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4/11/2025, 4:58:41 AM

島田先生は、学年一人気のない先生だった。
いつも不機嫌そうな顔で、不機嫌そうに説教と連絡事項と授業に関わることだけしか話さなかった。
後退した白髪混じりの頭は、たまに後頭部が寝癖ではねていた。
人気者の先生なら、生徒たちから一日中いじられるところ、島田先生の場合は、その日の午前中にクラスの2、3人が話題にするだけで終わった。

大半の生徒同様、私も島田先生に何の関心もなかったが、進路指導の際に私が書いた第一志望の大学名を見るやいなや「今のままじゃ到底無理」と吐き捨てるように言い放ってから、私の盛大な怒りを買った。
今からすれば全くそのとおりだったし、ただ単に痛いところを突かれただけなのだが、その日から私は激しい怒りをガソリンに猛勉強した。

その甲斐あって3月、第一志望の大学に合格できた。
受験結果の報告に高校の職員室に出向くと、島田先生は教室にいると言われた。
人気のない3年生の校舎は、まだまだ底冷えするような寒さだった。
久しぶりの教室を覗くと、教卓でスーツ姿にマフラーを巻いた島田先生が一人何かを書いている。
「先生」と声をかけながら教室に入り、辺りを見渡してみると、教室中の机の上に卒業アルバムが開かれて置いてあった。
「ああ、それね、墨を乾かしてるから」
覗き込むと、卒業アルバムを開いた見返しの部分に、ちっとも上手くない毛筆で「夢へ!」と書かれている。
どうやらクラスの人数分、一冊一冊それを毛筆で書き込んでいるらしかった。
「先生、第一志望の◯◯大、受かりました」
教室の机を埋め尽くす卒業アルバムに気を取られながらそう報告すると、
「そうか! おめでとう!」
と思いがけないほど大きい声で言って、先生は3回手を叩いた。
ふと見ると、その顔は初めて見る笑顔で、喜びにほころんでいた。
ほころんでいたが、いつもの仏頂面が板につき過ぎて、顔の筋肉が追いついていない感じで、素敵な笑顔とは言い難かった。
戸惑う私にはおかまいなく、
「そうか、そうか、よく頑張ったなぁ」
と先生は嬉しそうに何度も頷いていた。

「夢へ!」なんてこっちが恥ずかしくなるような言葉も、下手っぴな毛筆も、強張ったような笑顔も、どれもちっともイケてなかったが、イケてないことがイケてることもあるんだなぁと思いながら、私は春一番の中を歩いて帰った。

4/10/2025, 2:07:30 AM

君が元気でも元気じゃなくても
もう隣にいるのは僕じゃないから
君が元気でも元気じゃなくても
ずっと隣にいたかったのにさ

元気かな
という疑問の答えは
いつか僕が幽霊になってから知ることにする

4/8/2025, 11:40:00 PM

うちのおばあちゃんが言うことにゃ

“遠い約束って
コーヒーみたいなもの

若いときは
苦いばかりの黒いものだけど
年を取ると
味わい深く感じられるようになるのよ”

4/8/2025, 4:23:33 AM

星の配置が悪いのか、バイオリズムが低調なのか、ここ最近の冴えないこと続きの冴えないことを、ご丁寧に一つずつほじくり返しながら、私は畳に寝転がって天井を眺めていた。
あれはこうだった、これはああだった、自ら傷口に塩を塗り込みながら、合間に天井の木材の模様を見て、あそこ人の顔に見えるなぁと感心するなんてことを飽きずに繰り返していたとき、玄関からノックする音が聞こえた。
起き上がって数歩でたどり着く玄関のドアを開けてみると、そこにはアイリーンが立っていた。

アイリーンは隣の部屋に住むイギリス人女性で、この近くの大学に通う留学生だ。
初めて廊下で顔を合わせたとき挨拶したのをきっかけに、ちょくちょく話すようになった。
話すようになったといっても、まだあまり日本語が話せないアイリーンと、義務教育に毛が生えた程度の英語力しかない私とでは、流暢な会話は成立しなかったが、その分お互いの言うことを理解しようと心を尽くしたので何とかなっていた。…と思う。

アイリーンはいつも薄いブルーの瞳をキラキラさせて、英語と日本語をごっちゃにしながら、楽しいことも悲しいことも表情豊かに全力で話してくれた。
そんなふうに全力で自分に何かを伝えようとしてくれる人がいることを、私はとてもありがたく感じていた。

ドアを開けた私が鬱々とした表情をダダ漏れさせているのを見て、一瞬アイリーンはきょとんとした表情を見せたが、すぐに立て直し、「Hi、ゲンキ?」と朗らかに尋ねた。
まぁひとまず体は元気だと心の中で言いわけしながら、「うん、元気」と私は答えた。
その言葉が真実でないことは二人ともわかっていたが、それ以上追究はしなかった。
Ummと小声で言いながら差し出したアイリーンの右手には、オレンジ色のガーベラが一輪握られていた。
「…Flower」
アイリーンは「花」という日本語が思い出せないようで、そう呟いたあと、私の目を見た。
「ああ、お花?」
私がそう言うと、スッキリした表情になり、
「Yes、オハナ!」
とうれしそうに何度も頷いた。そして、ガーベラを私の手に握らせ、
「タノシンデ!」
と言うと、にっこり笑って風のように去って行った。

「(お花を)楽しんで」とアイリーンは言ってくれたのだが、今の私には「(人生を)楽しんで」と言われたように思え、手の中のガーベラは太陽のように見えた。
ひとまず太陽は枯らしちゃいけない、私は棚を覗いて花瓶がわりになりそうなものを探した。

4/7/2025, 6:49:23 AM

それは彼の部屋にあるベッドの半分ほどの大きさで、ドアの横の壁に貼られていた。
何だろうと顔を近づけてみると、手描きの地図だった。
ちょうど真ん中に、ついさっき見たばかりの彼のアパートの建物が小さく描かれている。
「これ、自分で描いたの?」
感動と感心で勢いよく振り返った私に、恥ずかしさとうれしさが混じったような顔で彼は頷いた。
細い細い線で丁寧に描き込まれ、色鉛筆で淡く淡く色づけられた地図は、たくさんの言葉よりも彼がどんな人物かを教えてくれるようだった。

地図には様々なものが描かれていた。
メガネをかけたパンダの遊具は、駅から彼の家に来る途中の公園で見つけた。
みたらし団子が描かれた和菓子屋さんでは、いろいろなものを食べてみたけれど、みたらし団子が一番おいしかった。
花飾りのついた帽子を被ったおばあさんの絵をたどってみると、そこでは本当に花飾りのついた帽子を被ったおばあさんがいつも日向ぼっこをしていた。

そうやって私は、彼の家に行くたびに、彼の地図に描かれた一つ一つを確かめていった。
一つ一つを確かめるたびに、そんなふうに自分の身の回りを愛おしむ彼を、どんどん好きになった。
彼の地図に描かれたものを全て確認し終える頃、一緒に暮らすことになった。

「これからは共同制作だねぇ」
二人の荷物を運び込んだ部屋の壁に、道路の線だけが描かれた新しい地図を貼りながら、彼は楽しそうに笑った。

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