『やさしさなんて』
六華さん
かわいそう
かわいそうじゃない
かわいそうでしょ
かわいそうだから
ほんと やさしいね
ありがとう…
『風を感じて』
イクラが高価なものだと
大人になるまで知らなかった
ごはんの白がなくなるほど
イクラをかけてごはんを食べるのが
当たり前だったから
山田丸
父の船の名前だ
船といっても 漁師ではない
この辺の人は許可を取ってシャケ漁をしていた
秋になると 一晩帰ってこない
みんなシャケ漁に夢中だった
泳げないわたしは
海やプールが苦手だった
でも 川に行くのは好きだった
父が船に乗せてくれるからだ
足元は真っ暗
昼間とは違う静けさ
片足をついただけで大きく揺れる
コワイ… 船から落ちないように慎重に乗る
父が船外機のエンジンをかける
動き出した船は どんどん加速していく
あの頃のわたしが
どんなに早く自転車をこいでも
感じられない爽快感
父が川に夢中になる気持ちがよくわかった
川はいいぞ
船に乗っていると
何も考えなくていい
イヤなこと全部忘れられる
網を投げる
あとは何も考えずに船を走らせる
わたしはだまって船が進む方向を見る
船を降りると顔が少しヒリヒリした
あとになって
父もカナヅチだと知った
もう山田丸に乗ることはない
川はいい
今日もわたしは
堤防の上に立ち
川風の気持ちよさを感じている
『夢じゃない』
ずーっとやりたいと思ってたこと
それはバイクの免許をとること
原付じゃない ツーリングとかできちゃうやつ
誰かの後ろじゃない 自分で運転したかった
あんな不安定で重い物をうまく扱うことができるのか
きっと父親には反対されるに決まってる
説得する勇気はない
相談することもできない
わたしは誰にも言わずに免許をとると決めた
教習所に入っておどろいた
バイクを乗ったことがないのはわたしだけ
アクセル ブレーキ クラッチ ギヤ
両手 両脚 全部使う
走れるのか 止まれるのか
倒すよな 起こせるのか
発進と停止を繰り返し練習
気がつけば教習時間も残りわずか
日は沈み あたりは暗くなったが
場内は照明に照らされて明るい
やるのか やらないのか
やるんだ…
エンジンの回転数をあげる
こけてもしゃあない
うそ 乗れてる?
マジか 自分で?
やったー! 何これー
ちょー気持ちいー!!
夢か現実か区別のつかない感情
大声で叫びたい
大丈夫かわたし
いや わたしは大丈夫だ
となりで服を脱ぎながら
バイクと並走してる
Tシャツ一枚で
「やったー!乗れたー!乗れたー!」
叫びながら並走してる
バイクではない
同じスピードで走ってる人
気がつけば 2人だけ
はじめてバイクに乗れた日
他人の幸せを本気で喜ぶ人に出会った
一生忘れることのない
夢のようなすばらしい光景
『心の羅針盤』
生きることを強く願い
最後まで生きることをあきらめなかった
生きたくて生きたくてたまらなかった
家族や友だちの分まで生きること
忘れないこと
『またね』
一匹の迷い犬
昼間あらわれて
夕方どこかにいなくなる
次の日も また次の日も
そのうち毎日やってくるようになりました
わたしはその犬に名前をつけました
今日は庭に姿が見えないなぁという日も
大きな声で名前を呼ぶと
はるか遠くからダダダダッと
ダッシュで走ってきて
私の足元すれすれに急ブレーキ
言葉は話せなくても
その顔はまぎれもなく
「呼んだ?」の顔です
はい まちがいなく呼びました
わたしはその犬とおしゃべりするようになりました
ちょっと前のめりですが
ちゃんとわかってくれてる気がしました
夕方の空はとても美しい
日が沈みはじめると
しっぽを大きくふって
またどこかにいなくなります
わたしは その背中と大きくふったしっぽを
見送ることをやめました
庭に犬小屋を作りました
くさりでつなぐことはしません
わたしとその犬の関係は今まで通り
昼間たくさん遊んで
夕方大きくしっぽをふって一日が終わります
帰る場所が変わっただけ
そんなある日
いつもの元気がありません
わたしははじめて動物病院に行きました
病院で教わったとおり
口を開けて一粒薬を入れる
口を閉じて上を向かせる
鼻にふっと息をかける
口の中を確認する
大きくしっぽをふって小屋に帰る
それがわたしたちの一日の終わりに変わりました
そう そうしていれば大丈夫
そう信じていたのに
とある夜 ヨロヨロとわたしのところに
歩みよってきました
『〇〇(犬の名前)またね』
あたまをなでてあげると
小さくしっぽをふり小屋にもどりました
どんなに遠くてもあらわれてくれたのに
もう名前を呼んでもあらわれません
わたしのいちばんきらいな言葉を告げるために
最後の力を全部使っちゃったんだ
犬小屋の中を見ると
すみっこに たくさんの白い粒
大きくしっぽをふる後ろ姿を思い出しながら
わたしは泣いて笑いました