僕が小さい頃、いつも原っぱに座ってる女の人がいた。いい匂いがして、長くてきれいな髪で、きらきらなお目目の人。柔らかくて僕が抱きついたら優しく受け止めてくれる人。
お母さんに怒られたときも、友達と喧嘩したときも原っぱに行けば、その女の人は僕を優しく出迎えてくれた。僕はその人といろんな話をした。
道端できれいな石を拾ったこと、実技大会で一位を取ったこと、家族で王都に行ったこと。食べたこともない美味しいケーキを食べて、大きなお城を見たこと。
「あのお城にはね、王様とお姫様がいるのよ」
「そうなんだ。会うことはできないの?」
「私たちのような身分の低い人はおいそれとお目にかかれないものなのよ」
「なんで身分が低いの?」
お母さんは困った顔をしてた。
「やっぱりいいや、あ、お母さん!あれはなに?」
悲しそうなお母さんを見たくなくて、僕は質問を取り消した。
お姉さんにお城の話をしたら、お姉さんもお城を見たことがあったみたい。あんなに立派なお城ってどうやって建てたのかな、っていう話をしたんだ。
僕がお姉さんに会って3年が経ったとき、原っぱに座るお姉さんが僕に言った。
「私ね、本当の家に帰らないといけなくなったの。またいつか会いましょう」
そう言ってお姉さんは止める僕を置いて、どこかへ行ってしまったんだ。
これからの僕は放心状態だった。毎日会いに行っていた人にもう会えなくなってしまったのだから。
家での仕事もまともに手につかなくなってきたとき、僕宛ての手紙が一通届いた。真っ白な封筒で僕が知っている紙よりも触り心地の良いものだ。
恐る恐る差出人を見てみると、お姉さんの名前だった。急いで中身を確認する。
お姉さんはあのお城に住むお姫様だったけど、療養のために僕の家の近くにきてたってこと。また会いたいけど身分が高いから簡単に外に出られないし、僕と会うことができないってこと、が書かれてあった。
身分、身分ってなんだ。
そんなにそんなに重要なのか。今まで意識してこなかった。僕の街で生きるのには、あまり必要のなかった知識だ。
僕は身分を今よりももっと上げるために毎日に必死になった。
僕が通うアカデミーには、成績優秀者のうち希望者は王都で騎士となるための推薦を受けられる。僕は、最終学年でその成績優秀者となり、スムーズに王都へ行くことになった。
もともと素質もあったのか、騎士となるためのいいところまで進んだ。先輩にも気に入られて、戦場でもそれなりに活躍した。
そして、やっとお姉さんに会えた。
その要因はつい先日まであった二つ隣の帝国との戦い。僕が率いる部隊が敵軍と第一軍を破ったのだ。それに続いて、僕以外のほかの部隊もどんどん倒し始めた。 だから、僕だけの栄叡ではないけど、せっかくだからありがたく胸を張っておくことにした。
お姉さんと会えた時の僕の喜びは、もう表現できないほどで、僕は情けなくも泣いてしまった。
前よりも大人っぽくなって、綺麗になったお姉さん、いや王女さまは、変わらない優しい笑顔で僕を迎え入れてくれた。
「やっと会えましたね、私のためにありがとう」
その言葉にまた泣いてしまった。
僕がお姉さんに抱いている気持ちは、俗にいう恋愛というものではない。お姉さんもきっとそうなのだろうと思う。でも、僕たちには特別な縁がある。
僕にはどうやら男爵の地位が与えられるらしい。一代限りだけど。
これからも僕は王女さまのそばに居ようと思う。
僕が普通じゃなくても愛してくれますか?
みんなと同じことができなくても、同じみんなと同じ愛情を持って接してくれますか?
僕は生まれながらにして、翼は持っていても飛ぶことができない天使だった。
真っ白な羽、柔らかな羽、肩甲骨の辺りからひょっこりと生えている。
僕のお母さんもお父さんもお姉ちゃんもお兄ちゃんもみんな持っている翼。
僕も持っているけれど、みんなと違うのは飛べないということ。
よく分からないけれど、天使のお医者さんのところに連れて行かれて、翼としての役割をコレは果たせないんだって。
稀にある病気の一種なんだって。
僕は意味もなくある、ただ飾りのコレと一生付き合わなくてはいけないらしい。
と言っても、生まれた時からこうだからみんなの可哀想とか辛かったね、とかっていう声かけは特に僕の心になんの影響ももたらさない。
だって僕にとってはコレが普通だから。
学校に行く歳になった。
僕は他の使える翼がある子とは違うクラスなんだって。
空を飛んで移動しないといけない授業とか、内容に僕は一緒に行動できないから、特別な学級に行くらしい。
それはごもっともなことで、他の子に置いて行かれて悲しい目に合うよりかは、僕と同じような境遇の子達と頑張って授業を受けることの方が良かった。
僕みたいに翼が使えない子や、翼がない子、片方しかない子、それから頭の上の輪がない子とか、いわゆる普通を持っていない子が僕と同じクラスになった。
それぞれができることは違うし、たしかに他の子とはなんか違うなって子達が集まっている。
でも、得意なこともあって、絵がものすごく上手だったり集中力がすごかったり、特定の知識だけはたくさん詰まってたりする特別な子たちばっかりだ。
担任の先生とは別に補助の先生もいていろいろ良くしてくれてる。
でもね、僕知ってるんだ。
百パーセントの愛で接してくれている訳ではないこと。百パーセントの善意で見てくれていないこと。
先生は言うんだ。あの子はああだったら、いいのに。とか、せめて〇〇はできないと生きていけないのに、とか。相手が面倒くさいとか。そりゃあね、場所を歩いて移動するしかないから、高いところに行くには連れて行ってもらわないといけないし、片方の翼しかない子はバランスが取れないから、体を支えてもらう必要があるし、頭の輪っかがない子は、頭の回転がちょっと遅いから受け答えがうまくできない時もある。
僕の世界では、普通じゃないことが見た目で分かってしまう。僕が外に出かけたらね、知らない人は顔を顰めるの。きっと僕が変な行動をしたり人に迷惑をかけたりすると思ってるんだ。迷惑はかけるかもしれないけど、顔を顰めなくていいのに。
僕はちょっと傷ついてしまうんだ。こんなこと慣れてるはずなのにね。
なんかね、2学期から学校の制度が変わって僕みたいな立場の子も普通学級に行かなくちゃいけなくなったの。
まあ、僕はそのままの学級なんだけど。
頭に輪っかがない子が普通のクラスに行くことになった。その子のお母さんは、他の子と違うってことが、ものすごく今まで嫌だったみたい。だから、その知らせを聞いてすごく喜んでた。
私の子は、普通なのよって。
不思議だね。クラスが違うだけでその子のお母さんは胸を張って自分の子の存在を人にいうことができるんだ。
おかしいよ。
でもね、数ヶ月経ってその子は学校に来なくなっちゃった。授業に追いつけないんだって。
今まで僕たちとやってたペースはゆっくりだったから、授業のスピードに追いつけなくなっちゃったって。
そりゃそーだよ。
なんで、僕たちにあったクラスに行ったら行けないのさ。僕は先生に聞いてみたんだ。
そしたらね、学校のボスの市役所ってところからの命令なんだって。
僕たちみたいにちょっと正常じゃない子がたくさんいて大変だから、その人数を減らすために基準をあげたんだって。意味が分からないよ。
授業に追いつかなくてもいいから教室にいるだけでいいよ、ってなんの意味があるの?
僕はまだこのクラスにいられる。
でも、授業の言ってる意味も分からない、友達もできない。教育の放棄だよね。
天使は天使っていう型にはまった見た目じゃないと、普通の子と同じものをくれないの?
恥ずかしいとか、可哀想とか、なんでそう思うの?
あーあ、なんて簡単で難しい問題なんだろう。
夜の蛍光灯の光が雨が斜めに降る様子を照らしていた。傘をさす必要がないほどだと思っているけれど、こうやってみるとかなり降っていたのだなあ、と気がついた。
時計の針が十二時を回っても人通りは決して減ることがない。道端でスマホを触って誰かを待っている女性たち、急ぎ足でどこかへ向かっている男性を尻目に、私はちょっと高いヒールを履いて空港への道のりをカツンカツンと音を立てながら歩いている。
実は仕事を辞めた。本当にしたかったことが分からなくなったから。
大学を卒業して何も考えずに流れるように就職して、自分の時間よりも仕事を優先してきた。何も文句はなかった。やりたいことが特になかったから。
部下を持つようになって、管理職になって責任が重くなることが増えた。嫌ではなかった。
女がここまで昇進できるのは、今の世の中では珍しかったかもしれない。男女平等に見てくれていた上司には感謝の心でいっぱいだ。
ところが、なんだか最近迷うようになった。何に迷っているのかさえ、分からないけれど。
私のいいところなのかどうなのか決断は早かった。仕事を辞めて、海外に行くことにした。借りていたマンションを解約して、水道も電力も解約した。心優しいホストファミリーに今後はお世話になるつもりだ。
英語は得意ではないけれど、どうにかなるとおもってる。少し楽観しすぎかもしれない。まあ、後悔する時は後悔すればいいと思う。そんなスタンスが私らしい。
食生活も日本の中での当たり前が当たり前ではなくなるだろう。そんなカルチャーショックさえも、楽しみに変えていくことができれば、上出来だろう。
それじゃ、ちょっとこれからアメリカ行ってくる
私が生きている世界には無数の選択肢がある。
意識的、もしくは無意識のうちにその中の一つを選んで私たちは生活を送っている。
何も考えずに好きなことだけを選んできても、その裏には真反対の世界があるのかもしれない。
それか、もっと自分にとって最高ない出来事が起こる世界があったのかもしれない。
並行世界があるのなら、そこの世界では私はどう過ごしているのかな。
経験することが違いすぎて、私ではなくなっていて、案外全然違う人になっていたりして……。
いま紡いでいるこの人生の物語の主人公は、この世界での私。
ならば、もう一つの世界の物語の主人公は、私であり私でない人。
実際はどうなんだろうね。あなたならどう考える?
「たとえ君が僕のことを嫌いになっても、僕は君を愛しているよ」
と言っていたのは、どこの誰でしょうか。
いまや、あなたは、毎日言っていた愛の言葉を囁くことがなくなり、私との会話も避け、朝帰りをすることが日課になっていますね。しかも、他の女の香水の香りを吸い込んだ衣服で帰ってきますね。
その衣服を洗っているのは、私です。
どの年代の人にどの香りが流行っていて、あなたの好みそうな女の人が、あなたがよく行く場所にいることも知っています。
謝ってくれなくても良いんです。
もう諦めましたから。
私をきっと家政婦くらいに思っているのでしょう。
都合のいい、何も文句を言わない人だと認識しているのでしょう。
私は不思議に思います。あなたがどんな気持ちで私と結婚したのか。あなたは、私を愛し続けることができませんでした。私はあなたを嫌いになっていないのに。愛しているのに。時々、虚しくなります。大丈夫だと、言い聞かせているけれど、あなたを愛し続けてしまう私は愚かだと分かっているけれど、辛いです。
私の目をきちんと見てくれたのはいつでしょう。
見なりをほめて頂いたのはいつでしょう。
愛していると言ってくれたのはいつだったでしょう。
どうして、と叫び出してしまいたくなります。
生家から、あなたのもとに嫁に入り、この日まで身を尽くしてきました。
ごめんなさい。
あなたは、もう私に会っていないので分からないかもしれませんが、私の体はもう長くありません。気力だけでなんとか家のことをしているつもりです。肉がなくなりだんだんと皮だけになって、頬がこけてきました。
力も入らず、起き上がることも難しくなってきました。
ご飯も用意できないので、もう食べていません。
あなたが帰ってきた時に死体があったならすみません。この家からもっと早く出ていけば、手を煩わせなくて済んだのに。
あなたと過ごした日々を味わっていたくて、あと少し、と思っているうちにいつのまにか、長く居座ってしまいました。
あなたは、この手紙を見て、何を思うでしょうか。
後悔してくださるのでしょうか。罵詈雑言を並べるかもしれませんね。なんせ、私のことがもう好きではないのに、家に住まわせてくれていたのですから。
寝転がりながら、震える手でこの手紙を書いています。
私、あなたがつけて帰ってくる香水が大っ嫌い。
私が好きなのは白檀の香りなの、覚えてる?
ずっと前に言ったこと。
ねえ、きっとあなたが帰ってくる頃には死んでるわ。
ちゃんと葬って、毎日線香をあげて私の好きな匂いのあなたになってよ。
わたしはあなたのことを、一生愛したわ。
あなたの誓いの言葉とは違ってね。