ー 愛があれば何でもできる? ー
君は…物事を今まさに知り始めたばかりの
純粋な幼子の様なことを言うんだな
たとえば、魔法も実在する世界の冒険譚で
勇者でもしていたならば“何でもできる”と
返答すれば物語は盛り上がる事だろう
だが、残念ながら現実には魔法などないからね
何でもできる とは私は言わないよ
これが例えば、親しい間柄に望まれて
身の程を弁えた出来る事であったならば
私も少しは尽力するだろうが…
元来、私は他人嫌いなのでね
なりふり構わず盲目的に誰かを愛する
そんな高尚な人間には到底なれそうにもない
しかし
そうだな…例えば、愛する者が病に倒れ
臓器移植に適合者が私しかいないと仮定すると
その人との好ましい時間の大幅を失い
長々とつまらなく余生を過ごすのに比べれば
中身を明け渡す程度の愛ならあるやもしれないね。
“ 捻くれ者の背理法 ”
人の形を得てから、ここまで
頭の重りとして肥大し続ける中身
筆舌には尽くし難い事柄の海を
長らく彷徨い続けている。
いつか、あの世に行った頃
この長い後悔を思い返すのだろうが
私のそれらに耳を傾けてくれた貴方が
少しでも波を避けられる助けとなれたなら
悪くはなかった、寧ろ幸いだったと
そう思える気がするよ。
後悔だとしても伝えたい宛名があるだけ
救いがあるんじゃないかと傲慢ながらも
心のどこかで私は信じてしまうからさ。
ー 後悔 ー
家を出る度に少し想像してしまう
記憶を落とし迷い子でありたいと
良くない考えだとは分かっている
だが、否定的な気持ちとは裏腹に
想像力は衰えを知らず豊かになり
風が肌を擽るとより鮮明さは増す
無いはずの香りすら鼻へ届け出し
景色は瞼の裏で形を変えていった
春は日向喜び華やかに開く沈丁花
夏は清楚を感じさせ甘く香る梔子
秋は色も香りも人を留める金木犀
冬は封蝋を想起する艶やかな蝋梅
美しい四季に、心は惑い揺蕩いて
世話焼きな風へ放る様に身を預け
軽い足取りも心持ちも赴くままに
誰にも報せず、終点すらも決めず
風来人としての旅路を歩み楽しむ
ここまで考えてから現実に戻った
夢がどれだけ彩り豊かだとしても
常を社会に生かされている身では
想像の域を出る事ですら難しいと
そんな現実に辟易と肩を落とした。
ー 風に身をまかせ ー
粉砕機で珈琲豆を挽いている時
ポール・ワイスの思考実験を思い出していた。
“雛鳥の胎児を均質機で攪拌した場合
その前後で失われた物は一体なんだろうか?”
確か、そんな実験だったか…
この思考実験において
失われた物を全て確立させるべきなら
それはとても難儀な事だろう。
生物としての身体組織や機能だけではない
倫理的観点や個人的価値観…
それらを加味した喪失すら含むのであれば
これ程に語るに難しい問題も珍しい。
人間も日々の中で何かを失い
また、失う可能性を孕んだまま過ごしているが
何かしら損なう最中だとしても
主観的経験は自ずと積まれ
その積み重ねた経験で生じた
負債への対価だと仮定したならば
失った分、得た物も計り知れず
私にとっては無駄な損失など
無いようにも思えてしまうのだから
尚のこと、語り尽くせず厄介だと言えよう。
この文章を書き出し読む事にすら
今も尚、刻々と時間を消費しているが
本当にそれは“得た”とは言えないのだろうか?
人間は考え方次第だと口々に述べながらも
どうにも、減点方式を好みがちな節がある
何も失わずに在り続けるなど
形を持ったものならば、どだい無理な話なのだから
得た物を数えたって罰は当たらないだろう。
ー 失われた時間 ー
自分は成熟したという錯覚に乗じて
ただ飽き始めていた おままごとに蓋をする
齢を重ねる事を厭う他人を真似て
社会に足並みを揃えんと躍起になる
そうして事を成せば、子供は大人になれる
そんな確証も理も
何処にも無いと言うのに
貴方はまだ“大人である自分”に
固執してしまっているのかい?
いつか歳を重ねきった暁には
あの頃、若かりし頃へ戻りたいと
誰しも一度はごちる事だというのに…
大人なんて、なりたくてなる訳じゃない
子供にも戻りたい時には戻れない
貴方が変わらず貴方であるなら…
記憶の奥へと押し込めた
幼稚だとしても成したい事は
熟し切り、腐り出す前に
己の悔いとならぬ内に
手を付ける事をお勧めしよう。
ー 子供のままで ー