「善い行いをすれば天国へ、悪い行いをすれば地獄へ連れていきます」
突然現れた天使は「貴方の寿命は後1時間です」と笑顔で告げた。そして俺が今まで人生の中で行ってきた善悪の数が同じなため、死後どちらに向かうかをこれからの行動で決めると言った。善い行いと悪い行いをどちらもした場合は、より強い行いの方が選ばれるらしい。
天国には行きたいが改めて善い行いと言われると難しい。頭を悩ませている間に時間は刻一刻と過ぎていった。
「坊やっ!!!」
タイムリミットが間近に迫ったとき、女性の悲痛な叫び声が耳に飛び込んできた。弾かれたように顔を上げると、目の前で子供が車に轢かれそうになっていた。
「っ!」
考えるまでもなく自然と体が動いていた。腕を真っ直ぐ子供へと伸ばし歩道へ押し退ける。瞬間、凄まじい衝撃が体を襲った。アスファルトに叩きつけられ滲んだ視界に、何が起こったのか分からないといった顔の無傷の子供が映る。
俺の顔に思わず笑みが浮かんだ。最期の最期に俺は善い行いを出来ただろう。そう胸を張って言えるはずだった。
「時間です」
指一本動かせない俺の傍に天使が立つ。軋む体を動かし、顔を見上げた。
天使が笑っている。
天使が笑っている。
天使が嘲笑っている?
「貴方は悪い行いをしました。これから地獄に落ちていただきます」
どうしてと呟く間もなく深い闇へ落ちていく。
「ヒトの寿命を伸ばすなど、悪い行い以外ありえないでしょう」
真っ黒に染まる視界の中で、冷え切った天使の声のみが耳に届いていた。
「お金持ちになりたいっ!お金持ちにっ、あぁ!?また言えなかったっ!!」
悔しい!とコンクリートの地面に大の字になる君に、汚れるよと声をかける。願い事を3回唱える前に煌めく星はすっかり夜空から姿を消していた。
「もう諦めたら?」
「いやだ!絶対にお金持ちになるのっ!」
「星に願うよりも貯金をした方が現実的だと思うけどなぁ」
「夢のないこと言わないでっ!」
「ごめんごめん」
体を起こしながら眉を吊り上げて怒る君に笑いながら謝る。真面目に謝罪してないことが伝わってしまったのか、かなり不服そうだ。
「そういう君は何か願い事はないの?」
「私?」
「世界平和とか健康祈願とか!」
「規模が大きいなぁ」
「夢は大きいほどいいの!」
「うーん…そうだなぁ…」
キラキラと光る満点の星空を見上げる。大きな夢…。
「君の恋人になりたい…とか?」
「あっ」
タイミングよく流れ落ちた星に、今の見た?と隣にいる君に顔を向けた。
「…」
ぱくぱくと口を動かす君に目を瞬かせる。星明かりでも分かるほど君の顔は真っ赤に染まっていた。自然と僕の顔も熱くなる。
どうやら僕の願い事は星に祈らなくても叶うらしい。
ルールが人を守るのか
人がルールを守るのか。
弾丸を吐き出した銃口から白煙が上る様子をぼんやりと見つめる。"人を傷つけてはいけません"と教わったのはいつだっただろうか。
「ひ、人殺しっ!」
背後から聞こえてきた声にゆっくりと振り向く。返り血で塗れた君が恐怖と嫌悪の瞳で私を見上げていた。
私がコイツを殺さなければ今頃君が死んでいたのに。
喉まで迫り上がってきた言葉を飲み込み君へ一歩近づく。君の震えが強くなった。
「そうだね」
赤色に濡れた君の頬に手を伸ばし指で拭う。掠れた色の下から真っ白な肌色が現れた。私が大好きな君の色だ。
「それで構わないよ」
君を守れないくらいならルールなんて守る必要ないんだよ。
しとしと、ざーざー。
窓の外は見渡すかぎり真っ黒な雲で覆われている。着替えたばかりのワンピースを見下ろし、むくれる自分の頰をパンッと軽くたたく。
本日の予定変更、今から私は旅に出ます。
スマホのラジオから適当な洋楽を流してちょっとお高い紅茶を淹れたら、ほら部屋の中はあっという間に英国喫茶に早変わり。ついでにスコーンまで焼いてしまえば完璧にこの場所は雨季の強いロンドンだ。
高まる気分のままに昔挫折した洋書なんて引っ張り出しちゃって。お洒落なティーカップ片手に古びたページを捲ればもう窓の外なんて気にならない。
本日の天気はどんより重たい大雨、けれど私の心はウキウキするほど晴天なのだ。
「これで本当によかったと思う?」
隣にいる友人が焚き火を見つめながら小さく呟いた。燃え盛る炎は友人の、そして私の生きた証を火種として夜の闇を煌々と照らしている。
「分からないけど…」
ポケットに仕舞われていた友人の手を取りそっと握る。炎に当たっているというのにその手はひどく冷たかった。
「貴方がいるならたとえ間違いだったとしても構わないよ」
なにそれ、と友人は泣きそうな顔で笑った。