『あら? あなたは誰かしら?』
開口一番に言われた言葉に、私は動揺する事もなく淡々と答える。
『もう、おばあちゃん忘れちゃったの? 私はあなたの孫でしょう?』
『⋯⋯あぁ! そうね、そうだったわ! ごめんなさいねぇ。最近物忘れが激しくて』
困ったものだわぁ。
なんて話しているご老人は常に笑顔をはりつけている。
実の所、私は本当の孫ではない。本当の孫は私の隣で他愛のない話をしながら笑っている友人で、今回はこの子に頼まれてここに来ていた。
それは数日前。
学校で彼女から相談された。
先週末に会いに行ったおばあちゃんの様子が変だったと。
言動に違和感があり、一昨日電話で話した時はしっかりとしていたのに、いきなり痴呆が始まってしまったかの様な言動を取り始めたのだとか。
そこでこの間、美織の事件を解決したと聞き及び、私に相談したという。
とりあえず詳しい状況を聞いた後、私達は互いに帰路につく。
家について直ぐにおばあちゃんの元へ駆け込み、今日受けた相談内容を報告して、見解を聞いてみた。
『それはミシロだねぇ。やり口が奴らそっくりだ。それに、話を聞く限りまだ乗っ取ったばかりで体に定着してないから、明日にでも孫の振りして行ってあげなさい。
ただし、決して自分の名前を言ってはいけないよ。名乗らずに偽物であると突き付けておやり。それからこの鏡に映すんだ、出来るね?』
そう言って渡してきた我が家の家宝の鏡を、丁寧に布で包んで渡してくる。
私は頷くとそれを鞄にしまい、彼女に連絡すると、明日彼女と共におばあちゃんの家へ行く事になった。
それから彼女は会話の中で、昔のおばあちゃんとの差異を指摘し続けた。
その度に言い訳をするが段々とボロが出てくる。
そして、遂に我慢ができなくなっらしいその人は、立ち上がり怒りを露わにする。
『一体なんなんだい? さっきから聞いてりゃ、まるで人を偽物みたいに!』
激昂したその人は顔を真っ赤にしながら怒鳴り声を上げる。
『実際に偽物でしょう? 本物なら分かるはずの事すら分からないのだから』
そう私が返すと尚も苦しい言い訳をしてくる。
『それは、忘れてただけだって言ってるだろう!』
『その言い分が本当に通るとでも思っているの? 普通孫の顔忘れます? 忘れたとしても、思い出したなら分かるはずですよね? 私が⋯⋯本当の孫じゃないって』
私がそう言うと、心底信じられないといった表情でこちらを見つめてくる。
『あなたの名前は形身代。表裏の狭間で揺蕩うモノよ、在るべき場所へと還りなさい!』
そう言いながら鏡にその姿を映した。
耳障りな絶叫と共に歪んだ顔は、少しずつ穏やかな表情に戻り、少しするとそのおばあちゃんは崩れるように倒れていく。
『おばあちゃん!』
友人が咄嗟に受け止め、何度も呼びかけると目を覚まし、穏やかな声で友人の名を呼んでいた。
どうやら私は、上手くやれたようだ。
一安心し鏡を丁寧に布で包むと鞄にしまい、彼女に帰る旨を伝える。
『ありがとう!』
そう言った彼女の表情は穏やかで、霧が晴れたような顔をしていた。
私はおばあちゃんにお邪魔しましたと挨拶をすると、家路についた。
帰ってからおばあちゃんに鏡を返しに行き、その時に事の顛末を話すと、良くやったねぇと言いながら頭を撫でてくれた。
もうこんな事やりたくは無いんだけど⋯⋯友人の頼みだとどうしても断れない。
私は小さくため息を吐くと、自分の気が済むまでおばあちゃんに撫でてもらうのだった。
その日は何の変哲もない、平和な1日になる予定だった。
彼氏と一緒に登校して、授業を受けて、放課後は部活に勤しみ家路につく。
そんな有り触れた日になるはずだったのに、どうして変わってしまったのだろう?
あの日、目の前でクラスメイトが結晶化して、不安だったから別のクラスの彼氏の元に行ったのに⋯⋯彼は既に結晶化していた。
初めは分からなかったけど、友達が説明してくれて、彼からの手紙も読んで⋯⋯堪えきれずに泣きながら、彼だった結晶を抱きしめる。
正直、彼と一緒になれるなら結晶化しても良いって思ってた。でも、結果として私は人のまま⋯⋯彼だった結晶が綺麗な弓に変わっただけだった。
それから友人は何も言わずに寄り添ってくれて、それが少しありがたかった。
しかし、少しすると変な叫び声みたいなのが聞こえて、窓から外を見ると巨大な化け物が現れて、人を食べている。
あまりの光景にへたり込み、荒い呼吸を繰り返すだけで声も出せなかった。
そんな中、彼だった結晶弓を借りたいと言ってきた友人に何とか頷くと、彼女はそれを窓辺で構えて、何も番えていない状態で放つ。
苦しそうに絶叫する化け物達。それから彼女は屋上へ行き、1人で化け物達がこちらに近付いて来ないように戦ってくれた。
そのおかげで、学校内に留まっていた私達は、生き延びることが出来た。
夜は2人で見張りを交代しながら眠る。彼女の手は何度も弓を射ったせいでぼろぼろになっていた。応急処置はしたけど、ちゃんとした物じゃないから余計に心配になる。
それでも⋯⋯朝は必ずやってくる。
治らない傷と前日の疲労で少しふらつく彼女は、それでも一撃で化け物達を撃破していく。
でも、刻一刻と差し迫る友人の限界に⋯⋯私は遂に覚悟する。
『もう限界だよ、その弓を放して?』
静かに言った言葉に首を横に振る友人。
曰く、誰かがやらなければもう生き残れないのだと。
ならそれは貴女じゃなくても良いはずでしょ?
一撃では無理かもしれないけど⋯⋯私だって弓道部なんだ。だから、きっと出来るはず。
彼女は少し心配そうにこちらをみていたけど、最終的には折れてくれた。
私は彼女から結晶弓を受け取り、射の構えをとる。
相手を見据えて、深呼吸しながら心を落ち着けて⋯⋯何も番えずに弓を引くと、少しずつ弓の―――恐らく通常なら矢が番えられている部分からバチバチと音を鳴らしながら矢のような物が姿を現していく。
そして⋯⋯それを放つと、その周辺にいた化け物達が一斉に苦しそうな絶叫を上げて息絶えた。
目覚めるは闘志。
心で芽吹かすのは流水の如し憤怒。
それを見据える先の化け物達へと向け、この手に感じる“君”を思いながら、その日私は友達と生き残るために⋯⋯戦いの日々へと身を投じるのだった。
それは幸せな日々の記憶。
優しく撫でる手。目を細めて笑った顔に、あたたかくてゆったりとした声。
僕にとってあの日々は、今でも鮮明に思い出せる程幸せなものだった。
あの人に出会ったのは、冷たい雨が急に降ってきた日で、ずぶ濡れになりながら近くで雨宿りしていた時―――震える僕に優しく声をかけて、ふわふわのタオルで包んで温めてくれた。
それからその人はよく、その近辺に来てくれるようになり、僕も会えたら挨拶を交わす程度には仲良くなっていたと思う。
それから長い月日をその様に過ごしていく間に、その人は僕をお家に招いてくれ、そこで沢山のものを受け取った。
それは愛情であったり、小さなおもちゃであったりと多種多様で、でも僕にとってはとても新鮮なもの。
あの日から幾年月が経っただろうか?
突然倒れたあの人をずっと待ち続けたけど、結局戻ってくることは無かった。
それでも待ち続けていたある日―――その子はやってきた。
何かを探す素振りをして、私と目が合うと駆けてきて話しかけてきたのだ。
『こんにちは、はじめまして。ここに住んでいたおばあちゃんは覚えてる? 私はその人の孫なの。おばあちゃんに頼まれて、あなたを私の家にお迎えしたいの。良いかな?』
僕に目線を合わせて、ゆっくりと瞬きしながらそう言った彼女に⋯⋯私はなぁおと返事をするとその手に頬を擦り付ける。
懐かしいような違うような⋯⋯そんな匂いがして少し切なくなったけど、僕は大人しくその人についていった。
あれから更に歳を重ねて⋯⋯僕ももう立派なおじいちゃんになった。
あの人の面影のある彼女は、撫で方が違えども話し方と声の感じが似ていて、とても安心する。
あの幸せだった日々は終わってしまったけど、始まったのは不幸ではなく新しい幸福の日々だった。
あぁ、はじめこそ酷いものだったけど⋯⋯案外良い猫生であった。
僕は幸せな思い出と、今も続く幸福を噛み締めながら―――段々と遠くなる意識の中で、なぁおと感謝を伝えて微睡みの淵へと落ちていった。
空はラムネ、綿菓子雲にカルメ焼きの太陽。
海はサイダーで土はチョコクランチ、抹茶味の茎と色別に味の異なる花の植物クッキー。
水はその土地によって、味の異なるフレーバーウォーター。
私の目に映るのは―――とっても可愛いお菓子の世界!
小さい頃に見ていた世界は色褪せていて、全然可愛くないものだった。でも、ある不幸続きの1日に、盛大に階段から落っこちて気絶し⋯⋯目が覚めたらお菓子の世界が広がっていた!
なんとも不可思議で、可愛い世界に興奮した私はお母さんにその事を話すも、何故か脳外科に連れていかれ⋯⋯検査の結果は異常なし。
私の日常は一変し、両親と友人はとても心配そうにしていた。
それでもお菓子が大好きな私は、毎日様々なお菓子に囲まれて、とても幸せに過ごしている。
見上げた空から天気飴。手のひらで受け止めた飴を一口食べれば、広がる控えめな甘さに夢心地。
それを見て怪訝そうな顔で通り過ぎる人々を横目に、私は今日も⋯⋯この素敵な世界で生を謳歌していく!
30XX年3月7日
最後の力を振り絞って、この音声記録を残している。
現在私は深淵の中におり、その調査の為に未だ人類が到達した事のない奥地まで足を踏み入れた。
そこには深く暗い森が広がっており、今まで出会ったことのない新種の深淵生物を発見。
捕獲を試みるも不思議な力でねじ伏せられ我々の方が捕食されてしまった。
私は何とか逃げ出し奴らに見つからないように、息を潜めているが、傷が深く血が止まらずに動くのもままならない状況だ。
だからこれからこの場所へと立ち入るであろう誰かのために、先程遭遇した新種の深淵生物について分かっている事を、私の時間が許す限りで音声記録に残しておく。
新種は恐らく犬型の派生。狐に良く似た形状をしているが、頭部以外に背中と尻尾部分にも顔があり、それは推定5メートル程であれば伸ばすことが出来、我々調査隊の何人かはその伸びてきた顔に食いちぎられた。
次に奴が吠えると不可視の攻撃が来る事。
顔が3つあると前述したが、これらの吠え方には3パターンあり、1つは頭部のみが吠えるもの。
この場合は前方に強い衝撃波がくる。
2つ目は恐らく背中と頭部が同時に吠えるもの。
この場合はかなり距離の離れた味方が一瞬で細切りにされた。
3つ目は全ての顔が同時に吠えるもの。
これが1番厄介で、見えない何かに体を貫かれた。
私も最後の攻撃で、ここまで追い込まれた。
全て一瞬で、何が起きたのかすら理解できなかったが、もしも、これを見つけて、この記録を聞いた後続の調査員が居るのならどうか気をつけて欲しい。
そして、少しでも私の記録が人類の役に立つことを願っている。
クソっもう来たのか⋯⋯何とかこれを⋯⋯――――――。
◇ ◇ ◇
そこは酷く獣臭くもあり、血生臭い場所だった。
妙に落ち葉の溜まった変な地面に、最初は罠を疑ったが⋯⋯あの獣達にそんな知能が備わっているとは思えず、掘り返してみることにした。
そうして見つけたのは、ある先遣調査隊の最後の記録。
死を覚悟し、後を託す為に紡いだ声の記録だった。
私はそのボイスレコーダーをコートのポケットに仕舞い、遠くに聞こえる獣の咆哮に耳を傾ける。
君の意思は私が引き継ごう。どうか今一度、私と共に戦ってくれ。
そう心の中で、見ず知らずのその人に語りかけてから―――私は聞こえた咆哮を頼りに駆け出していく。
両手に武器を⋯⋯この心臓に神炎を宿し、私は咆哮を上げた獣へと突撃する。
頭部が上を向く動作と同時にサイドに避けながら一気に距離を詰めた。
もう一度吠えようとしたのを見計らい、私は左手のショットガンを奴の胴体に放つ。
怯むような声を上げ、獣がノックバックする。その隙に更に距離を詰めて心臓の位置を確認し、右手に握った神炎の槍で―――その獣の心臓へ投擲して貫いた。