「あーした天気になぁれ!」
高らかに声をあげるのと同時にその娘は、靴を高く蹴り上げた。
その娘の身長の何倍も高く上がった靴は、放射線状の弧を描いて地に落ちる。
横吹く風に吹かれながら、その娘は片足のケンケンをして靴を拾いに行った。
真っ白だった靴下の裏は、時々地面についたのか黒く汚れている。
その娘は一人だった。
そんな様子を窓から見ていた。
勉強ばかりの日々。親に受験することを強制されて、楽しくもないことだけをする。
友達は家に遊びに行って楽しく遊んでる。
内心でいいなぁと思いながらも学校での優等生キャラを保っておかなくてはいけない。
休み時間に騒いで、流行りのことを話して、先生との会話だって親しくしたい。
礼儀正しく、みんなのお手本になるような、他人につられない、先生に頼りにされる人間になってきた。
いつだって内申のために。
そうやって過ごしてきたら、いつのまにか大学生になっていた。最近は、友達と呼べる子とショッピングに行ったり、小旅行に行ったり楽しいことができている。
一人暮らしを始めて、親の目の届かないところにいれば好きなことを好きなだけ、することができた。
今はとても楽しい。
でも、昔の子供のころ特有の遊びを私は未だかつてできていない。当然だけど。
塾に行かない日なんて珍しかった私の学生時代。
取り戻すことはできないけれど、あの子と遊んでみようかな。不審者に間違われるかな、それはちょっとやだけど。
また明日、あの子の願い通り、「天気」になったら、
雲の上に雲がある。
薄い雲の上に何層もの雲がある。
ゆるい風にのって移動していく雲と、
勢いのある雲にのってどんどん遠くへ行く雲たち。
上の上には上がいる。
なんだか変な感じ。
飛行機に乗った。
人生二度目。記憶がある限りでは、一度目。
いつも米粒ほどの大きさの飛行機に俺は乗っているのだ、と思うと変な感じがする。
地上から見るとあんなに小さく見えても、飛行機から地上をみてもあまり小さいとは、感じない。
周りにはふわふわとした雲が広がっている。
その雲の隙間にはもっと下に雲がある。
いつもとは、逆。下の下には下がいた。
ふと、人間社会もこんなもんかと気づいた。
自分の立つ位置で、見えるものが違う。
まだまだ未熟なときは、手に届くことのない立場に目を向ける。その場に立とうと努力をする。
登り詰めた暁には、下にいる人を気にする。
上に立ってみれば案外ちかい場所に目指すものがあったり、頑張る方向性が間違ってたりすることがある。
下の立場にいる時は、上を気にして、
上の立場にいる時は、下を気にして、
お互いの状況をなんとなく把握していて、
それが大事なものだと俺は思ってる。
「友達同士、仲良くしましょう」
「お友達とは、仲良くしないといけません」
「お友達にはやさしくしないとだめだよ」
友達ってなに?
ずっと疑問だった。
友達って一体なんなのか。
幼稚園でも、小学校でも、なんなら中学校でもことあるごとに先生に言われ続けた。
たぶん、先生は同じクラスの人のことを友達ってことにしていたんだと思う。
でも、所詮クラスメイトはただ、偶々同じクラスに配属されたってだけ。
性格も違う、考え方も違う、得意なことだって違う、そんな人それも三十人全員と仲良くしろなんて無理だと思う。
仲良くできる子もいる。
気があって、好きなものも一緒で、何をするのも楽しくなる人。これは友達。
一方で、全く合わない子がいる。
話の趣味も、興味のある事柄も何もかもが違うと楽しくない。自分とは別の新しい見方ができるようになる?
確かにそうかもしれない。
でも、毎日ずっと仲良くし続けることなんてできない。
時々、違いを感じて視野を広げていく、くらいでいいじゃないか。
人として、優しくする必要はある。
でも、好き嫌いを我慢するのは違うとも思っている。
例えば、金銭面ならしょうがないけど、見た目が汚い子がいる。
ブサイク、ということではない。
制服が汚れていたり、髪がボサボサだったり、手が糊でベタベタだったり、顔を洗っていなかったり。
私はこんな状態のオトモダチと手を取り合って、一緒に遊ぶこと、話すことは無理。
顔を向けられない。
目をどこに向ければいいのか分からないから。
嫌いであっても、態度に出してはいけない、という考えもあるだろう。私もそう思う。
でも、無理なのだ。どうすればいい?
いい子ちゃんをしていれば、担任の先生はこの子なら仲良くしてあげてくれる、と勘違いしてなにかとペアにさせてくる。
こういう時ってどうしたらいいんだろうね。
友達って永久なものかな。
クラスが同じ時は仲良くても、離れると完全に縁が切れる子っている。この子とはもう友達って言えないのかな。お互いを利用するだけしてすぐに切り捨てる関係、表面上だけのオトモダチは私になにをもたらしてくれるのだろう。
友達はたくさんいるほどいいの?
それは、表面上の?
それとも
絶対に切り捨てることのない友達を少しがいいの?
あなたはどっち派??
先輩と呼ばれるのには、まだ慣れない。
去年までは中学一年生で、先輩と呼ぶことしかなかった。それなのに、急に下学年がやってきて、後輩をまとめる立場になり、敬われるのはくすぐったい気持ちと多少のやりにくさがある。
先輩が卒部して、完全に自分達の部活動になった。
方針を定めるのも、部活の雰囲気作りも、他部活との連携の取り方も自分たちの判断一つで決める。
頼られる人になりたい、かっこいいと思われたい、先生からの信頼を得たい、いろいろなものが積み重なって、自分のペースを乱していく。
部長になった。
選ばれたことが嬉しかった。
大変だった。
難しかった。
他の部長ができていることができなくて焦った。
辞めた方がいいんじゃないか、と思った。
後輩からの相談を受けた。同学年からも相談があった。
悩ませてしまっている自分が情けなかった。
それでも部活自体は楽しい。
チームみんなで目標を達成できた時は、泣くほど嬉しい。無邪気に「頑張ってください」と応援してくれる後輩がいる。こっちは緊張で押しつぶされそうなのに、簡単に言ってくれるな、と思うこともあった。でも、そんなものは一時の感情で、なんだかんだ勇気をもらった。
未だに指導する立場には慣れない。
自分の考えていることがちゃんと伝わっているのか、自信がない。いつも申し訳ない態度で、後輩にも下手にでる。もっと堂々とすればいいのに、と自分で自分に言う。
先輩はこんなではなかった。
もっとしっかりしてた。
手探り状態ではなく、びしっと後輩の憧れのような行動をする人だった。自分の理想と現実の決定的な違いが自分を苦しめる。
『今度の試合、見にいくからな』
先輩からの一件のLINEを今日の朝から、ずっと無視している。既読をつけた後、なんと返せばいいのか分からない。返事の正解を見つけたら、既読をつけようと思っていたが、そんなもの見当たらない。
こんな自分を見て欲しくない。
部長として機能しない自分を見られるのは恥ずかしい。
でも、きっと後輩として受け入れる返事が正解なのだ。
『はい!来てください、絶対ですよ!』
どうすれば、大会までに良い部長になれるのか。
どうしたら先輩みたいになれるのか、そんな問いばかりがぐるぐる頭を駆け回ってしまう。
『おまえ、部長できてるか?俺が最初の時はごたごたしてたから、大変だったよ。おまえも多分大変なことあると思うけど、悩みすぎんなよ』
『また、電話するわ』
二件のLINEがきた。
自分の思考を読み取ったような先輩の言葉は、いつのまにかぼろぼろになっていた心を修復してくれるような温かさがあった。
『先輩、話こんど聞いてください』
一人で解決しなくても、先輩に頼っていいのだとやっと思うことがあるできた。
「私がもし、カエルでも愛してくれる?」
底に溜まったジュースと溶けかけの氷をくるくるとストローでかき混ぜながら、僕の彼女は言った。
「無理だね」
なんの躊躇もなしに言う。
カエルは僕が一番大嫌いな生き物。
それが大好きな彼女の本当の姿なら、悲しいが別れを決意する。だって、彼女は本来の姿を愛してほしいと当然思うだろう。でも、僕はできない。どうしても。
それに、カエルになってしまったら、彼女は彼女でなくなると思うのだ。
僕の愛するのは彼女は、人間で、かつ愛らしくて、気遣いができて、会話をすることができる、というのが大前提。もちろん他に好きなところはたくさんある。
どんな私でも愛してくれる、って言って欲しかったと、これで言ってくるなら、僕は彼女に言いたい。
嘘をついてまで君をそばに置いておきたく無いんだ、と。
「まあ、そりゃそーだよね。私もあなたが大嫌いな蛇だったら、愛せないもん」
へらぁと彼女は笑った。
僕の彼女は、よくこんな、「もしも」の話をしてくる。その都度僕は真剣に考えているのだが、彼女の知ったことでは無いのだろう。
どんな姿でも愛する、と誓える人がいるなら大した執着だどんな僕は思う。
むしろ、それを言われた方はどんな気持ちになるのか。
歳をとっていくことを考えれば、皺が増え、皮がたるみ、目が窪んでいく姿さえ愛してくれると言うのなら、安心ではあるかも知れない、とは思った。
目を覚ますと、彼女が隣にいない。
彼女の温もりはベッドに残っていない。随分と早く起きたんだな。
目をこすりながらリビングへ行く。
だが、「おはよう」の言葉に返事をくれる彼女はいなかった。
おかしい。
彼女には今日は何も予定がなかったはず。
玄関の靴をみても彼女がいつも履く靴はある。
じゃあ、どこへ行ったんだ?
隠れているのかと少ない部屋を探し回る。いないいないいない。
ふと、昨日の会話を思い出す。
なんだったか、彼女がカエルだったら、といった話だった。
音を立てながらベッドへ向かう。
うすい掛け布団をめくると、いた。カエル。
これは僕の彼女なのか……?
人間に化けるカエルなんて聞いたことがない。
まず、僕はこのカエルと寝ていたということに気持ち悪さを覚える。人間の彼女ならいいがカエルの彼女はやだ。
お願いだから、人間に戻ってくれ。
お願い。これじゃあ君を愛してやれない。
ごめん。本当の姿を好きになれなくて。
ごめん。昨日は無理って即答して。
「お願いします」
ベッドの上で土下座をして、泣きながらカエルの彼女に請う。大好きなのに嫌いという矛盾が辛い。どうしたら戻ってくれるんだ。どうしたら、なにをしたら。
「何してるの?」
彼女の声がした。カエル姿でも話せるのか。
「土下座です。ごめん、カエル姿の君を愛せないんだ。だから人間に戻ってくれ。お願い」
これ以上ないほど頭を擦り付ける。
「いや、私カエルになってないし。後ろ後ろ、見てよ」
「へ?」
言われるがまま振り返る。
「すごっ、めっちゃ勢いよく振り返ったね。ほら、私人間。なに?昨日の本気にした?」
ニヤニヤ聞いてくるがそんなもの気にしない。
「うっっうぅ、ぐすぐす」
「え、なんで泣いてんの?どした?え?おっと?」
我慢ができずに彼女を抱きしめる。
戸惑っていたけれど、背中をトントンしてくれてなんとか僕は落ち着くことができた。
「で、どうしたの?」
「目が覚めたら、靴はあるのに君がいなくて。そしたら、ベッドにこいつがいるから、君なのかと思ったんだ」
カエルを指差すと、彼女は無言で捕まえて外に逃した。
「カエルがいたら、外に逃してほしい。流石にベッドの上は汚い。このベッド洗うから」
君だと思ったから、出さなかったのに。
僕が悪いのは重々承知しているので、素直に頷くけど。
好きだなぁ、彼女のこと。
「ねぇ、結婚しよ……ごめん、やっぱ今のなし」
「え、うん。私も聞かなかったことにするね。もっとそういう雰囲気の時に言って欲しいな」
「うん。そうする」
そして、彼女を抱き抱えて彼女の匂いを嗅ぎながら、
彼女の尊さを今日も実感するのだった。