『耳を澄ますと』
これはとある屋敷で働くメイドのお話。
寝ぼけ眼を擦りながら洗面所へ向かう
わたしの耳に何かが聞こえてきました。
屋敷の外に広がる深い森からは
様々な生き物たちの声がします。
怪鳥の不気味な鳴き声 梟のホウホウと鳴く声
夜鷹の震えるような声 キツネの吠える声
ですがわたしの拾った音は
このどれでもありません。
それは屋敷の中から聞こえてくるもの
柱時計が時を刻む音ともう一つ。
ゔ…ゔゔ…ゔゔゔゔゔ
その声は、絶対に行ってはならないと
言われた地下室から来るものでした。
わたしは頭の中で鳴り響く警鐘を無視して、
地下へと繋がる階段を一段ずつ降りて行きます。
そして扉に手をかけようとした瞬間 ⎯⎯⎯
「ベッキー?」
背後から突然声をかけられ驚いて
心臓が止まりそうになりました。
「お、お、お嬢様?!」
そこにいたのはネグリジェ姿のお嬢様。
手にした燭台の炎が揺らめき、
暗闇の中に浮かび上がるそのお姿は
美しいだけではなくどこか蠱惑的です。
「こんな所で何していますの?」
お嬢様はわたしに尋ねます。
「あ、えっと、地下室から物音が
聞こえてきたので、誰かいるのかなって」
そう答えると、お嬢様はわたしの方へ
手を伸ばし、顔に張り付いた髪を耳にかけて
優しく頬を撫でられました。
「きっと寝ぼけていらっしゃるのですわ」
赤い瞳に見つめられると頭がぼうとして、
体から力が抜けていく感覚を覚えました。
くらりと前によろめくと、お嬢様がわたしの体を
支えて、幼子を眠りにつかせる母親のような
声色で語りかけます。
「おやすみなさい、ベッキー」
柔らかな胸に抱かれ、わたしの意識は
そのまま闇へと沈んで行きました。
『二人だけの秘密』
「おかしいですわ、
確かここに置いてたはずなのに」
倉庫でお気に入りのクッションを探していると、
見知らぬ大きな箱を見つけた悪役令嬢。
あら、これは何かしら。
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「今月の分です」
「ありがとうオズワルド」
魔術師から発作を抑える薬を受け取ると
何処からか悲鳴が聞こえてきた。
二人が急いで駆け付けると、
倉庫の中で巨大な軟体生物が蠢き、
悪役令嬢の体に巻きついていた。
「こいつは一体……」
「ミミックです。何故このような魔物がここに」
セバスチャンが主の体に絡みつく触手を
引きちぎって、 魔術師が炎の魔法で
触手を生み出している宝箱を燃やすと、
箱は悲鳴を上げながら灰となって消えた。
「主、しっかりしてください!」
セバスチャンは腕の中でぐったりしている
主に呼びかけるが、全く反応がない。
「今のお嬢様は魔力が枯渇している状態です。
このままだと衰弱して命を落とす可能性も」
「どうすれば助かる?」
「魔力を供給すれば良いのです。輸血するようにね」
一呼吸置いてから、魔術師がその方法を教えた。
セバスチャンは目を見開き首を横に振る。
「それは駄目だ」
「ですが他に方法はありません」
「しかし……」
「セバスチャン、これは彼女の命に関わることです」
「……」
セバスチャンは、魔術師の真摯な瞳を見つめて、
それから腕の中の悪役令嬢に視線を移す。
青白い顔と徐々に下がっていく体温を
感じながら彼はゴクリと喉を鳴らした。
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書斎で大きく伸びをする悪役令嬢。
私、眠っていたのかしら。
「お嬢様」
「あら、魔術師ごきげんよう。
セバスチャンに薬を届けに来てくださったの?」
「ええ……それよりも体調は如何ですか?」
「私はすこぶる元気ですわ。今なら何でもできそう」
髪をかきあげながら機嫌よく話す
悪役令嬢に魔術師は目を細める。
「……それはよかった」
「さて、今日中にこの書類の山を片付けて
しまいましょうか。セバスチャン」
「……あ、はい」
話題を振られたセバスチャンが咄嗟に答える。
「セバスチャン、どうかしましたの」
「なんでもないです……すみません」
そう言って部屋を出ていくセバスチャン。
「では私もこれで失礼しますね」
その後に続く魔術師。
二人ともいつもと様子が変ですわ。
何か後ろめたい事でもあるのでしょうか。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「オズワルド」
目を合わせると魔術師はゆっくりと頷く。
「大丈夫、二人だけの秘密です」
『優しくしないで』
あたしの名前はモブ崎モブ子!
私立ヘンテコリン学園に通う高校一年生。
あたしは現在、学園西側に位置する
「秘密の花園」と呼ばれる場所に来ています。
ここは生徒達も滅多に立ち寄らない
絶好の穴場スポット!
一人で考え事したい時なんかによく訪れるのだ。
風に揺られてざわざわと音を鳴らす木々や
馨しい花の香り、涼やかなそよ風に癒されていると、
誰かの気配を感じた。
振り向けばそこにいたのは入学当初から
気になっていた銀髪の不良青年。
精悍な顔立ちと、制服の上からでもわかる
野生の獣のようなしなやかで引き締まった
体つきに目を奪われる。
「おい、あんた」
不意に声をかけられて辺りをきょろきょろと
見回す。ここにはモブ子と不良以外誰もいない。
え、あたしのこと?
不良イケメンがどんどん距離を詰めるので、
あたしはどんどん後ずさった。
ほどなくして背中がレンガの壁にぶつかる。
ひええええええええ
これが噂の壁ドンって奴?
金色の瞳に見下ろされると、まるで肉食獣に
狙われる小動物みたいな気分になってしまう。
不良イケメンはあたしを壁際まで追い詰めると、
こちらへ手を伸ばしてきた。
反射的にぎゅっと目を瞑る。
びくびくと震えながら身を縮こませていると、
髪に優しく触れられる感触がした。
恐る恐る瞼を開くと、
彼は指に黄金色の細長い物体を摘んでいる。
「芋けんぴ、髪に付いてた」
カリッ
そう言って不良イケメンは手にした芋けんぴを齧った。
ちらりと見えた鋭い犬歯がワイルドで
不覚にもドキッとしてしまう。
う…わ──────!!!!!
今朝食べてきた芋けんぴじゃん。
超恥ずかしい!!!
湧き上がる羞恥心に悶える中、
あたしは次の言葉を必死に紡いだ。
「あ、あの!ありがと──」
「セバスチャン!」
お礼を言おうとした瞬間、
誰かが名前を呼ぶ声がした。
「!主」
彼はその声を聞いた途端、飼い主に名前を
呼ばれた忠犬のように背筋をピン!と伸ばして、
声のした方向へ一目散に向かった。
その場に一人取り残されるあたし。
視線の先では、不良イケメンと高飛車お嬢様が
何やら親しげに話している。
……。
…………。
「優しくしないで」
小さく小さく虫の鳴き声よりも弱くそう呟いた。
それは一体どちらに向けて放った言葉だろう。
モブ子は自分の中に芽生えた感情の名前を
まだ知らなかった。
『カラフル』
「こんばんは、お嬢様」
夜風に揺れるカーテンと窓辺に佇む黒い人影。
「魔術師、ご用件は何ですの?」
悪役令嬢が声をかけると、魔術師は微笑みながら
見慣れないお菓子の箱を取り出しました。
「紅茶のお供に茶菓子をご用意いたしました」
「結構ですわ」
きっぱりとした口調で断る悪役令嬢。
「主、お茶をお持ちしました」
「お嬢様、探してた本が見つかりましたよ!」
そこへ執事のセバスチャンとメイドのベッキーが
やって来ました。
「セバスチャン、お菓子はいかがですか?」
眉をひそめて、箱の中身を覗き込むセバスチャン。
「これは一体…」
「百味ビーンズ。色んな味が楽しめるお菓子です。
君もおひとつどうですか?」
魔術師がベッキーに話しかけると、
「えっ、いいんですか?!
じゃあ…あたし、これいただきます!」
好奇心旺盛な彼女はエメラルドグリーンの
ビーンズを受け取りました。
「べ、ベッキー…大丈夫ですの?」
「はい!爽やかな甘酸っぱさが口の中に広がって
美味しいです!」
「ベッキーが食べたのは青りんご味ですね」
お菓子の箱に添付された説明書を読むセバスチャン。
「セバスチャンさんも食べてみてください!」
「…では、俺はこれを」
ベッキーに促されたセバスチャンは、
蛍光色のビーンズを摘んで口に含みました。
「レモンの味がします」
「さあさあ、お嬢様もどうぞ」
にこにこと笑みを浮かべる魔術師に押し付けられ、
嫌々ながらも箱を受け取る悪役令嬢。
青りんご、レモンと無難な味が
続いたならばきっと大丈夫ですわ。
悪役令嬢は斑点の入った
橙色のビーンズを取り出します。
おそらくこれはオレンジ味。
口に入れた瞬間襲ってきたのは、
胃酸を思わせる酸っぱさ、苦み、ちょっとした辛味。
まずい。
飲み込めないほどまずいですわ。
口元を押さえながら震える手付きで
ティーカップを掴むと、紅茶と一緒に
無理矢理流し込みました。
「こ、これは何ですの」
後ろめたそうな顔で
セバスチャンがそっと口を開きます。
「主が食べたものは…ゲロ味です」
げ、ゲロ味ですって??
「お嬢様!どうやら当たりを引いたみたいですね。
おめでとうございます笑」
隣でくすくすと笑う魔術師を見て苛立った悪役令嬢は、
「人に食べさせておいて、
あなたが食べないのは不公平ですわ!」
とクリーム色のビーンズを摘み
彼の口へ押し込みました。
驚いた顔をして、彼女の指先ごと口に含んだ
魔術師は神妙な面持ちで俯きます。
「お味はいかが?」
「…甘みの中に苦みが混じっていて、
何ともいえない味です」
「セバスチャン、説明書を読んでちょうだい」
「はい主。オズワルドが食べたのは、耳くそ味です」
「オーホッホッホ!ざまあごらんなさい!
私を笑った報いですわ!」
高笑いする悪役令嬢の横で首を傾げる魔術師。
「でも案外いけますよ」
「えっ」
それから四人はゲテモノ味に怯えながらも
何だかんだ百味ビーンズを楽しみましたとさ。
『風に乗って』
屋敷で働くベッキーが庭の掃除をしていると、
何やら怪しげな生き物を見つけました。
「お嬢様!お嬢様!」
「そんなに慌ててどうしましたの、ベッキー?」
「に、庭に猫が……」
ただの猫ではありません。
二人が庭へ行くと、そこには紫色の毛並みを
した猫が風に乗ってぷかぷかと浮いていました。
「まあ、チェシャ猫ではありませんか」
「チェシャ猫?」
「知人の店で飼われている猫ですわ。
どうしてこんなところに」
チェシャ猫は、うにゃうにゃと鳴きながら木にぶつかり、ボールのように跳ね返ったかと思いきや、今度は妖精のように姿を消して、悪役令嬢とベッキーの目の前にぽん!と現れたのです。
「にゃ~お腹が空いて力が出ないにゃ~」
どうやら空腹のご様子です。
「ただいま戻りました」
ちょうどその時、買い出しを終えた
セバスチャンが市場から帰って来ました。
手には大きな箱を抱えています。
「おかえりなさい、セバスチャン。
その白い箱は何ですの?」
セバスチャンが蓋を開けると、
中には銀色に煌めくマグロが入っていました。
「うわあ!よかマグロったい!」
ベッキーが栗色の目をきらきらと輝かせています。
「ああ、漁師が勧めてくれたんです。
新鮮で活きのいい魚が手に入ったと」
「生で食べても美味しいみたいですよ!お嬢様!」
「あら、いいですわね」
「うまそうだにゃ~」
セバスチャンが宙に浮かぶ紫色の毛玉に
訝しげな目線を向けます。
「主、この魔物は……」
「魔術師のところに住むチェシャ猫ですわ」
「マグロが食べたいにゃ。
食べるまで帰らにゃいにゃ」
その日の夕食はマグロのおさしみに、マグロとアボカドのサラダ、ネギトロとマグロのステーキでした。
「うみゃいうみゃい」
ご馳走をぺろりと平らげたチェシャ猫は、
満足気に口元を舐めると、悪役令嬢の膝の上
に寝転がって毛繕いを始めました。
それから数日間、チェシャ猫は悪役令嬢の屋敷に住み着き、暫くしてから魔術師が迎えに来て一緒に帰りましたとさ。
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※セバスチャンやチェシャ猫は魔物なので
アボカドやネギを食べても大丈夫です!