◎不完全な僕
#29
新月の夜。
青年の体はカタチを失いそうになっていた。
体が安定しない。
細部は特に、意識しないと不定形に戻ってしまいそうだ。
その腹部に深々と刺さるナイフが青年の意識を削り取っていく。
人として生きたかった。
そう願ったら、気まぐれな神がカタチを与えてくれた。
楽しかった。
皆とつるんで、助けあって、笑いあって、泣いて……
この子を庇って死ぬことに後悔なんて無い。
こんな僕を受け入れてくれた人に恩返しを出来て嬉しいくらいだ。
だけれど、
この体のうちは”人”でいたいから、
不格好でも不完全でも、体を必死に保つ。
人として認めてくれて、
一緒に生きてくれてありがとう。
つぅと青い液体が口から垂れる。
それは地面を染め、青年の正面に立つ連続殺人犯の足元に拡がった。
「青、青か……ははっ」
背後に庇った少女から見えない角度で、
口元を人外らしく歪めて青年は笑った。
「なぁ、クソ野郎。アンタの所為だぜ、せっかくの変化が解けちまった」
”人”としての意識が段々と薄れていく。
「いつか、また……今度は、人間として」
青年がその形を失っていくなかで、
頬を伝った液体が、彼が人間であったことの僅かな名残を示していた。
◎雨に佇む
#28
ぽとり
木々の間を縫って落ちてきた雫が
頬を掠めて地面にしみを作った。
ついと手を伸ばして雨滝の中に差し出すと
水が肌に弾かれて小さな珠になった。
湿り気のある山の呼吸が
大きな雲を呼び寄せて
自身を白い綿で隠してしまった。
深く息をする。
目を開けば墨で描いたような宵闇が
木々を塗り替えていく。
青い影の中から動けなくなった人影は
再び空を見上げた。
ぽとり
今度は雫が頬を伝った。
◎私の日記帳
#27
ノートをめくる。
去年の夏からつけている日記は、日記帳を買ってもらった。という文から始まっていた。
書くことが無くてイラストだけがスペースを埋め尽くしている日もあった。
しかし、それは徐々に白紙になっていく。
そして数カ月前でその記録は終わっていた。
そろそろまた書いてみるかな……
そんなふうに思ってシャーペンを握る。
スクショや写真に残した思い出は沢山ある。
あとは全てを文章にするだけだ。
「スマホの容量の為にもどんどん書かなきゃだね」
スマホの空き容量の残量を眺めながら、私は溜め息をついた。
◎海へ
#26
青と青に挟まれた場所で、仲間が声を張り上げた。
「島だ!島が見えたぞ!」
久々の陸は大きな港を開いて沢山の船を迎え入れている。
大きな時計塔が印象的なその港町は祭りでも催しているのか、遠目から見ても賑やかだった。
「立派な町だ。面白い情報があると良いんだが」
海風が、男の声をカモメと共に何処かに運んで行く。
男は世界中の話を集めるのが好きだった。男だけではない。その船の仲間は皆、物語や伝説、伝承などが大好きな者たちばかりだ。
近海の怪物の噂だとか最近の大捕物だとかその島ならではの伝承だって良い。
そういう事物をノートに纏めたらまた海に繰り出して次の島を目指すのだ。
物語に対してそれぞれの想いを抱えながらわざわざ海へと飛び出した男たちは、物語と並び立つほどに海が好きだった。
「さぁ、野郎共!この海に捧げる、自分だけの物語をつくる準備はいいか?」
「おぉーー!!」
海のため、この世で唯一つの本を作ろうと掲げた旗の下に集った者たちが、空へと拳を突き上げた。
◎鏡
#25
王国の広場には、夜中0時に質問を投げかければ正確な答えを教えてくれる鏡があった。
夜な夜な国民が訪れては質問をしていく。
「鏡よ鏡───」
***
某日男が訪れてこう言った。
「この世で一番の、不良物件は俺ですかぁ?」
『彼女と喧嘩をしたのだな。答えは──』
「いや、待って」
『……なんだ』
「俺にだって言い分ってのがあるんだよ!」
『私は質問に答える鏡だ。愚痴なら他所に行って───』
「アイツさぁ!家でさぁ!俺の許可もなくマンドラゴラ植えてて───」
『憲兵さーん!』
***
某日少女が訪れてこう言った。
「ねぇねぇ、アタシね!学校に行きたくないの!先生ったらね!男の子にばっかり───」
『……質問は?』
「無いわよ!そんなことよりね───」
『憲兵さんとか親には黙っててあげるから!早く帰りなさい!!』
「嫌よ!折角夜のお外に出れたのに!もったいないわ!」
『夜のお外は危険なの!!』
***
某日老婆が訪れてこう言った。
「じいさん……」
『……』
「じいさん……」
『……』
「……じいさん」
『……』
「おや、じいさん。口がついてるってのに返事もないのかい?そろそろあたしの杖が火を吹くよ?」
『いや!【鏡よ鏡】くらい言えよ!!』
「おや、返事できるじゃないか。まったく、じいさんったらモウロクしちゃって……」
『アンタもな!』
「あ゛?なんか言ったかい!?」
『あ゛ぁ゛ーー!なにも!なにもない!』
「そうかい。次なんか悪く言ったらぶっ叩くからね」
『もう嫌だぁ!憲兵さぁーん!!』
***
某日以下略。
(おや、今日は誰も来ないな?)
「鏡よ鏡……」
(憲兵さんじゃないか)
「アンタが鏡に乗り移った悪魔だってのは本当なのか?」
『……答えは”そう”だ。神の怒りに触れたために封印されている』
「そこまで聞いてないぜ?」
『……口が滑った』
「ははっ、前から思ってたがアンタ随分と人間らしいな」
『人間らしいだと?私がか?』
「なんだ、自分のことはわからないのか?」
『……”そう”だな』
「なら、封印の解き方もわからないのか?」
『”わかる”。だが、協力者が必要なのでな。無理な話だ。』
「ふぅん。……じゃあ、協力してやろうか」
『……何を期待している?』
憲兵を満月が照らす。
鏡───悪魔は目を見開いた。
その表情に、目を奪われた。
「解放したらさ……俺の旅の相棒になってよ」
『憲兵さん……さては貴様阿呆だな?』
「駄目なのか!?」
『ハァ……せめて、【自分を殺さないこと】くらい条件として提示しろ!悪魔との取引なんだぞ!?』
「えぇ……じゃあ、俺を殺さないこと。それと、俺の旅の相棒になること。これでどうだ!」
『本当にそれで良いのか……?まぁ、良いだろう。契約成立だ!手を差し出せ!』
憲兵が鏡に手を添えると表面が波打ち始める。
いつの間にやら憲兵の姿を映さなくなった鏡の奥に人影が映った。
徐々に近づいて来るその人影は、紅い目をギラリと光らせると憲兵を押し倒してその姿を現した。
「ぅおわっ」
『ふふ、はははっ!久々の外界だ!』
悪魔は立ち上がり体を伸ばす。
『憲兵さん、良くぞ解放してくれた!私の名はセトゥ。セトとでも呼ぶといい。』
「そうかセト、よろしくな。俺はハルスだ。憲兵は辞めるからそう呼んでくれ」
二人は笑い合い、満月の下を歩く。
ひび割れた古い鏡はその後ろ姿を鏡面に映し出していた。