十二月某日。
空にはどんよりと雲が広がっている。
『寒い……』
白い息を吐きながら、歩いていく。
近くの電光掲示板を見ると、氷点下に近い気温となっていた。そりゃあ寒いわけだ。
頭も寒さでだんだんぼんやりしてきているが、目的地にもまだ着きそうにない。
このままでは凍えてしまうので、温かい飲み物でも買おうかと自販機に立ち寄った。
小銭入れを取り出し、投入口にお金を入れた時にふと記憶が呼び起こされる。
『そういえば、アイツともこうやって飲み物買ってたな。』
お金を入れながら、彼女の太陽のような笑顔、そして優しい声が頭をよぎる。
「キョウくん。」
彼女に名前を呼んで貰うのが、好きだった。
体が弱くて、会うといつも体調を崩していた。
少し散歩するか、家で会うことしか出来なかったけど、それでも彼女と過ごす時間は、かけがえのないものだった。
彼女と話したこと、散歩した場所が頭の中を巡っていく。
幼い頃から顔馴染みではあったものの、きちんと話したのは付き合っていた二年と少しだけ。
顔しか知らないのに付き合ったのは、彼女から告白されたからだ。
全く知らないのに付き合うのはどうかとも思ったが、知っていくうちの好きになることもあるかもしれないと、引き受けた。
多分本当の理由は、告白を断るのが怖かったんだと思う。
でも彼女と付き合った時間はとても幸せだった。
死別してから数年たった今でも、思い出すくらいには。
ガコンッ
無意識にボタンを押した飲み物が落ちてくる音で、我にかえった。
またか……、と思いながら買った飲み物を拾う。
こうして寒い日は、いつも彼女を思い出しているような気がする。
それほど自分にとって、彼女は偉大な存在だったのだろう。
拾った飲み物を開けて飲もうとする。
視界の端に白いヒラヒラとしたものが見えた。
『雪……』
空を見上げると、雪がふわふわと落ちてきている。
そういえば彼女と雪の降る中散歩したこともあったな、と思い出が沢山頭に浮かんでは消えていく。
寒い時期、そして雪が降ると思い出す彼女との記憶。はたから見たらまるで呪いのようだろうが、彼女に囚われるならば正直本望だ。
ここまで心酔している故、思い出すのかもしれないなと呆れから笑みがこぼれる。
再び空を見上げる。
先程よりも雪が本降りになってきていた。
『……おかえり、ゆき。』
そっと呼んだ彼女の名は、雪の降る空に溶けていくような気がした。
#雪を待つ
「おまたせ。」
夕暮れ。
日が落ちかけてて、少し暗くなって来た頃。
声の主は、昇降口の方から白い息を吐きながら走ってきた。
『大丈夫だよ、私もさっき来たから。』
「嘘つけ。」
ほっぺを両手で包まれる。
顔が一気に近づいて、心臓がドクンッと跳ねた。
「やっぱり冷えてる。鼻も少し赤いし、結構待ったろ。」
『……10分くらい?』
ドキドキしてるのを悟られたくなくて、目を逸らして答える。
「ちょっと待ってて。」
タタっと先を少し走っていった。
ほっぺたをそっと両手で触る。
温もりがまだ残っていて、ほのかに温かい。
心臓はまだ鳴り止まず、うるさかった。
彼は幼なじみで、見慣れた顔のはずなのに。
手なんて幼い頃に何度も繋いで、お風呂だって一緒に入った事あるのに。
彼が私の名前を呼ぶ度に、心臓がうるさいのはどうしてなんだろう。
彼が触れる度に、顔が熱くなるのはどうしてなんだろう。
こうして一緒に帰っているのも、幼稚園からの腐れ縁で中学生の今でも変わらない習慣となっているだけだ。
お互い用事がある時以外は、一緒に帰る。
時間帯もそんなに変わらないはずなのに、一人で帰る時と景色が変わって見えた。
「ほら。」
考え事をしていると、彼が缶飲料を渡してくる。
そっと受け取ると、思ったより熱く顔をしかめた。
『あつっ』
「熱い?タオル巻く?」
『大丈夫。』
制服の袖を少し伸ばして、手を少し覆った状態で缶を持つ。ちょうどいい温度になりほっとする。
『ありがとう。』
「冷めないうちに飲んどけ。」
お言葉に甘えて飲もうと思い、缶を改めて見る。
『コーンポタージュ……』
「あれ、好きじゃなかったっけ?」
『ううん。好き。……覚えててくれたの?』
「そりゃあ、お前の好きな物は全部知ってるよ。」
そう言ってはにかんで笑う。
夕日に照らされていて、とても綺麗だった。
その顔にまた、心臓が大きく跳ねる。
顔を見るのが恥ずかしくなってしまって、そっぽを向いて缶を開けた。
「ん?どうした?」
『な、なんでもないよ。』
そっぽを向いたまま答えたからか、彼が不思議そうに覗き込んでいるが、意地でも顔を見られ無いように隠す。
そろそろ隠すのも厳しそうだな、と思いながら啜ったコーンポタージュは、いつもより甘く感じた。
#何でもないフリ
『……あれ?』
目が覚める。見慣れた白い天井。私の部屋だ。
それなのに違和感がある。
ムクリと起き上がり、部屋を見渡す。
物が散乱した机、子供の頃から使い古した棚、しっかり閉じた押し入れ。部屋のものは何も変わらない。
気のせいかな、と思い時間を確認しようとした時にやっと違和感の正体に気づく。
普段ある場所に時計がない。
向かい、逆側の壁にかけられている。
『逆さま……になってる。』
よく見てみれば窓の位置も、机の場所も全てあべこべになっていた。
上下までは入れ替わってはいないものの、配置だけ逆になっているとやはり違和感を感じるようだ。
誰がこんなことを……と思いつつ、とりあえず自分の部屋を出ることにした。
階段を降りて、居間の方へ足を運ぶ。
ガチャリと居間と廊下を繋げているドアを開けた瞬間、固まってしまった。
家具、間取り、全ての位置が私の部屋同様逆さまになっていた。
入ってすぐの右側にキッチンに繋がる通路があったはずなのに、左側にキッチンがある。
テレビの位置も向かいにあったソファーと入れ替わっているし、向かって若干左側にあったダイニングテーブルも今は右側にある。
自分の部屋だけでも奇妙なのに、居間までこうだとさすがに気味が悪い。
しかし、庭に繋がる大きな窓の位置は変わっていないところを見ると、無理なあべこべは無いようだ。
だとしても違和感は拭えないが。
「起きたの?」
聞きなれた声がして振り返る。
そこには見慣れた格好をした母がいる。
だが、何かがおかしい。
『あ、おはよう。お母さん、部屋どうしちゃったの。』
違和感を覚えつつも、母に話しかけると、その違和感は確信に変わっていく。
「部屋?何も変わらないでしょ、馬鹿なこと言わないでちょうだい。」
母は私を冷たくあしらい、キッチンに戻っていってしまった。
普段の母からは聞かない低めの声。
いつも優しく笑顔で答えてくれるはずなのに、無表情。
部屋の間取りとか家具の位置とか、そんなのどうでもよくなるくらい、一番の違和感だった。
いつも温厚で優しい母から “馬鹿” と言われたのが割とショックだったようで、ヨロヨロと朝食のあるテーブルに向かう。
朝は洋食が多いのに、今日は和食。
ご飯と味噌汁、お魚。
ここもあべこべなのか……と思い食べようとした時に、最悪の予想が頭をよぎる。
もしご飯もあべこべだとするならば。
母は料理上手で、美味しいご飯を作る。
でも今の母は全て逆さま。
という事は、このご飯……。
恐る恐る、ご飯を口に運ぶ。
美味い。
普通に炊きたてのご飯だった。
#逆さま
ハァー……
空に向かって息を吐いた。
もくもくと白く吐き出されるのを見て、改めて冬が来たのだと実感する。
『寒……。』
身震いしながら、前へと一歩踏み出した。
昼間は太陽が夏と比べて柔らかく、ひなたにいればぽかぽかと心地よくなるが、太陽が上にない朝と夜の時間はとても冷える。
今時刻は朝の四時。
まだ日は昇っておらず暗い。
車も人通りも無く、世界に一人取り残されたような気分。
まだ日が昇らないこの時間を、ゆっくり散歩するのが好きで、外に出る。
キョロキョロと周りを見ながら歩いているので、傍から見れば不審者にしか見えないであろう。
しかし、こうして周りを散策するのが好きなので、やめてと言われても困るのだが。
フラフラと歩いていると、見慣れた明かりが視界に入る。
『あっ、コンビニ……。』
吸い寄せられるように中へ入った。
中は暖かくなっていて、ずっと居てしまいたくなる。
レジの近くを見ると、肉まんが売られている。
『肉まん……』
見た瞬間、お腹から腹の虫の声がする。
私は静かにポケットから財布を取りだした。
『いただきまーす。』
ほかほかの肉まんを頬張る。
(あったか……。)
若干熱い肉まんを、寒い外で頬張るのも冬の風物詩な気がする。
改めて冬のはじまりを実感しつつ、肉まんをペロリと平らげた。
『さ、元気もらったし、帰ろーっと。』
気づけば空が明るくなってきている。
私は温まった体が冷えないうちに、帰路につくことにした。
#冬のはじまり
僕の名前はポチ。
数年前に、仲良くしてくれたおじいちゃんが名付けてくれた。
ある日、公園のダンボールの中で暖をとっていたら、見つけてくれたおじいちゃんが、お家に入れてくれてミルクをもらったんだ。
それから毎日、おじいちゃんは僕のところに来て、お家に連れていってくれたの。
僕が花瓶を割っても、ティッシュを出したりしても、ニコニコ笑って片付けてくれるんだ。
だんだん申し訳なくなって、イタズラはすぐにやめて、おじいちゃんが喜ぶような事をしたくなったの。
お花を取ってきたり、お気に入りのおもちゃを貸したり、毛づくろいしたり。
おじいちゃんは 「ありがとう」 って頭を撫でてくれる。
僕はそんな優しいおじいちゃんが大好きだった。
そんなおじいちゃんと一緒にいる中で、一番好きな時間はお散歩の時間。
晴れてる時、太陽の下を歩くのが最高に気持ちいい。
近くの公園で休憩して、また歩いて、そうして一緒に散歩するのが、僕にとって一番幸せだったの。
だって、おじいちゃんも僕も一番笑ってる時間だったから。
だけどある日、おじいちゃんは僕のいる公園に来なくなった。
おじいちゃんの家のそばに行ったけど、黒い服の人達が多いし、白い大きな看板が立ってたけど、字が読めないから分からなくて。
ただ、おじいちゃんに会えなくなったのだとわかった。
その日から一、二年経った。
僕も動けなくなって、公園のダンボールで過ごすようになった。
お腹も空かなくて、一日中ぼんやりする毎日を送っていた。
ポカポカと日向にあたっていると、おじいちゃん散歩していた時を思い出す。
そうそうこのくらいの温かさだった……。
「ポチ」
いつも聞いた声がする。
声の方をむくと、おじいちゃんがいた。
ずっと会えなかったおじいちゃん。
ずっと会いたかったおじいちゃん。
そこには前と変わらない、笑顔があった。
『おじいちゃん!!』
ワンっと鳴いて、おじいちゃんに駆け寄る。
おじいちゃんは優しく抱きとめてくれた。
「よく、頑張ったなぁ……」
うん、僕頑張ったよ。おじいちゃん。
おじいちゃんの手が、ゆっくりと僕を撫でてくれる。
その手はとても温かくて、太陽の匂いがするんだ。
そして僕は、おじいちゃんの腕の中で眠りについた。
#太陽の下で