あの夢のつづきを
高校時代の頃の夢をよく見る。
高校受験に失敗した私は長い間、うつ病の症状を抱えていた。
高校入学後に親の事業がうまくいかなくなったことが病に拍車をかけた。
高校1年生の夏までは元気に学校に行けていたのに、ある朝、ベッドから起き上がれなくなってしまった。
当時の私は、うつ病というものを理解していなかった。
気合が足りないだけだと考え、遅刻しながらも登校した。
担任の教師からは遅刻を責められ続けた。
私も私自身を責め続けた。
学校の友人たちは励まし続けてくれた。おかげでギリギリだったが進級もできた。
高校2年生の冬には恋人もできた。恋人が一緒に学校に登校したいと言うので、私も一緒に行きたい一心でなんとか早起きすることができた。
毎日一緒に登校することはできなかったけれど、とても楽しい日々だった。
もし、高校1年生の頃に心療内科に通院して薬をもらっていれば、高校3年間、問題なく学校に通えていたのだろうかと考えることがある。
その頃の後悔が私に高校時代の夢を見させるのだろうか。
事業がうまくいかず父は自殺未遂をした。高校卒業後の私の人生は思い出すと辛くなる。
仲良くしていたクラスメイトは皆進学し、楽しそうな大学生活を話してくれた。
進学を断念し働き始めた私にとって、その話を聞いていても面白くなかった。
自分の身のうちをさらけ出せれば 友人たちも色々と励ましてくれただろうが、私は自分の情けない部分を他人に見せたくないというプライドが邪魔をして言えなかった。
友人たちとは次第に疎遠になった。恋人とも別れてしまった。
あの時に、自分の苦しい胸の内をさらけ出す勇気があれば、高校時代に友人達ともうまくやれていたのではないかと後悔している。
高校時代の頃の夢をよく見る。
クラスメイトの皆が仲良く、クラスで合唱の練習をしたり、体育館に集まりバレーの練習をしていた。
目が覚めると切なさが私の胸に去来する。
寒さが身に染みて
寒さがさらに増してきた。
私は先月のある出来事を思い出す。
昼食を外食で済ませ、お腹を満たした帰路の中、1つのお菓子を分けて食べていた母子を見かけた。
こんなに寒い中、外でお菓子を食べるのはどうしてだろう?
チラッと見た私にはこんな疑問しか思い浮かばなかった。
だが、しばらくしてあの母子たちのいたのはフードバンクのすぐ傍だったことに気づいた。
私はある可能性に思い至った。
あの母子は空腹に耐えきれずに、フードバンクでもらった食料をすぐに開封して食べていたのではないか?
その可能性にたどり着いた私は強いショックを受けた。
フードバンクとは経済的な困窮の中で食べるものがなくて困っている方々に食料品を届ける組織のことだ。
私の家の近所にフードバンクがあることを知っていたが、利用したことはなく、ましてや寄付をしようなどとは考えたこともなかった。
寄付などという行為は金銭的に富める人がすることで、私とは無縁な行いなのだと思っていた。
あの母子を見た後、私はこのままの生き方でいいのだろうかと自問自答した。
2週間ほど考えて寄付をしようと決断した。
その決断から実際にフードバンクに寄付をしに行くという具体的な行動に移すのにはさらに1週間の時間が必要だった。
寄付する額が少額なので恐縮してしまっていたからだ。
このままでは何も始まらないと勇気を出して、一歩を踏み出して緊張しながらフードバンクを訪れると、フードバンクの方たちはとても丁寧に接してくれた。
フードバンクの方たちの仕事ぶりも間近で見ることができたのは私にとってとても良い経験だった。
経済的な困窮に長く苦しんできた 私にとって、自分や家族が幸せであればそれでいいと思っていた価値観は変動した。
社会全体がより良くならなければならないと考えるようになった。
フードバンクでは経済的な援助 以外にも寄付された食料品の配達などのボランティアを募っている。
経済的な援助がなかなかできない私はこのボランティアに応募してみようかと考えている。
もし、これを読んだくれたあなたが経済的に苦しんでいるのならば、すぐにフードバンクに連絡することを強くおすすめしたい。
苦しんでいる方たちが少しでも苦しまなくなる社会になるように微力ながら手伝いたい。
未来への鍵
昨日私は、経済的に困窮している方達に食料品の支援をするフードバンクに寄付をしに行った。
自分から寄付という具体的な行動を起こしたのは初めてだったので、心臓が早鐘を打ったかのように持って行くのに緊張した。
クレジットカードや銀行振込で寄付をする選択もあったのだが、どうしても一度フードバンクで働いている人たちをこの目で見たかったからだ。
少し私の過去の話をしたい。
連帯保証人になっていた私の父は3億7000万の借金を背負ってしまい、財産を全てを失った。
父は自殺未遂をした。
高校を卒業した私は進学せずに、そのまま自営業の父の仕事を一緒にこなすようになった。
精神的に不安定になった父のメンタルに気をつけながら働くのは正直に言うとしんどかった。
周りの友人が大学進学をしていく中で、大学生活についての話を聞くのもつらかった。
次第に友人たちと疎遠になってしまった。
経済的に苦労をした経験は私が寝ている時に今でも悪夢として現れる。
フードバンクで働いている人たちは、真面目で誠実そうな人たちだった。
私の母は子供達の服を売って食料品に変えていた。
もしあのとき、フードバンクがあったのなら母ももっと楽に生きられたかもしれない。
私には彼らがヒーローに見えた。
フードバンクに寄付をした後、資料を頂いた。
現在も経済的に困窮している方達の記事を読んでいると涙が溢れた。
より多くの寄付をできればと思ったが現在の私の生活基盤を安定させなければ、長期的に継続した支援はできない。
私が寄付をした額は小額だったかもしれないが、必ず経済的に困窮している方の助けになるだろうという確信をフードバンクで働いている姿を見て感じた。
私の昨日起こした行動は誰かの未来の鍵になると信じている。
もし、私の投稿を見て何か感じていただけたなら幸甚だ。
今一番欲しいもの
長い貧困生活の中で私は物欲を抑え込んでいた。貧困生活から幸運にも脱することができたが、欲を抑え込むことに慣れてしまったためか今一番欲しいものと問われると何も思い浮かばない。
強いてあげるならば、トマス・ピチョンの「重力の虹」という本だろうか。上・下巻で1万円はするので図書館で借りようか迷っている。
貧しかった時代のことを思うと、今はとても満たされている。
この先、また状況が変わり経済的に困窮したり、健康に支障をきたすようなことが起これば今の無欲な心境も変わってくるだろう。
周りの人が見たら私の人生は枯れていると思われるかもしれないが、仕事がほどよく順調で、健康で本が読める現在の状況が私にはとても幸せなのだ。
手を取り合って
現代日本で手を取り合って生きるというのは、とても難しい。
自分の身に経済的な困難が起きたときのことを思い出してみると「助けて」という一言が誰にも言えなかった。
他者に迷惑をかけることを恥だと考えていた。
私は運良く問題を解決することができたが、当時は自裁することを真剣に悩んでいた。
私は30代半ばで読書が習慣化し、様々な小説を読むようになった。
ドストエフスキーやユゴーの作品には、極貧の中、登場人物たちが互いを助け合いながら生きていく場面が多々ある。
彼らは生きるために懸命に誰かに助けを求める。そんな彼らの姿に感銘を受けた。
死を望むほどの困難にまた遭遇したときには、生きるために勇気を出して、助けを求めたい。
自殺者数がなかなか低下しない日本において、激動の時代の中を耐え抜いた文学は生きる道しるべになるのではないだろうか。