【手ぶくろ】
深い深い森の中に、青い屋根に白い壁のお家がぽつんと立っていました。
周りにはお花が沢山の植えてあって、蜂が花粉を集めています。
その蜂達がどこに帰るのかというと、お家の隣りにある養蜂箱です。
お家に住んでいるくまさんは、お家にあるお花の花粉を蜂達に分ける代わりに、蜂達が作った蜂蜜を少し貰っています。
「んー、今日もいい天気だなぁ」
くまさんのお家の窓付きのドアがカチャ、と開きました。
中からは朝食を食べ終えたくまさんが出てきます。
朝食を食べた後に散歩をするのがくまさんのルーティーンです。
今日のくまさんはどこにお散歩をするのでしょうか。
「うーん…、今日は籠を持って行って木苺を採りに行こうかな」
どうやら、お散歩ついでに木苺を取りに行くみたいです。
木苺のぷちぷちと口の中で皮が弾ける感覚と、甘酸っぱい癖になる味を思い出して、くまさんは口の中がよだれでいっぱいになりました。
沢山成っているといいな、とくまさんは笑顔になりながら思います。
くまさんはお家から籠を持ってきて、早速散歩に出掛けました。
森の中は木漏れ日で溢れていて、暖かい空気でいっぱいです。
ふんふふーん、というくまさんの鼻歌と一緒に小鳥たちの囀りが聞こえてきて、まるで合唱をしているようでした。
合唱を楽しみながら暫く歩くと、くまさんはポツポツと赤色や朱色の果実が成っている低木の群れに辿り着きました。
これが木苺です。
昨日の夜に少しだけ雨が降ったからなのか、木苺にはぷよっとした雫が付いていて、いつもにもまして美味しそうに見えました。
思わず沢山採りたくなってしまいますが、森に住んでいる住人のために全部は採ってはいけません。
くまさんも勿論それは心得ているので、必要な分だけ木苺を籠に入れました。
(すみません、まだ書く予定でしたが間違えて出してしまいました)
【イブの夜】
『クリスマスの予定なんも入ってない…』
前、そんなふうにしょぼしょぼ嘆いているのを聞いてしまったから。
もしかしたらイブも空いてるかもって。
…クリスマスに誘う勇気なんて、今の僕には無いから。
緊張で強張る指で、スマホの画面を操作する。
あともういっこ操作したらもう電話が掛かってしまう画面までいって、覚悟を決めた心がぐらぐらと歪み始める。
僕なんかが誘ってもいいのかな…そもそもクリスマスの予定が無いだけでイブの予定はあるのかもしれないし…。
さっき覚悟を決めたのにうじうじし始めた心に喝を入れて、僕はそっと通話のボタンを押した。
prrrr、prrrr、と静かな部屋にコール音が響く。
1コール、2コール、3コール…やっぱり電話なんか掛けなかったら良かったかもしれない。
手の中で結構なコール数分スマホが震えて、だめだったんだと電話を切ろうとした時だった。
『っもしもし!ごめん手が離せなくって出るの遅くなった!』
相手が電話が出るのを待っていた画面が、通話中の画面にサッと変わった。
スマホから、焦ったように大きな彼女の声が聞こえてくる。
「あ、いや全然大丈夫。忙しい時に通話出てくれてありがとう」
『優しい〜、ありがとう。で、どした?電話掛けてくるの珍しいじゃん』
早速本題に入ろうとしている話題に、スマホを持っている手をぎゅっと握って口を開いた。どくどくと鳴る心臓がうるさくて、向こうにも聞こえていないか心配になってしまう。
「あの、さ…今日夜とか空いてたりする?一緒に出かけない?」
『あー待ってごめん、夜は家族と過ごす予定がある…』
少し下がった声色で言われた断りの言葉に、がっくりと肩を下ろす。
やっぱり空いてるのはクリスマスだけだったか…と通話を切り上げようと口を開いた時、焦ったような声がスマホから聞こえた。
『ちょ、待って待って、今日は空いてないけどクリスマス当日は1日空いてるよ〜…? そっちが予定空いてるなら明日出かけるっていう手も、ねぇ?なきにしもあらずと言いますか…』
早口でつらつらと言われた言葉を、僕の頭が理解するまで数秒かかった。
彼女がクリスマス当日に出掛けようと遠回し…遠回しとも言えないかもしれないが、誘ってきていることを理解した時、考えるよりも先に口が回った。
「じゃあ明日はどう? 出かけるの」
『あ、うん!いいよ! 明日ならめちゃくちゃ空いてる!』
途端に明るくなった彼女の声に、少し期待してしまうのを感じてしまう。
それから僕と彼女は、集合場所と時間だけ決めて通話を切った。
クリスマスの予定…できちゃったな。
ぼすっと座っていた自分のベッドに体を沈める。
顔がゆるゆると緩むのは許してほしい。だって、ずっと片思いしていた彼女とクリスマスに会えるっていうのだから。
彼女の反応も悪くなさそうだったし、何なら嬉しそうに見えた。
ちょっとくらい期待しちゃってもいいよね…?
緩んだ顔で、僕は明日の服を選びにクローゼットに向かった。
【ゆずの香り】
控えめな淡い甘さが鼻を擽る。
目を閉じて息を大きく吸い込むと、淡い甘さと自然特有の青々とした匂いが体に満ちていく。
「っさて、」
――本当にここはどこなんだ??
いい匂いを嗅いで少し落ち着いた頭で、放ったらかしにしていた問題を再び考え始めた。
周りを見渡すと、白い可憐な花を付けた木が沢山生えている。
人通りが多い東京のアスファルトの道に立っていた筈だが、いつの間にかこの自然の世界に放り込まれていた。
帰りたいが、ぱちっと瞬きをしたらいつの間にかこんな鬱蒼とした木に囲まれていたのだから、どうもこうもしようが無い。
東京では中々嗅がないような常に鼻を刺激する淡い甘さに、酒でもないのに酔いそうになってしまう。
多分この甘さの発生源は、木に飾りのように付いている白の花だろう。
確認をするために花に顔を近付けて匂いを嗅ぐと、予想は合っていたようで濃くなった甘さが鼻腔を揺らした。
「にしても、どうするか…」
花から顔を離して再び考える。
本来ならこんな場所に来てしまったことにもっと焦るべきなのだろうが、小さい頃からこういった減少に度々巻き込まれていたので慣れてしまった。
なんなら変なバケモノも居ないし良心的な空間だろう。
ずっと立って考えているのも疲れてきたので、草に覆われている地面に腰を下ろした。
うーん、と腕を組んで頭を悩ませている時だった。
どこからともなく、柑橘類の匂いが漂ってきた。
「…ゆず?」
心当たりのある匂いに頭を傾げていると、いきなりぐにゃっと眼の前の空間が歪んだ。
地震だとか、何か出てくるかとか、幽霊とかそういう系かとか…色々一瞬で考えたが、多分全部違う。
これ、私の目がおかしくなってる。
咄嗟に地面に置いた手は通常通りの感触を脳に伝えてくるし、歪んだ空間に腕を出すと腕まで歪む。
だとしたら、おかしくなってるのは私で。
治らない視界の歪みに焦っていると、鍋で煮詰めてどろどろになったような柚子の香りが鼻を刺した。
ぐにゃり、と歪みが酷くなって、頭が痛みだす。
匂いを嗅いだらヤバい、と鼻を腕で塞いだ時には、私の意識は大分朦朧としていた。
「や…ば、」
腕の隙間から、もはや痛いほどの柚子の匂いがする。
朦朧とした頭には、もう黒の暗幕が落ちかかっていて。
ふっと、私は呆気なく意識を飛ばした。
ー
「ん゙…あたまいた…」
痛む頭に閉じていた目を開けると、私は自室のベッドで横になっていた。
まだ鼻の奥で香ってくる柚子に顔を顰めて、横を向く。
時計を求めていた目は、それとは違うものを視界に入れた。
ひとつの立派なゆずと、白い可憐な花。
…収まった頭痛が、また再び主張を始めた。
【大空】
プロペラが大きく空を切る音が耳を支配する。
そろっと窓から外を覗くと、遥か遠くにある蟻みたいな住宅街。
落ちるはずなんか無いのに、なんだか怖くなって寄せていた体を元に戻した。
もうそろそろ日の出ですよ!!と恐らく大声でヘリを運転していた彼が言ってくれたが、私の耳に届いたのは塵みたいな声。
所々消えた言葉の切れ端から何とか意味を理解して、返事をする。
普段それほど使っていない私の喉では、多分声は届かなかっただろう。
「じゃあよく見えるようにドア開けますから、気を付けてくださいね!!!」
耳が大きなプロペラの音に慣れてきたのか、私が運転手の彼の声に慣れてきたのか、今度は何を言っているのかよく聞こえた。
私も今度は声が届くように、さっきの倍の声量で「はい!!」と返事をする。
運転手さんが小さく頷いた気がしたので、多分届いたのだろう。
どうやってドアが開くのだろうと思っていると、ひとりでにドアはスライドし始めた。自動なんだろうか。
びゅおっと冷たい風がいっぱいに入り込んできて、思わず腕で顔を覆った。
大きなプロペラの音に、叫ぶような風切音が混ざる。
普段なら耳を塞いでしまうような爆音も、ずっと聞いていたプロペラの音のせいで耳が麻痺しまっていたのか、今はそれほど大きくは感じなかった。
しきりに吹き込む風が少し弱まった時、私は顔を隠していた腕を取ってみた。
「うわぁ…」
自由になった視界に、赤のゆらゆらとした丸が周りを染めて上に登ってきていたのが見える。
夜が朝に変わる瞬間。
幾度となく繰り返してきたその瞬間をこの目でまじまじと見るのは初めてで、じんとした感動が胸に広がる。
そうしている間にもどんどんと太陽は昇ってきて、夜であった空はあっという間に朝に変わってしまった。
これから、今私の下にある街は動き始めるのだろう。
遥かなる大空から見たこの景色は、一生の思い出となるんだろうなと、殆ど停止した思考で私はぼんやりと思った。
ぼんやりと思った割には的確なことだったと後から考えるのは、また違うお話。
【ベルの音】
ただ、ぼーっとしていた。
なんとなく外に出たくなって街が一望出来る丘に来たけれど、容赦なんかない冷たい風は頬を撫でてくる。
体の震えが止まらなくてもう戻ろうかななんて思ったりもしたけど、消えない光を纏った街があまりにも綺麗で、それは少し勿体なかった。
羽織ってきた冬の夜には心許ないコートを手繰り寄せて、体全体をなるべく覆えるようにする。
手を脇に挟んで頑張って温めながら、きらきらとした夜景に浸る。
昔あっただろう森は開発されてしまって、この人工の美しさが出されているのだろうが、それが良い事なのかは私には判断できなかった。
街が明るすぎて星が見えないし、自然の凛とした美しさも消えてしまっている。
でも、私は人工的なビビットの美が好きだった。
…それも、地球からしたらはた迷惑な話かも知れないが。
自分の居るところが遠いせいでぼんやりと滲む光の輪を見て、頭に焼き付ける。
「さて…帰るかぁ」
この丘に一基だけ置かれているベンチから立ち上がって、寒さのせいで縮まった体をぐーっと伸ばす。
そのせいでコートが開いて冷気が隙間から入ってきたが、あまり気にならなかった。
車じゃなくて歩きで来てしまったので、家まではかなり遠い。
さあ歩こう、と一歩踏み出した時だった。
ゴ―――ン
そんなはず無いのに、耳の近くで鐘の音が聞こえた。
かなり大きな鐘なのか、耳がガンガンとして暫く何も聞こえなくなる。
莫大な音圧に酷い頭痛が誘発されて、耳を抑えてしゃがんだ。
ゴ――ン ゴ――ン ゴ――ン……
何回も耳元で鐘の音が鳴る。
何回も何回も、何が起こっているか分からないまま音が脳に直接響く。
「ぅう…、」
頭痛がどんどん酷くなって、意識が朦朧としてきた時だった。
ぴたり、と音が止んだ。
頭痛に耐えようと閉じていた目を開けると、目の前に見慣れたアスファルトは無く、代わりに大理石らしき白の床が見えた。
混乱しながらも、取り敢えず頭痛が収まるのを待ってから周りを見渡すと、木でできた横長の椅子がズラッと並べられている。
もっと周りを見ると、色とりどりの光が差し込むステンドガラスと、大きな大きな鐘があった。
「おや、お祈りをしに来られた方ですか?」
後ろから声を掛けられて振り返ると、神父の服を着た男がいた。
ゴ―――ン
今度は頭痛なんか起きないような、優しい音が聞こえた。
でも、なんだか胸騒ぎがする音だった。