もし、カメラと盗聴器だとしたら、あの魔法のようなプレゼントにも納得が行く。
予めカメラと盗聴器の入った、リボンを身につけさせ、動向からその人の家や欲しいものを探り、プレゼントしていたのだろう。
『でも、いまいち目的が分からない……』
「そういえばさ、前に同じようにリボンブローチ貰ったサークルの先輩がいるって話したじゃん?」
『あぁ、コスメ貰ったんだっけ。』
「話詳しく聞きたいなって思って連絡してるんだけど、ずっと返事来なくて、サークルにも顔出てないんだよね。」
徐々に冷や汗が出ていく、頭の中で嫌な想像しかできない。しかし、そんなふうに考えてる余裕もないので、どうするべきか思考をめぐらせる。
「それ、結構やばいのかな。」
『とりあえず、交番に……』
ピンポーン
玄関のチャイムが鳴った。
「誰か来た……?約束でもあったの?」
『いや……誰とも……してない。』
とてつもなく嫌な予感がする。
一人暮らしのため、他に確認してくれる人はいないので、自分で見に行くしかない。
ソロリソロリと玄関へ向かい、ドアスコープを覗く。
すると宅配のお兄さんが荷物を持って立っていた。
どうやら実家から仕送りが届いたようだ。
胸をなでおろし、友人の電話を一度ミュートにしてから、ドアを開け対応する。
さっきまで怖い話をしていたからか、重い荷物だけどその場に置いてもらい、自分で入れることにした。
宅配のお兄さんが去ったタイミングで、へなへなとその場にへたりこんだ。
張ってた気が抜けたのだろう。
さっさと入れてしまおうとドアを開け、荷物を持ち上げた時、後ろに気配がする。
恐る恐る振り返るとそこには、
この前のサンタさんが立っていた。
「こんばんは。」
#プレゼント
『お母さんのバカっ!!』
バタンッッと勢いよく居間の扉を閉めて、二階に続く階段をドタドタと上る。
部屋のドアも思い切り締めて、鍵をかけた。
ベッドにそのままダイブし、布団の中へと潜り込んだ。
誰かと喧嘩した時や上手くいかなかった時に必ず逃げ込む場所であり、自分が唯一素直でいられるのが布団の中……一人でいられる時だった。
母との喧嘩は日常茶飯事なのだが、今日は特に酷かった。
高校一年生である私は、母に進路の相談をした。
服飾デザイナーになりたいから専門学校を目指したいと話したのだが、母は猛反対。
どんなに説得を試みようとしても、大学へ行くべきだと頭ごなしに叱られ、夢を否定されて喧嘩勃発。
大声で怒鳴り散らして今に至る。
母も私の将来を考えて、言ってくれている事は分かる。
それでも、夢を拒絶されたのは本当に悲しかった。
少しでも聞こうとしてくれなかったのが、なんだかとても寂しかったのだ。
簡単になれるものじゃないとわかっているからこそ、本気で今から頑張っているのに、それを一番身近な存在に拒まれるのはかなり辛い。
ダメージが強く、布団の中で体を縮こませることしか出来なかった。
コンコン、
部屋の扉が叩かれて声がする。
「開けて?」
声の主は、私の大好きな兄だ。
幼い頃から母に怒られた時、いつも話を聞いてくれていた。
今日は仕事で遅くなると聞いていたが、もう帰ってきたんだろうか。
のそのそと布団から出て扉の鍵を開けると、ドアノブが周り扉が開いた。
そこには困ったように見つめる兄がいた。
『遅くなるんじゃなかったの?』
「予定よりも早く帰れたんだけど……母さんと喧嘩したのか?」
小声でそう尋ねられ、答えたくなかったのでそっぽを向いた。
「またか……」
『だって!!否定されるだけじゃ納得できない!!』
大きな声に驚いたのか、兄が目を少し見開き私を見る。
『私は遊びでデザイナーになりたいって言ってるわけじゃないんだよ?真面目に考えて、調べた結果で言っているの。それをただ、真っ向から否定だけされても……はい、そうですかとはならない。』
久しぶりに自分の胸の内を話したからか、目にはじんわりと涙が溜まっていく。
涙を流しながらも、自分の中でも整理できてなかった思いをが口から出てくる。
兄は、黙って静かに聞いてくれていた。
全て吐き出し切る頃には、涙で顔はグズグズになっていて、兄は私の頭をポンポンと撫でる。
「お前もきちんと考えていたんだな。さすが高校生。」
子供扱いされている気がしてちょっと不服だが、自分の気持ちを受け入れて貰えた気がしたからか、少し安心した。
「自分の夢を否定されるのは、苦しいと思う。けどお母さんも心配なんだよ。」
優しく兄に諭されるが、今の私にはその言葉を受け取れるほど心に余裕は無い。
むすーっと拗ねていると、兄はフッと笑って頭を撫でてた手を方に移した。
「だから、お母さんが安心できるくらい夢に対する熱意を語ってやれ。俺に色々言えたんだからできるだろ。」
顔を上げ思わず兄を見た。
まさか、そんな肯定的な言葉を貰えると思わなかったからだ。
初めて自分の意見を認めて貰えた気がして、また涙が出た。
「ほら、無くならお風呂で泣いてこい。じゃないと明日目が腫れるぞ。今日せっかく柚子買ってきたんだから、ゆず湯入らないともったいないぞ。」
兄に背中を押され、お風呂場の方へ連れていかれる。
『じ、自分で行くから!!』
「そう?んじゃ、ごゆっくり~」
兄はあっさり手を離して、自室へ戻っていこうと踵をかえす。
『お兄ちゃん。』
「ん?」
『……ありがとう。』
「おうよ。」
準備をして浴室へ入ると、ゆずの香りが充満していた。
柚子が二、三個お風呂に浮かんでいる。
早速湯船に漬かり柚子をちょんちょん触ると、ぷかぷかと浮き沈みする。
『そういえば、子供の頃はよくお母さんとお風呂はいって柚子でも遊んでたな。』
子供の頃はよく母とお風呂に入って、キャッキャと楽しそうに笑っていた。
ふとその頃の思い出が蘇り、笑みがこぼれる。
風呂の中でぼんやりしていると、優しいゆずの匂いとお風呂のおかげで、気持ちが落ち着いていた。
さっきまでこんがらがって纏まらなかった事も、綺麗に纏まっていく。
やっぱり服飾デザイナーは諦めたくない。
すぐ認めて貰えなくてもいい、でも必ず認めさせるんだ。
そう意気込んで、もう一度深く方まで湯船に浸かる。
ポカポカと体が温まっていき、まるでゆず湯から元気を貰えたような気がした。
#ゆずの香り
十二月某日。
空にはどんよりと雲が広がっている。
『寒い……』
白い息を吐きながら、歩いていく。
近くの電光掲示板を見ると、氷点下に近い気温となっていた。そりゃあ寒いわけだ。
頭も寒さでだんだんぼんやりしてきているが、目的地にもまだ着きそうにない。
このままでは凍えてしまうので、温かい飲み物でも買おうかと自販機に立ち寄った。
小銭入れを取り出し、投入口にお金を入れた時にふと記憶が呼び起こされる。
『そういえば、アイツともこうやって飲み物買ってたな。』
お金を入れながら、彼女の太陽のような笑顔、そして優しい声が頭をよぎる。
「キョウくん。」
彼女に名前を呼んで貰うのが、好きだった。
体が弱くて、会うといつも体調を崩していた。
少し散歩するか、家で会うことしか出来なかったけど、それでも彼女と過ごす時間は、かけがえのないものだった。
彼女と話したこと、散歩した場所が頭の中を巡っていく。
幼い頃から顔馴染みではあったものの、きちんと話したのは付き合っていた二年と少しだけ。
顔しか知らないのに付き合ったのは、彼女から告白されたからだ。
全く知らないのに付き合うのはどうかとも思ったが、知っていくうちの好きになることもあるかもしれないと、引き受けた。
多分本当の理由は、告白を断るのが怖かったんだと思う。
でも彼女と付き合った時間はとても幸せだった。
死別してから数年たった今でも、思い出すくらいには。
ガコンッ
無意識にボタンを押した飲み物が落ちてくる音で、我にかえった。
またか……、と思いながら買った飲み物を拾う。
こうして寒い日は、いつも彼女を思い出しているような気がする。
それほど自分にとって、彼女は偉大な存在だったのだろう。
拾った飲み物を開けて飲もうとする。
視界の端に白いヒラヒラとしたものが見えた。
『雪……』
空を見上げると、雪がふわふわと落ちてきている。
そういえば彼女と雪の降る中散歩したこともあったな、と思い出が沢山頭に浮かんでは消えていく。
寒い時期、そして雪が降ると思い出す彼女との記憶。はたから見たらまるで呪いのようだろうが、彼女に囚われるならば正直本望だ。
ここまで心酔している故、思い出すのかもしれないなと呆れから笑みがこぼれる。
再び空を見上げる。
先程よりも雪が本降りになってきていた。
『……おかえり、ゆき。』
そっと呼んだ彼女の名は、雪の降る空に溶けていくような気がした。
#雪を待つ