/ここではない、どこかで
遠くへ行けば生きる理由が見つかるかと思って、自殺を試した。
彼の家の浴室で、湯船にお湯を溜めて、ナイフを準備して。ありったけの睡眠薬と、彼が大切にしていたワインを掻き集めて。
これはただの嫌がらせ。
まず左手の手首をナイフで切った。痛いなぁ、なんて思いながら服のまま湯船に浸かって体を温める。
思い出したように睡眠薬を一瓶……二瓶と空けてワインで流し込む。
三つ目に手を伸ばす頃にはもう、グルグルと脳が揺れて、床に瓶を取り落とした。ばらばらと散らばった錠剤に「あーあ……もったいない」と呂律の回らない舌で呟いて一粒ずつ口へ押し込んだ。
次第に眠くなってきて、耐えきれず眠って。
何度も強く胸を押され、鼻をつままれ肺に空気が送り込まれる。
胃に溜まった水がぐっと押し出される感覚に意識が持ち上がり、耐えきれず水を吐き出した。
虚ろな目で、焦ったような彼を見て、ただ静かに首を傾げた。
「手前……今回は本気だったろ」
息を切らした彼の言葉を理解できないまま、天井を眺めた。
十分くらいして、ようやく「また、しっぱいした」とだけ言えた。
「とおくにいけば、いきるりゆう、みつかるとおもったのに」
うわ言のように言えば、いつの間にか僕の左手首に包帯を巻いていた彼がため息を吐き出した。
「生きる理由探してんのに、死んでどうすんだよ」
「しんで、見つかるなら、それでいい。このせかいで、ぼくは、いきれないから……どこか、とおいところ」
「なぁ、手前は馬鹿みたいに賢いせいで俺らと違う世界見てんのかもしれねぇがな」
彼が、僕にも理解しやすいよう、大きくはっきりとした声で言い始めた。
「手前が探してるもんは、一生見つからねぇぞ。生きてても、死んでも」
なんて、残酷だろうと思った。目頭が熱くなった。
「なら、どうしたらいいのさ」
彼は何も答えなかった。
でも、静かに、感覚もなくなって冷えきった左手を握っていてくれた。
その手が、とても暖かかった。
/届かぬ思い
俺にはひとつ、願いがある。
あの、どうしようもねぇ死にたがりと共に生きたいのだ。
だから俺は、毎日のように繰り返される自殺の邪魔をして、隠れて成功しないよう目を光らせ、自殺が面倒になればと小言を飽きもせず口にする。
どれもこれも無駄な努力だと思う。
だが、アイツだってただ無感情に死にたい訳では無いはずなのだ。
どうせ、あの賢すぎる頭脳のせいで生きる理由が分からないだとか、そんなことを思っているに違いない。
生きる理由なんかなくたって生きていればいいのに。
そんな言葉はアイツには絶対響かないから言わない。
俺はこれからもただ毎日、アイツの自殺を邪魔して小言を言うだけだ。
※※※
僕にはひとつ、願いがある。
あの、いつもいつも僕の邪魔をする君と共に死にたいんだ。
だから僕は、毎日のように君に見つかるような場所で、邪魔しやすい方法で自殺を繰り返す。
どれもこれも無駄な努力だってわかってる。
でも、君だけが僕の感じる孤独を理解してくれるから。
生きる理由が見つけられずに藻掻く僕に寄り添おうとしてくれるから。
こんな言葉絶対言えないけど。
僕はこれからもただ毎日、君の前で自殺をして、その小言を聞くんだ。
/神様へ
神様へ
どうか、一日でも早く死ねますように。
神様へ
我儘は言いません。地獄へ送ってください。
神様へ
お願いです、僕に理由をください。
「僕に、生きる理由をちょうだい」
彼が眉間のシワを深くした。
「手前らしくねぇな。生きる理由なんて、何だっていいだろ」
「全部、虚しく見えるんだもの。食べるのも、眠るのも、遊ぶ事も、なんの意味も見いだせない。どうしてみんな生きてるの?どんな理由があるの?全く分からない」
感情の籠らない目を向けた。彼は深くため息を吐き出して、僕から視線を外す。
「理由なんかねぇよ。生きてるから、生きてるだけだ」
その言葉に肩を落とした。
この世界は、なんて残酷なんだろう。
神様へ
貴方は酷い存在です。
どうして、僕をこの世に送り込んだのですか?
責任をもって、早く死なせてください。
神様へ
僕は、ただ。僕が生きる理由が欲しいだけなのです。
/快晴
「ここ最近はずっと雨だね」
アイツが空を見上げて呟いた。ざぁざぁと音を立てながら降る雨に憂鬱そうにしているが、昨日せっかくの雨だからと川に飛び込んだばかりだ。
「晴れて欲しいのかよ」
「そりゃあ、雨より晴れの方が好きな人が殆どでしょう?」
「手前が大多数語るな。この自殺志願者」
そう言い放てばふふ、と笑い声が聞こえてきた。
「晴れたらね、良い自殺法思い付いたんだ。せっかくだから雲ひとつない快晴の日にしようと思って」
「そーかよ」
どうでも良くなってそう流した。
次の晴れの日はコイツを一日かけて見張らなくてはならなくなった。携帯のカレンダーと天気予報を交互に見ながらため息が出る。
「てるてる坊主でも作ろうかな」
「よく首吊ってる手前にゃ丁度いいな。逆さに吊るし直してやるよ」
「ほんと君、最低」
そういったアイツの声は、どことなく楽しそうだった。
/遠くの空へ
遥か遠い空の先には月があって、星があって、宇宙がある。
「宇宙の先は、天国なのかなぁ」
一ミリも信じていないものを思い描いて吐き出した。
隣の君がため息を吐き出したのが聞こえる。
「手前は地獄行きだろ。どう考えても」
「分からないでしょ? 何かの手違いで天国に行くかもしれないよ」
そう答えて空を見上げた。彼はもう何も言わなかった。
「ねぇ僕の代わりに行ってきてよ。天国」
君、飛べるんだからさ。
そう言って笑えば彼は視線を空へ移した。
「俺も地獄だろうな。手前の後追っかけ回してやる」
「なにそれ、最低」
笑えば星が瞬いた気がした。
遥か遠い空に憧れた。決して届かないあの暗闇の世界のその先を想像するだけで、胸が高鳴った。
はやく逝きたいなぁ、と僕の声だけが響いた。