人はそれぞれ理想郷を持っている。
だが、そんなものは現実には無い。
それが理想郷だ。
私が今まで必死に守ってきたものは家族だ。
何よりも変え難い家族だ。
だが、24歳にしてそんな大事にしてきた家族は元々無いことを知った。
今まで繋ぎとめようとしてきたものは手から砂がこぼれ落ちるように一瞬にして消え去った。
私は一体今まで何をしてきたのだろうか。
なんて。
自問自答をし助言を求め疲れ果て今立ち止まってしまっている。
今、私は、空っぽなのだ。
頑張ってきた仕事も行けなくなり。
寝ようとしても寝れず。
頭の中は色んな事でぐるぐる思考が回り続け。
私という存在すら疑っている。
答えは出ている。
シンプルに。
私は仕事を変えて環境を変えて自立をして家を出て自分の人生を生きるのだと。
だが、私は、今、落ちている。
沈んでいる。
泥沼の中にいるように。
休みたいのだ。
心の底から悲鳴をあげている。
奥歯をかみ締め耐えようとしている。
現実はそんなに甘くない。
分かっている。
人に迷惑をかけている。
分かっている。
頭ではなく行動しなければいけない。
分かっている。
いつもの私に戻らなければいけない。
分かっている。
周りに心配かけてはいけない。
分かっている。
笑顔でいなければいけない。
分かっている。
分かっているのだ。
私の生き方はそう簡単には変えられない。
それが性格だからなのかそう生きてきたからなのか。
それは私にも分からない。
いっそ私の全てを否定して背を向けて見捨てて欲しい。
そうすれば少しは楽だから。
人は1人では生きていくことなど出来ないと言うが
私は今1人になりたいのだ。
誰にも干渉されず家族の尻拭いをしなくていいように。
それが私の理想郷。
かつては違った理想郷。
だが、今は枯れ果てた理想郷。
私は今ほかっといて欲しいのだ。
こんな自分を見せたくない。
だが、どこかに吐き出さなければいけない。
その吐き口がここなのだ。
支離滅裂な文章を書いてれば頭の中はスッキリする。
私の中の理想郷を変えたいのだ。
理想郷
久しぶりにここへ戻って参りました。
書くことは好きだけれど自分の性格上長く続けるのはなかなか厳しいので気分次第で細々と書いていければいいなと思っております。
私の最近の私生活なのですがずっと気になっていたカフェ&バーに行ってまいりました。
一人で行くのはなかなか勇気が要りましたが扉を開けたらもうこっちのもんじゃい。ってな感じに閉店間際まで居座りましたね。
家も徒歩圏内でいいお店で良かったなって感じで通うことが決定致しました。
あまり喋ることは得意では無いですが落ち着いた雰囲気とお酒に詳しくてお喋り上手なマスター。
そして陽気な常連客。
とても居心地がいい所でした。
家にいたくないなって思う時が度々あっていつもなら散歩がてらそこら辺を歩き回っていた私ですが金さえあればここに行こうと心に誓いましたね。
昨日2回目行ってきたんですがマスターや定員さんを観察していて思ったことはお客さんと喋りながらでもすごく周りを見ているなと。
ほんとに気配り上手で1人で感心してしまいました。
ひっそりと飲みながら常連さんとマスターと喋りながら。
大人の階段昇ったなと思う瞬間でもありました。
私はもうすぐ24歳になるんですがまだ大人としてはまだまだな部分が多々あります。
それでもまた明日頑張ろうと言えるような休息場所みたいな。
そんな風に自分で思える場所になっていったらもっと素敵だし人と繋がりを持てる場所でもあるのでコミニティーとしてもいいなと。
非現実的な空間とホッと出来る場所。
そんなとこを見つけられて幸せでございます。
話が変わりますが。
私は度々自分反省会を頭の中で開催します。
昔は大人はキラキラして何でもやれると思っていましたが今大人になって子供の方が生きやすいなて感じています。
でも、生きていかなければならないので仕事をやるんですがもう目標も生きがいも夢も全くなくて周りと比べて落ち込んで泣いてどうすればいいか分からないって時があるんです。
全部投げ出したいけど生きるためにはそんなこと出来なくてひとりぼっちで食べるご飯はあんまり美味しくなくて、でも社会人として体調管理もしなくちゃいけなくて。
色んなこと考えてぐちゃぐちゃになってもう死にたいって思っても勿体ないって思う自分と怖がっている自分がいて生きることも死ぬことも出来ない自分に飽き飽きして。
変わるなら自分を見つめ直して行動して経験しなきゃいけないって分かっているのにダラダラと時間だけが流れていっているそんな甘い自分にも嫌気が差して。
もう、人生って不思議で難しくってどう転ぶか分からなくってまるで生まれてから生きて死ぬまで自分自身の運命が最初から決まってたみたいな。
多分、まだまだ人生これから色んなことがあると思うんですが私も誰かにここに居てもいいんだよって言えるようなそんな場所を作れたらな、なんて。
ホッとできる場所を自分で作れたら最高だなと。
皆さんも日々お疲れ様です。
無理していませんか?
泣いていませんか?
人は1人でいると段々自分の存在意義を見失ってしまいます。
疲れたら休んでいいんですよと伝えたいのですが私がそんなことを言った所で実際皆さんが楽になる訳でもないですしむしろ人によっては不愉快になられる方もいるかもしれません。
人それぞれ感じ方も捉え方も違って人間関係も難しいですよね。
大丈夫と自分を鼓舞してたまにはゆっくり休んでくださいね。
久しぶりに書いたらこんな長文になってしまいました。
支離滅裂な日本語をここまでかけるなんて私はなんて暇人なんだろうか。
あやふやで始まってあやふやで終わろうと思います。
なんて、私らしいんだ。
ここまで読んでくださって方ありがとうございました。
また、暇な時書きますんでまた皆様に会えたら涙ちょちょ切れます。
ではまた。
【⠀最初から決まってた ⠀】
友だちの思い出はあまり記憶に残らない。
あの時は毎日顔を合わせることが当たり前だったし、なんとも思っていなかったから。
でも、こうして大人になって疎遠になって行った友達の記憶は少なからず覚えている。
たまに、仕事をしながらぱっと思い出すこともある。
大人になった今は友達をつくることも難しい。
なんなら、彼氏をつくることも。
私はこのまま1人で生きていくのかな。
なんて考えたりして。
頭の中でぐるぐる回っている。
風の噂で同級生がどんどん結婚したり子供がいたり。
あの頃とは全く別人になってキラキラしている姿をインスタなんかで流れてきたり。
まるで置いていかれた気分だ。
でも、私は私のペースで生きていたいし行動してない選択をしているのも私だ。
周りと比べてしまうのも私だ。
きっとこんな気持ち私以外にもいっぱい感じてる人はいるんだろうなと勝手に思っている。
そう。
きっと私だけでは無い。
毎日悩んで苦しんで自分と周りを比べて翻弄されて。
人生って自分次第で苦しくもなるし楽しくなるんだろうなって感じてる。
私は、不安だらけだ。
経済的にも自分にも不安だらけで押し潰されそうだ。
どこで間違ったんだろうと思ったとしてもこれから自分がどうするか決めていかないといけないのは分かっている。
人生は甘くない。
分かっている。
でも、多分。
限界なんてとっくに過ぎててもう自分が分からなくなっているんだと思う。
生きている実感が湧いていないんだと思う。
宙ぶらりんにぶら下がっていてたまに「あ、私ちょっと危ないな。」なんて、自分で認識するようになった。
でも、そんな自分を誤魔化しながら仕事して家に帰って家事をする。
最近は半分認知症のおじいちゃんのお世話も増えてきた。
そんな毎日。
いざ、自分の時間ができると1人でぼーっとしている。
決して病んでいる訳では無い。
みんな、病名をつけたがるが人間は悩む生き物だと私は思ってる。
私は今ただ、やりがいがあるものや目標や夢が無いだけで自分がつまらないからこんな気分になっているだけだ。
人生は急にころっと変わる時もあるし目標や夢を持つ事はいつか出来る。
だから、今は後ろ向きになっているだけで人生を終わらせることは自分の意思では選択しないつもりでいる。
それがいつまで続くか分からないが生きてるって実感できるまで頑張るつもりだ。
ひとりひとり。
人生は違う。
嫉妬してしまうほどいい環境やいい人達に囲まれて生きている人もいれば反対に酷い環境や悪い人に囲まれて生きている人もいる。
それぞれ違うスタート地点で生まれて競争するこの世は実に不公平だ。
今の時代は優しさや思いやりや誇りや自分を大切にする心をどっかに置き忘れている。
もはや、希少種だ。
人間は外見至上主義になりつつあると思わない?
そんなのどうだっていい。
私は心がいちばん大切だと思う。
外見ならいくらでも誤魔化せるが心は違う。
一瞬で分かってしまう。
だから、自分を大切にして欲しい。
1番は自分を大切に。
自分は自分にしか守れない。
だから、ゆっくり自分のペースで歩いていこう。
自分の人生だから。
大丈夫。
そう、言い聞かせて。
【 友だちの思い出⠀】
SNSが発達した今の世界は昔のような心の豊かさがないと感じる。
私自身もそうだ。
娯楽、食べ物、服など今の時代腐るほどある。
だが、何故だかぽっかりと心に穴が空いたような気持ちになる。
私はそれはきっと人との繋がりや自分の核となる部分を見失っている人が多いこの時代に昔と比べ欠落している物があるからとだと思う。
私達はもう一度立ち止まって考えなければならない。
確かに便利な世の中にはなったし人と会わなくても連絡は出来るようになった。
知りたいことも分からないことも全てこのスマホさえあれば答えがわかる。
でも、どうだろう。
頼りすぎてはいないだろうか。
このまま進んでいいのか。
いつか後悔する日が来ないだろうか。
私は、昔の人が羨ましいとさえ思うようになった。
私は今のこの世界は生きづらくてたまらない。
どこかでこう呟いても叩かれるか共感の半々だろう。
顔も知らない誰かが自分の正義を自分勝手に振り回す。
それに左右されてしまう。
良くも悪くも繊細な花のように。
私は世界の片隅でもがく。
この世界に慣れてしまわないようにこの気持ちはずっと持ったままでいよう。
慣れてしまえばきっと人の心は貧しくなっていく。
人の心まで失ったら本当に自分がなくなってしまう。
生まれてきた喜び悲しみ苦しみ痛み楽しみを味わってこそ自分だけの人生を歩める。
人と比べて自分が持っていないものを数えるより自分が持っているものを数えたらきっとそれがどれほど大事かわかるだろう。
人は見た目でもお金でも地位でもない。
自分とどう向き合って心がどれほど豊かなのかが重要じゃないのかな。
私達は忘れてしまっている。
人の温かさを。
人の優しさを。
人の繋がりを。
欲張って求めるよりも1度自分を見つめ直して考えることも時には大切だ。
私は今も自分が分からないけれどこんなヘンテコな自分もいつか笑い飛ばせるようになると信じているから生きるよ。
ぶっつけ本番の人生なんて誰も結末は分からない。
ただ、言えるのは一時の感情だけで人生を終わらせてしまうのは勿体ないということだけ。
どんなにつまんなくったってどんなに苦しくたって悲しくたっていつか笑い飛ばせるから。
だから、自分を諦めないで。
感情の波は激しいけど大丈夫。
きっときっと大丈夫。
大丈夫だからさ。
諦めないでよ。
繊細な心はいつか強くなっていくから。
それまで気長に生きようや。
一緒に生きていこうよ。
【⠀繊細な花 】
私の生活は単調だ。
寝て起きて食べて働いて家事をする。
この毎日の繰り返し。
寝て起きて食べて働いて家事をする。
これといった娯楽も無く。
また、これといった趣味も無い。
休みの日はもっぱら家にいてただ過ぎ去っていく時間と共に身を委ねている。
当然こんな奴に恋人もいないし友達と言える人も片手で数える程度。
それが、私だ。
空っぽで何も無い。
食べる物着るもの帰る場所がある。
私は普通に暮らせてる。
幸せ者だ。
でも、私はなんてみすぼらしいのか。
何も成してないし、行動もせず変わりたいと願うだけ願い落ちる所まで落ちた。
泣き虫で臆病で一歩踏み出す勇気も持てない。
私は私が1番分かっているようで本当は1番分かっていない。
いつから間違えたのだろうか。
いっその事生まれて来なければとさえ思った。
人生自体私は怖い。
周りの人から取り残されたと感じる時もあるし自分は自分だといい聞かせる時もある。
前向きな日と後ろ向きな日が交互に来てどっちが私の本心かなんて誰にも分からない。
こんなこと頭でずっと考えながら日常を過ごしたらいつかまたパンクするとわかっている。
でも、考えられずにはいられない。
私は、自分で終わらせることも出来ず自分で始めることもできない生き地獄だと今感じている。
もう何も考えたくもない。
愚かで滑稽な私はこれからどうすればいい。
私はなんなんだろう。
なんで、皆のように出来ないのか。
もう、疲れたよ。
普通って一体誰が決めたのだろう。
顔が見て見たい。
普通のカテゴリーからきっと私はいない。
はみだし者だから。
頑張って生きたいけど目的が無いままはきっといつか力尽きる。
今は単調な日常を過ごしてみる。
いつかきっと生きる目的を見つける日が来るから。
自分を幸せに出来るのは自分自身しかいないから。
【⠀日常⠀】