麦茶をいつものガラス製のコップに注ぐと部屋中に小君良い水音が響き、落ち着いた気持ちになった。飲み物をガラスに移し替えるときの音のなかには、人の気持ちを安らかにしてくれる作用が含まれていると思うのだ。
だから僕はクラスの花瓶の水を替える作業も苦ではないし、むしろ好きな作業だった。
本の表紙を触ってページをめくる。暗がりの中で、スタンドの明かりだけで読むのもいいな。夜になるのを本と一緒に待つことにした。
家に戻り、図書館でかりた本を広げると返却日が書かれたレシートが出てきた。日付は2022年10月27日。
僕の前にかりた人のものだろう。レシートの裏には「紅茶の香り」と書かれていた。
何のことか分からないが、走り書きで書かれているので、慌ててメモされたものかもしれないし、なにかの合言葉なのかもしれない。
目当ての本は既にかりられていたので、僕は興味があったものの、本とのチューニングが合わず読まなかった本をかりた。僕は麦茶を用意しにキッチンへ向かった。
散歩から帰る途中で本をかりて帰ることにした。
散歩は気分転換であり、嫌でも自分と向き合わなければいけない時間でもあった。
僕は自分と向き合い過ぎすると答えの出ない問題に衝突してしまうので、一刻も早く物語で頭の中をいっぱいにしたかった。
正面の出入り口から真っ直ぐに進み子供向けの図書コーナーが見えたらそこへ向かって右手に折れる。
これが僕の好きな小説家のコーナーへの最短ルートだった。
好きな小説家のコーナーをゆっくりと巡っていくと、見慣れた司書の女性が本棚を整頓している。
僕が付き合っていた彼女の母親らしき人だったが、僕には気がつかない様子だった。
友達がくれたはずの飴をリュックの中から探す。
もしかしたらもう溶けているかもしれないけれど、甘いものでなんとか今の気分を誤魔化したかった。
飴を探していたはずだが、出てきたのは母親がくれた細長いキャラメルだった。買ったは良いものの、口に入れたら満足してしまったのだという。残りのキャラメルをばさばさと母親がリュックに入れていたのを思い出した。口の中で想像を裏切らない味が広がる。
僕は心のなかで母親に感謝した。ざわざわとしていた呼吸が、少しずつ落ち着いていくのを感じた。
頬を撫でる風を切って、もう少し歩きたかった。
過去の出来事を思い出しながら散歩をしていると僕は急に不安になった。はっきりとした理由があるわけではないのだが、漠然と不安になることがあった。自分だけが自分を見ている。周りの音が全部入ってくるのに、身体は音を受け入れてくれない。
一刻も早くどこにでも良いから座って、地面に身体を着地させたい。大きく口から息を吐いた。
行かないでと風にこびりついたコンビニの前の旗が、はたはたと大きく手を振っていた。