雨上がり(6/1分)
ザーザーと音を立てて、雨が降っている。
こんな雨の中なのに、彼女は傘も持たずに部屋を飛び出した。
今頃ズブ濡れだろう。
追い掛けるべきだったが、ドアを開ける手が止まる。
彼女は雨の日が嫌いだった。
濡れるのがイヤだからだ。
それなのに、土砂降りの中に傘も差さずに出ていった。
それが何を意味するのか。
ここは、俺と彼女が同棲している部屋なのに。
俺は彼女を愛していたのに、もう終わりなのだろう。
俺は愛していたのに、彼女には上手く伝わっていなかったようだ。
彼女はいつだって、好きだと、愛してると気持ちを伝えてくれたのに。
俺の好きなカレーや、唐揚げを作ってくれたり、部屋の掃除をしてくれたり……。
ああ、俺に愛想を尽かしたのか。
俺は彼女にやってもらって当たり前だと思っていた。
愛しているなら、家事をやって当然だと。
彼女も喜んでそれをしていたから、俺はそこに自分の驕りがあるとは思わなかった。
やっぱり、彼女を探すことにした。
自分の黒い長傘を差して外に出る。
ズブ濡れの彼女を公園のベンチで見付けた。
彼女に傘を差し出すと、顔を上げて泣きそうな顔をしている。
ごめん……。
頼むから、戻ってきてほしい。
俺が悪かった。
俺は絞り出すように話した。
雨が上がった。
彼女の顔に虹が掛かった。
歌
それは不思議な歌だった。
心がふわふわと軽く透明になる。
彼女の歌声はそんな魅力を兼ね備えていた。
私は彼女の歌声が大好きでいつも歌ってとせがんでいる。
友達なのに、まるで母親に童謡をせがむ子供のように。
彼女もそんな私のことを子供みたいと笑っていた。
本当は対等になりたかった。
貴女の一番になりたかった。
貴女と共に生きたかった。
彼女と出逢ったのは、私が高校に入学した時。
彼女は新米教師なのだ。
彼女は私が入った文芸部の顧問になった。
とはいえ、部員は三人しかいない。
三年生の部長の先輩は兼部していて、文芸部の部室には文化祭の頃しか来ないほどだ。
だから、実質二人で活動していた。
活動していたとはいえ、図書室の片隅で本を読んだり、他愛もない話をしたりしていただけだ。
私は友達が少なく、彼女もそんなタイプのようだった。
正直、彼女は教壇に立つタイプではない。
でも、他になりたいことがないから、両親のように教師を目指したそうだ。
私のようにはならないでね、が口癖だった。
放課後の部活動の時間は、本を借りる生徒や、勉強する生徒はほぼいない。
だから、二人きりのことが多い。
今日もそんな二人きりの部活動(という名の暇潰し)をしていた。
暇潰しだから、歌だって歌う。
何かの話でどんな歌が好きかという話題になり、彼女が歌うことになった。
一度歌ってもらうと歌声がクセになり、私はいつもせがむようになった。
そんな時間が大好きだったのに。
ある日、彼女は部活動に来なくなった。
初めは職員会議で遅くなっているのだろうと思った。
そういう日もあるからだ。
特に毎日来てほしいと言ったことはない。
ただ、私が一人でここで過ごしていることを知っているから結果的に毎日来てくれているだけだ。
授業の準備や、テストの準備など忙しいことだってあるだろう。
実際、テスト前は私も遠慮して教科書を開いて勉強している。(ほぼしてる振りだけど)
そういう時は彼女も忙しいのか来ない。
たまに来ては、今日は来れないからごめん!とわざわざ言いに来てくれる。
でも、今日はそれもなかった。
実は風邪でも拗らせて学校自体にいないのかもしれない。
私は気になって、職員室へ行った。
職員室はいつもよりザワついている。
何かあったのか…とこちらまで不安になる。
彼女を探してもやはり見つからない。
私は近くにいた女性の先生に話し掛けようか迷った。
すると先生から話し掛けられた。
「もしかして、いつも図書室にいる子?」
「えっ…あ、そうです…文芸部の斎藤です」
別の学年の教師のため、話すのは初めてだ。
向こうに把握されているとは思わず声が裏返る。
「貴女にこれを…と預かっていたの」
「?」
先生に手紙を渡された。
宛名は彼女からだ。
「あの、……吉野先生は今日お休みですか?」
「……」
彼女は気まずそうに押し黙っている。
私は何故か嫌な予感がした。
「とにかくその手紙を読みなさい」
と一言行ったきり、もう私と話は終わったかのように、目の前のパソコンで仕事を再開している。
「……ありがとうございました。失礼します」
何だか腑に落ちなかったが、手紙が気になるため、職員室を後にした。
誰もいない図書室へ戻ってきた。
一応誰にも見られないように本棚の裏で隠れて手紙を開ける。
『ごめんね、ありがとう、楽しかったよ。
P.S もう歌を歌ってあげられなくてごめんね』
とそれだけが書かれていた。
ところどころ、インクが滲んでいる箇所がある。
恐らく、泣きながら書いたのだろう。
翌日、彼女が亡くなったと全校集会で聞いた。
まるで、耳に入らない。
もう、朗らかに透き通った声で歌う彼女の姿は見れない。
あんなに仲良くしていたはずなのに、いつも楽しそうだったのに、どうして命を経ったのだろう。
私にはそんな様子微塵も見せなかったのに。
友達のように親しくしていたと思っていたけど、結局、教師と生徒でしかなくて、歳も8歳ほど離れていたから、歳の離れた妹のような扱いだったのかな。
私はこっそりスマホで録音していた歌声を聞く。
せめてこの歌声を再現出来ないだろうか。
私はあまり勉強は出来なかったけれど、それから猛勉強して大学へ行き、ロボット工学を専攻した。
そして卒業後、彼女の声に近い声を再現させることに成功した。
動画サイトへアップすると、たちまち人気になった。
彼女の声は今や世界中の人を癒やしている。
でも私だけが本当の声を知っている。
空に溶ける
暑い日差しに手をかざしてみたら、手がみるみるうちに空に溶けてしまった。
「えっ……」
わけもわからず混乱して、手をグーパーするも、その手はどんどん透けていき、指先は見えなくなり、掌も見えなくなってきた。
「どういうことなの……」
怖くなり、一人で呟いていると同じ高校の制服を着た女の子がやってきた。
「あなたは悪霊になりそうだった幽霊よ。今、浄化してやっと自我が戻ってきたの」
女の子は淡々と話している。
手には謎の黒い杖のようなものを持っていた。
あれが浄化するためのアイテムなのだろうか。
「ゆう、れい……?私、死んでるの?」
私は目を見開き、途中まで消えかかった体を見ながら質問した。
「残念ながら、そのようね」
言葉とは裏腹にそこまで残念そうではない。
それが無性に腹が立つ。
「そんな……!まだ私やりたいこと沢山あったのに……!!」
私は彼女に掴みかかりたい気分だったけど、掴む手がないため、声を荒らげることしか出来なかった。
「そう、それなら尚更、ここには留まらずに天界に行きなさい。そしたら、いつかまたこの世界に戻ってこれるはずだから」
彼女は淡々と喋っていたように見えたが、その目は憂いを帯びている。
「……もう、この体は生き返らないのね」
彼女の表情からもうここにいても仕方がないのだと何となく諦めがついた。
「なら、早くその天界とやらに送って!」
私は叫んだ。
「もちろん」
彼女は黒い杖のようなものを私に向かって縦に上へと振り上げる。
すると、急に強い風が舞い込み、竜巻のような風に飲み込まれ、空へと飛ばされた。
私は空へとは消えるまでの間に色々考えた。
これが走馬灯というやつかな。
好きな人と付き合えたばかりだし、スタバの新作を友達と行く予定だったのにまだ行けてないし、週末は初彼氏と初デートで観たかった映画を鑑賞予定だった。
将来は看護師になりたかった。
元々身体の弱かった私は小学生時代は入退院を繰り返すほどで、母には沢山心配掛けた。
その分、将来恩返しがしたかったのに……。
それもこれも全部吹き飛んだ。
でも、来世があるなら、私は今度こそ天珠を全うする!と決めた。
で、出来ればどういうきっかけでも、関係でもいいからまた母に会いたい。
母の助けになるなら何でもしたい。
そうして、私は天界へ行った。
彼女は来世は友達になれたらいいねと呟いた。
まって
「待ってッ!!」
幼馴染の優子に横断歩道を渡ろうとしたら呼び止められ、腕を引っ張られた。
「ッ!?」
急に強い力で引っ張られたから体勢を崩してそのまま優子にのしかかる状態に。
「キャッ!?」
「うわっ!わ、わりぃ…」
思わず離れる。
後ろからは信号無視したトラックがゴーッと音を上げて通り過ぎていく。
「もしかして…助けてくれたのか…?」
「よかった…間に合って…」
優子は安堵で涙を流している。
確かに引かれたら最悪だと俺の命はなかったかもしれない。
「一億5989回目だったの…」
「え?何が?」
何だその途方もない数字は。
「私、結城を救おうとして、でもいつも救えなくて、一億5989回目のループでやっと救えたの…ッ!本当によかった…ッ!!」
急にこんな話をされても俺は信じる人間ではない。
でも、幼い頃からの幼馴染の優子は真面目で、こんな冗談言うタイプではい。
優子はしゃっくり上げて泣いて俺を全身で抱き締めている。
俺はどうすればいいか戸惑い、とりあえず抱き締め返して頭や背中を優しく撫でた。
まだ知らない世界
この世界はまだまだ知らないものがたくさんある。
そう、踏み出したことのない世界がたくさんある。
手を掴む前に届かずに投げ出すものばかりだけど、もうそれはやめた。
とことんまでやってみよう。
そしたら何か見えてくるはずさ。