小説
迅嵐
二人の非番が重なる貴重な日。俺たちはショッピングモールに遊びに来ていた。久々のデートに俺は柄にもなく舞い上がっていた。
「久しぶりだな。ショッピングモールなんていつぶりだろ」
隣の迅はくるりと辺りを見渡すとニコニコと笑っていた。その表情から悪い未来は見えていないと察す。
「だな、本当に久々だ。どこから回ろうか」
すると後ろから声をかけられた。
「お兄さん達、一緒に遊びません?」
「え?」
振り向くと、若い二人組の女性がこちらを見ていた。
「お友達同士で買い物ですか?」
一人の女性が笑顔で話しかけてくる。……友達…。まぁ普通は友達に見えるよな…。
恋人同士に見えていなかったという残念な気持ちを抑えながら、どうやって断ろうかと悩んでいると、横からにゅっと迅の腕が伸びてくる。
その手はそのまま手持ち無沙汰だった俺の手を握りしめた。
「いやぁごめんねお姉さん達。おれ、今こいつとデート中だから」
そのままさっさと背を向け、迅は俺の手を引きながら歩き出してしまった。
しばらく歩いて女性たちが見えなくなると、俺は今だ前を向き続けている迅を引き止める。
「ま、待て迅。良かったのか?あのまま置いていってしまって…」
迅は振り返ることなく、俺の手を強く握り直しながらぽつりと呟いた。
「……友達じゃねーもん」
迅の表情を伺うと、子供のように拗ねた顔で俺をじっと見つめ返してきた。その姿のなんといじらしいことか。あまりにも可愛くて、先程の悲しい感情はすっかり消え失せていた。
「はは、恋人、だもんな?」
俺は未だ少し不貞腐れている迅の手を引くと、可愛い恋人に、アイスが食べたいとおねだりをするのだった。
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おばみつ※転生if
「行かないで」
遠慮気味に俺の服の端を掴み、蚊のような小さな声で彼女は呟く。その美しい瞳から大粒の涙を幾つも零していた。初めて見る甘露寺の姿に俺はおろおろと情けなくうろたえることしか出来なかった。
彼女は、俺に弱音を吐いたことが一度も無かった。いつも明るく気丈に振る舞い、彼女を見た者は皆笑顔になる。そんな存在が甘露寺だった。
「か、甘露寺、どうしたんだ。何があった」
俯く彼女に俺は何も出来ず、自らの不甲斐なさを恨んだ。彼女にこんな顔をさせたくなど無いのに。
「…いかないでよぉ…」
くしゃりと顔を歪めた彼女は、俺とは目を合わせず掴んだ服の裾を一層強く握りしめる。
「…何処にも行かないよ。ほら、そこに座ろう」
頬の涙を拭うと、近くにあったベンチに二人で座る。
「どうした、何があったんだ?ゆっくりでいいから俺に教えてくれ」
優しく促すと、彼女はぽつりぽつりと話してくれた。
「……あのね、あのね伊黒さん。私、夢をみたの。ずっとずっと昔の時代の夢。…貴方も私も何かと戦っていて…皆傷だらけで…」
彼女の語る夢の話。
「伊黒さんは…私を助けるために、一人で戦いに行っちゃって…。でもね、行かないで欲しかったの」
「…甘露寺…」
「それでね、それをさっき思い出しちゃって、心がぶわーってして、ぎゅーってして、とっても悲しくなっちゃったの」
彼女の手は強く握りしめられていて、真っ白になってしまっていた。
「……ごめんなさい、訳分からないよね。…忘れて…」
俺より少し背の高い彼女が、今は触れてしまえば消えてしまいそうなほど小さく見えた。俺は彼女の白くなってしまった手に自らの手を添える。
「…甘露寺、俺はここにいるよ」
はっと顔を上げる彼女の目を優しく見つめる。若草色の瞳がゆらゆらと儚げに揺れていた。
「…まだ、ちょっと早いかと思っていたんだが…」
俺はポケットの中にある、小さな箱を取り出す。
彼女は目を見開くと、視線を俺に戻した。
「きっとこの先、俺はまた君を不安にさせてしまうかもしれない」
「…」
「けれども約束しよう。俺は何があっても君を一人にはしない。ずっとずっと一緒に生きていこう」
…もっとちゃんとしたレストランとかでしようと考えていた。一生に一度のことだから。彼女が喜ぶのはどんなのだろうと、何度も考えた。だけど、今しなければ意味が無いと思った。今だからこそするべきだと思った。
俺は立ち上がり彼女の目の前に立つ。そして跪くとゆっくりと箱を開けた。
「俺と結婚してください」
もう二度と置いて行ったりしないから。君とずっと一緒にいたいから。
彼女の涙と手元の指輪が光を受け、星のように輝いていた。
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千ゲン
遡ること三十分前。
「あ゙ーーーー……」
俺は乱暴に頭を掻き回す。アイデア作りの作業に手をつけ始めて早数時間。目の前には白紙の紙一枚。今日までにこれを終わらせないと、この後の作業が滞る。その事実が俺を更に焦らせた。
「千空ちゃ〜ん、捗ってる〜?」
ゲンは間延びした声で俺を呼ぶ。
「…捗ってるように見えっか」
「いーや全然。だからさ千空ちゃん」
「あ?」
「丘に行こうよ」
そして現在。俺たちは小高い丘の上へ来ていた。ゲンと二人並びながら、どこまでも続く青い空をぼんやりと眺める。流れる雲を目で追っていると、視界の端から腕が伸びていることに気がつく。横を見るとゲンが空を指さしていた。
「ねー千空ちゃん、千空ちゃんは何で空が青いと思う?」
「あ゙?空が青いのは、あの太陽の光が地球の大気を通過するときに波長の短い青い光が散乱して…」
「わーっ!違う違う本当のこと聞いてるんじゃなくて」
「?」
「想像してみてよ」
ゲンは立ち上がり、クルクルと踊るように俺の周りを歩き出す。
「実は空には大きな鏡があって、海の色を映してるから青い、とか。神様が絵の具を間違えて垂らしちゃって青くしちゃったとか……それだと夕焼けの説明がつかないか」
ゲンは再び俺の横に座ると、空が青い理由を想像して様々なことを話し続けた。いつもは事実に基づいた証明出来ることばかりを考えているせいか、その柔軟さは中々新しい視点だと思った。本当に楽しそうに話すゲンを見て、俺は思わず目を細める。俺たちの目の前に広がる空と海は、共に青く、深く、そして美しく輝いていた。
「まぁ科学の大好きな千空ちゃんにはちょっと退屈だったかなー」
「…いや、たまには空想話もいいもんだ…。…あ゙」
「えっ、なになに」
「ククク…全部お前のお見通しって訳か…」
「えっえっ」
「てめぇの空想話が俺のグダった脳みそにテコ入れやがったんだ。しっかり手伝ってもらうぞメンタリスト」
あんなに時間をかけても進まなかったアイデア作りが驚く程スムーズに想像出来る。やるじゃねぇかゲン。百億万点やるよ…!
俺はいやいやと駄々をこねるゲンの首根っこをしっかりと掴むと、ズルズルと引きずりながらラボへと戻っていった。
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迅嵐
「実はまだ衣替えしてないんだよね〜」
へらへら笑う迅の服は、こんなに寒いと言うのに半袖のままだった。
「な、なんだって…」
ちなみに今の気温は12度。しかもこれは暖かい方だ。きっとこれからもっともっと寒くなるに違いない。
絶対に、風邪をひく。
「………するぞ」
「え?」
「衣替え!!!!するぞ!!!!!」
「お前全然服持ってないじゃないか!!!」
「ご、ごめんって…」
彼の必死の静止を振り切ると玉狛支部の迅の自室に向かい、勢い良くクローゼットを開ける。スカスカのクローゼットを前に俺はわなわなと体を震わせ、後ろで縮こまっている迅に顔を向けた。
「どうりで最近俺を玉狛に泊まらせないわけだ…」
「……この未来が…視えてたもんで…」
「しかもなんで三着しかないんだ……」
「ごめん……」
完全にしょぼくれた迅は、飼い犬のコロが怒られた後の様子にそっくりだった。完全に一致したせいで怒るに怒れず、むしろ可愛く見えてきた。
「ふ…いや、こっちこそいきなり上がり込んですまない」
「服か…しばらく買ってないな…」
「前回服を買ったのっていつだ?」
「………………」
「おい迅」
「…………2年前……」
「………………」
「ごめんって!!!」
冗談はさておき、本当にどうすればいいのか。金銭面での問題は無いはずだが、如何せん服を買いに行く時間がない。忙しい彼を連れ回す訳にも行かない。ネットで買うのもいいが、届いてみないと着ることの出来ないネットに頼るのは少々心伴い。
「はっ、いい事を思いついた!!」
「えっ」
「ちょっとまってろ迅!すぐ戻る!」
「ちょ、え、嵐山!?」
俺は迅の遠ざかっていく声を聞きながら、玉狛支部を背に自らの家へと向かった。
「…え、これ全部くれんの?」
「あぁ、全部だ」
「さすがにこれは視えてなかったなぁ」
困惑した様子の迅の足元には、俺の家から持ってきた大量の服が積み重なっていた。
それは撮影で一度だけ着たきりだった服がほとんどだった。
「いやよくこれ持ってきたね」
「大変だったから全部貰ってくれ。背丈は一緒だから、ちょうどいいと思うぞ」
「んじゃお言葉に甘えて…」
最初に手に取った服を着るとぴったしで、よく似合っていた。しかしすぐに脱ごうとはしなかった。
すんすんと袖を嗅ぐ迅は俺の視線に気がつくとへらりと笑って言った。
「嵐山の匂いがする」
かっこいいのにかわいい。こんな矛盾したことが世の中にあっていいのか。
悶えながらも俺は、迅の2年ぶりの衣替えを成功させたのだった。
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迅嵐※過去捏造
そこら中から煙とむせ返るような血の香りがした。
「だめだ最上さん!!行かないで!!!」
仲間に支えられないと立ち上がることも難しくなったこの体を、一生懸命にあの人の元へと伸ばす。
「最上さん、最上さん…!!」
だめだよ、ねぇ、最上さん
「いかないで!!」
どんなに泣いても、声が枯れるまで叫んでも、最上さんがこちらを向くことは無かった。
「…おれを一人にしないでよ…」
…
「……ん…じ……ん…!……迅!!!」
「…っ!!」
目を覚ますと、そこは見慣れた自室だった。
浅い呼吸を繰り返し、肺に酸素を送り込む。けれども混乱しているせいか、中々上手く息を吸い込むことが出来ない。
「迅、落ち着け。まずは息を吐くんだ。そうしないと吸えるものも吸えなくなる」
おれは嵐山の言う通りに息を吐く。そして息を吸う。それを繰り返すと、やっと呼吸が楽になった。
「…嵐山…おれ…」
「…凄くうなされていたぞ。それに酷い汗だ。待っててくれ、今タオルを…」
そう言うと嵐山はベッドからするりと抜け出す。
「…っ、まって、」
今さっき見た夢のせいか戻ってこない気がして、おれは反射的に嵐山の腕を掴んでしまった。
「お願い、ひとりにしないで」
腕を引かれた本人は驚いたように目を見開く。
しかしそれは直ぐに、聞き分けのない子供に対しての困ったような、それでいて優しさを隠しきれていないような笑みに変わった。
「…大丈夫、今はタオルを取りに行くだけだ。きっと寝汗で服が濡れて気持ちが悪いだろう?…必ず戻るから」
嵐山の笑顔は、どんな状況下でも安心できるらしい。
不安が残る中、おれは渋々嵐山の腕を離した。
汗を拭き服を着替えると、既に嵐山はベッドに入っており、こちらに向かって手招きをしていた。
素直に嵐山の元へ向かうと手を引かれ、横になると布団をかけられた。
そしておれの頭を抱えると、ぽつりと小さな声で言葉を零す。
「きっと大丈夫さ」
嵐山のとくとくと規則正しい心音がおれの心を落ち着かせる。
「……嵐山は、おれを一人にしない?」
「うーん、…それは分からないな」
「…はは、嵐山らしいな」
まさに三門市のヒーロー、ボーダーの顔、家族を第一に考える嵐山らしい言葉。それが今のおれには重すぎず丁度良かった。
「ほら寝よう、…そうだ、明日の朝ごはんは鮭を焼こうか」
「ん…いいね、楽しみ」
きっと明日はお前が笑っていられるような未来にするから。
優しい音とあたたかな腕に安心しきったおれは、ゆっくりと眠りに落ちていった。