真澄ねむ

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1/25/2025, 6:26:59 PM

 トルデニーニャはひと月ぶりの非番に、城下町に出てきていた。ここのところ、研究が大詰めで、ずっと城内に缶詰にされていた。寝て、起きて、研究して、また寝る。その生活を繰り返し続けて、もう三か月は経っている。以前の非番は、疲れ過ぎて、部屋から一歩も出なかった。
 そのせいだろうか。久々に訪れる城下町は、随分と様相が変わっていた。知らないお店がたくさんできている。そこの焼き菓子屋であったり、ここのパン屋であったり、あそこの本屋であったり。その代わり、知っている店がいくつかなくなってしまっているが。
 トルデニーニャの目的は、装備の引き取りと日用品の買い出しだ。すっかり見慣れない風景になった城下町を、あちこち見て回りたい気持ちはあるが、そこまで体力は回復していなかった。
(さて……と)
 彼女が真っ先に向かったのは、鍛冶屋だ。ぼろぼろになってしまった装備一式を預けると、以前に預けていた装備一式を引き取った。裏手の広い庭で、実際に振って確かめる。
「トルデさん、如何ですか?」
「大丈夫そうです」店主の言葉に、彼女は微笑んだ。「いつもありがとうございます」
「こちらこそ、いつもご贔屓にしていただいてありがとうございます」
 それからトルデニーニャは、補修用の道具をいくつか買い込んで、鍛冶屋を後にした。
 ぴかぴかの装備を見ていると、もっと鍛錬を積まねばならないと、いつも気持ちが新たになる。しかし最近は、全然鍛錬できていない。彼女は溜息をついた。道は一日にして成らないし、鍛錬を怠ればすぐに錆びついてしまう。
 このままでは、彼を追い抜くのは当然無理だとしても、彼に追いつくことすら、夢のまた夢だ。
(あ、そうだ)
 せっかく、久々に城下町に訪れたのだから、彼へのお土産でも買っていこう。実用的な物が好みだけど、彼は使うものにこだわりがある。下手なものを渡して、微妙な顔をされるくらいなら、お菓子を買うのが無難だろう。
 城へと戻りがてら、焼き菓子屋に寄って、いくつかマドレーヌを購入し、自分用を選り分けた残りを簡単な包んでもらった。それらを持って、城門をくぐり、城内に入ったところ、目当ての人物とばったり出会った。彼はどうやら訓練帰りだ。
「君、今日非番だったんだ」
「うん。リヴァは訓練だったの?」
「見ての通りだよ」
 素っ気ない彼の言葉に、トルデニーニャは微笑んだ。彼も自分と同じくらい――いや、ややもすると自分より忙しいはずなのに、いつもと変わらない。
 彼女は持っていた小包を彼に渡した。彼は困惑したのか眉根を寄せると、これは何だと言いたげに彼女を見やった。
「あげる。よかったら食べてね」

1/22/2025, 4:52:25 PM

 時刻はもう夜半過ぎ。城内の者は夜勤の者を除いて、皆眠っている。そんな中、アンビはランプを点けてまだ仕事をしていた。署名しなくてはいけない書類が山のように残っているのだ。
 目をしょぼしょぼさせながら、ひたすらペンを動かしていると、目の端に淡い光が映った。
(何かしら?)
 その方向に目をやると、サイドテーブルに広げっ放しだった地図の一角が淡く光っていた。
 まあ、と声に出そうになったのを吞み込んで、アンビは目を真ん丸にした。
(本物だったのね)
 彼女は小さく微笑んだ。
 アンビは二週間ほど前に、航海する幼馴染の背を見送ったばかりだった。彼とは幼い頃に、喧嘩別れのような形で音信不通となっていたところを、十数年ぶりに再会した。しかし、思い出話もそこそこに彼はすぐに発ってしまったのだ。
 ――もう行ってしまうの?
 そう引き留めるアンビに、彼は笑うと言った。
 ――悪いな。海に出るのはどうしても時機っていうのがあるんだ。俺はそれで商売してるから、それを逃すわけにはいかない。
 彼の言うことは尤もで、そう言われると無理に引き留めることはできなかった。いくら世間知らずと時折諫められるアンビでも、それぐらいは弁えている。
 彼は東の海に行くと言った。アンビは東の方向へ行く主要な航路に、いい噂を聞いたことがなく、心配で堪らない。余程不安そうな表情をしていたのだろう。彼が自分に、大丈夫だと笑いかけてくるので、アンビは思わず俯いてしまった。
 ようやく再開した幼馴染と、すぐに別れなくてはならないのであれば、せめて彼の安否を確認できるようにしたい。悩むアンビの脳裏に、つい先日献上された宝物の姿が過ぎった。受け取ったものの、商人の説明の真偽が検証できず、未だに彼女の手元に置かれていた。
 ――ねえ、ジャンナ。
 ――どうした?
 首を傾げる彼に、アンビはあるものを渡した。
 ――これ……。
 受け取った彼は絶句した。それは魔術紋の刻まれた羅針盤だった。同じ魔術紋を刻まれた地図と一組になっており、その羅針盤を持つ者の位置を地図上に映し出す。
 ――こんな高価なもの受け取れない。
 そう言って返そうとする彼の手に、アンビは無理やり羅針盤を握らせた。彼は尚も何かを言いたげだったが、有無を言わせない彼女の圧に屈し、口を開くことはなかった。
 そして、アンビは去っていく彼の背を見送った。
 地図の光はゆっくりと瞬いている。彼女はその光に彼の無事を祈るのだった。

1/22/2025, 2:15:03 AM

 抜けるような青が天上に広がっている。
(あのときのことなんて夢みたい)
 ニェナは空を仰ぎながら胸中でつぶやいた。
(……でも、夢じゃない)
 森の奥で見つけた洞窟の地下に広がっていた広大な廃遺跡。その封印を解いてしまったことで始まった異変。異変は厄災となって、この街から徐々に国を、大陸を侵食していった。厄災を解決するために、この街はもちろん、国を挙げて探検隊が組まれたが捗々しい成果はなかった。
 ニェナはいてもたってもいられなかった。お前のせいではない。封印は弱まっており、いずれ勝手に封印は解けていた。色んな人がそう言って、彼女を慰めたものの、罪悪感は拭えなかった。自分には関係ないと見て見ぬふりはできそうになかった。
 それからはがむしゃらに遺跡の探索をした。洞窟を進み、地下湖を見つけ、廃宮殿を探索した。いつしかニェナの進んだ道は、他の探索者の進む導となった。
 色々な探索者が廃遺跡を探索するに従って、旧文明の遺物を売り買いする者が格段に増えた。いつからか国は遺物を利用した他国への侵略を行うようになった。街を含めた国が混乱に陥る中、ニェナのやることは変わらなかった。
 廃遺跡の更に深部、大墳墓を探索し終えたニェナが少し立ち止まったとき、がらりと様相が変わった街がそこにあった。昼夜問わず空は黄昏に覆われており、常に薄暗く、常に薄気味悪く、世界が精彩を欠いていた。
 大墳墓の奥に眠っていた厄災の元凶を追って、ニェナは天涯に向かった。幻想のような宮殿を進んだ先に元凶はいた。それはニェナを苦しめたが、死闘の末、彼女はそれを打ち斃した。
 世界を覆った黄昏がベールを剥がすように消えていく。
 長い間、厄災に苦しめられて、ずっと空は黄昏に覆われていたような気がしたが、厄災が始まってから三年、黄昏が空を覆うようになってからまだ三月しか経っていない。その短い期間で、街を含めた大陸のあちこちが被害を受けて、破壊されてしまった。
 復興への道のりは遥か遠くにある。それでも、明日に向かって歩いていく。でも、時には立ち止まって後ろを振り返ってみる。一人で歩いているように思っても、その後ろにはたくさんの人が自分を見守ってくれていることを、思い出すために。

1/22/2025, 2:13:04 AM

 ローダはセントラルに所属する〈描き手〉だ。それは世界各地にある、いわゆるダンジョンといったものの地図を描く仕事をしている。それに従事する者は〈描き手〉と呼ばれていた。
 とある国の広大な森の奥に立つ廃墟に描き手として訪れたとき、彼女は災難に見舞われた。窮地に陥る彼女を助けたのが、今、護衛として雇っているウェルナーだった。
 生真面目で仕事熱心なローダは、軽薄な彼に振り回されることも多く、ひと悶着もあったが、今ではそれなりの信頼関係を築いている。
「……あのさあ、ローダちゃん」
 二人は今、西の大陸にある広大な地下遺跡にやってきていた。地下にあるダンジョンを訪れたことは何度もあるが、天井が見えないほど高く、果てが見えないほど広い遺跡を訪れるのは初めてだった。
「はい……」
 呆れたように口を開くウェルナーに、ローダは俯いて応じた。
 セントラルからの派遣命令で訪れるダンジョンは、描き手という仕事上、未知のものが大半で、ローダたち描き手が訪れた段階ではそのダンジョンに果てがあるのかないのか、定形のものなのか非定形のものなのかもわからない。何日も泊まり込んで地図を描くものの、日が経つにつれ地図の端から形が変わっていくというダンジョンもざらにある。
「前に自分で言ってたじゃん。身分を明かすとヒトは大体危害を加えてこないけど、魔物は全く関係なく危害を加えようとしてくるって」
 そうね、とローダは頷いた。セントラルに加盟しているか否かを問わず、描き手は尊重される職能者で、その職務を妨げるものはその身分如何に係わらず、セントラルによって罰せられる。しかし、当然ながらそれを遵守するものは、あくまで人間の道理が通じるものに限る。
「だから、オレが護衛っていう形でいるんじゃんね?」
「……そうです」
「仕事熱心なのは知ってるけどさ、オレを放って先に行くのは止めてくんないかなあ」
「……ごめんなさい」
 ローダはそう言いながら項垂れた。ダンジョンの壁の形が興味深くて、夢中になって描いているうちにウェルナーと逸れてしまっていたのだ。ついさっき、魔物に追われて、袋叩きにされそうになったところを、ようやく駆けつけた彼に助けてもらった。
「ローダちゃんはたった一人、何ものにも代えられないんだからさ」
 ウェルナーはそう言いながら、しゅんと肩を落とす彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。

1/19/2025, 1:30:07 PM

 とある日の昼下がり、ハイネはリビングの窓際のソファで読書をしていた。
 前評判は高かったものの、自分にはいまいちだった。中でも登場人物の一人の言動に共感性羞恥を覚えて、とても苦痛だった。いまいちだったものの、いつか面白くなるだろうと期待して、ページを繰るうちにいつの間にか残りは全体の三分の一程度。ここまで読んでしまったのなら、もう読み切ってしまおう。
 そんな気持ちで必死に繰っていると、ドアベルが鳴った。まるで天からの助けのようだ。
 彼から昼間の来客予定を聞かされていないので、おそらく彼だろう。
(……珍しい)
 いつも、朝見送っても夜帰ってくるところを見ることがない。夜半に帰ってきているようなのだが、いつもその頃にはハイネは眠ってしまっている。彼女が起きたとき、彼が横で眠っているのだ。
 本を閉じると、ハイネは急いで玄関に向かった。扉を開けると、予想通り、彼がそこに立っている。
「お帰りなさい」彼女は彼の上着を受け取りながら言った。「珍しく、随分と早いお帰りなんですね」
 彼はああ、と朗らかに笑った。
「元々、昼までの会議の予定だったんだ。時間通りに終わってくれてよかったよ」
「紅茶か何かご用意しましょうか?」
「いいのかい? じゃあ、お願いしようかな」
 ハイネは頷くと、彼の上着を片付けてから、リビングへと向かった。そろそろアフタヌーンティーでもしようと思って、先に用意だけしてあった。
 紅茶とお茶請けの用意を終えた頃、まるで見計らったかのように彼がリビングへと入ってきた。相変わらずタイミングがいい人だ。しかし、彼は何だかそわそわとしていた。
 内心首を傾げたが彼は何も言わずに席に就いた。ハイネも席に就き、一言二言交わしたのちに紅茶を飲む。今日もまあ美味しく紅茶が淹れることができた。お茶請けは以前に彼が買ってきたものだし、外れはない。
 彼女がカップを置くと同時に、彼が口を開いた。
「あのさ……ハイネちゃん。これを受け取ってほしいんだけど」
 そう言いながら彼は小箱を差し出してきた。ハイネは困惑しつつ、それを開けると、中には虹色に輝く宝石が納められていた。いや、これは裸の宝石ではなく――指輪だ。
「……ヴィルヘルム、これは?」
 首を傾げる彼女に、彼は少し目を見開いてから悪戯っぽく微笑んだ。
「今日は君の誕生日だろう?」
 今度はハイネが目を見開く番だった。固まる彼女の指に、ヴィルヘルムはすっと指輪を通す。彼女の指にきらきらと輝く虹色は、まるで手のひらの宇宙のようだ。

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