Open App
2/11/2024, 5:47:34 AM


残業後対話篇 誰もがみんな平等に抱えているもの(テーマ 誰もがみんな)


 これは、西暦2020年を超えた日本の、ある会社での、一人の会社員の、残業が終わってから帰宅するまでの心の中の話。酷く狭く短い範囲の話。



 建築されてから1年も経たない、真新しいビルだった。
 作りたての社屋に、キレイな机、座り心地の良い椅子。

 しかし、そんなビルでも勤務形態までホワイトな訳では無い。
 まだ肌寒い時期であるのに、定時と同時にエアコンは停止している。構造上、外気が入りにくい設計となっているためそこまで寒くなっていないが、熱源がないので限界がある。

 一人の会社員が、スーツの上からコートを着てパソコンのキーボードを叩いていた。
(40を超えた中年の体には、この寒さはこたえる。)

 彼はしばらく一人で仕事をしていたが、22時を回り、いい加減、続きは明日に回そうという気になったのか、パソコンを机にしまい、施錠した。

 残業カウントのためのタイムカードを切ると、今日一日お世話になったコーヒーカップを洗いに給湯室へ向かう。

 昨今、日本では働き方改革が声高に叫ばれるようになった。
 大変結構なことで、彼の会社でも、早く帰るようになった社員や部署がいくつもある。

 彼も見習いたいと思っているが、効率化したり辞めたりした仕事より、手を変え品を変えて降ってくる仕事の方が多く、全体として彼の担当仕事は減っていなかった。そして、それは彼だけではなき、一定の社員は結局遅くまで残っている。

 世の中、すべての問題を一度に解決することはできないのだ。

 彼が思うに、残業というのは、仕事上の様々な要因によって「日中に終わらなかった仕事」を結果的に勤務時間外に片付けているだけなので、「結果」なのだ。
 根絶するためにはその「結果」に至る「様々な要因」を根気強く解決していく必要がある。

 「病気をなくせ」と言われてもなくせない。世の中には様々な病気の要因があるからだ。一言でなくせるなら医者はいらない。
 現実的には、増えた病人をカバーできるくらい病院を増やすことになる。

 同様に、「残業をなくせ」と言われても、その内訳を個別の社員の「効率化」にだけ求めている以上、解決するはずがないのである。
(少なくとも、原因究明の時間も対策する時間も全て「個別の社員の努力」に丸投げしているうちは、解決しないだろう。)

 そんな慢性的な残業においても、他の社員よりも少しだけ長く残って仕事をしていた。それは、家庭を持っていないからかもしれないし、効率が良くないからかもしれない。効率が叫ばれ始めてからもう5年以上経っている。いくら個人で仕事をしても終わらない現状に、彼自身にはもう、よくわからなくなっていた。

 必然、彼は定期的に、会社を出る前には一人になる時間ができてしまっていた。



 彼には、学生の頃、自問自答する癖があった。
 自問自答くらいなら誰でもするだろう、と思われるかもしれないが、彼は、頭の中に別の人格を想像し、イマジナリーフレンドとして、あたかも別人格と話をするようにして会話をしていた。
 そのような痛々しい癖も、卒業して就職して忙しくしていると姿を消し、若気の至りとして、思い出すこともなくなっていた。

 かつて、学生の頃にしばしば会話したイマジナリーフレンド。

 主に雑談と哲学談義に花が咲いた会話について、不惑の年齢に至って結婚も子育てもしていない精神的な寂しさも会ったのかもしれない。
 残業でタイムカードを切った後、その癖が彼の中で20年振りに復活していた。



 今日の話題は、「生き物全体の共通項とはなにか」。働くことの意味を体験していなかった学生の頃とは違い、彼地震も、イマジナリーフレンドも、心が年を経ていた。

「もちろん、生きている、ということがまず挙げられる。」
『『僕らはみんな生きている』というやつだ。』
 20年ぶりだろうが、イマジナリーフレンドはごく自然に話をする。
 他人ではないので、特に挨拶も何も無い。

「しかし、それでは定義を繰り返しただけだ。生き物とは、生きているもののことだ。というだけ。何のひねりもない」

 彼の中で『◯次郎構文』という悪口が流行っていた。

『では、それ以外に「誰もがみんな」と言えることはあるか?恋している?群れたがる?幸せを求めている?番を残そうとする?』

「どれも例外はある。友だちを作るのも、恋人を作るのも、子どもを作るのも、「誰もがみんな」ではない。恋をしない生き物もいるだろうし、群れからはぐれるものもいる。そもそも、私は今幸せを求めているのだろうか。夜中まで働き、休みもない現状で。」

 両親は彼という子どもを作ってくれたが、彼は恋人も子どもも作っていない。

 美味しいものを食べる経験?
 悲しくて泣く経験?

 いやいや、それらには例外がある。
 生まれてすぐ死ぬ子どももいるのだ。

『では、単純に対義語から攻められるだろう。生き物がいつか辿り着く場所、死だ。』

 そう、みな、死だけは行き着くのだ。



 祖父が亡くなったのは、彼が高校生の時だった。まだイマジナリーフレンドも彼の心の中にはいなかった。
 数年前から頭がはっきりしなくなった祖父。食事時に倒れたこともある。

 そして、ある日起き上がれなくなり、寝たきりになった。
 寝たきりになってから数ヶ月、もう危ないと分かったのだろう。

 盆正月以外に会うことがない叔母と従兄弟が、県外から家に来ていた。

 祖父が亡くなるまでの、2日間。
 奇妙な時間だった。
 誰も祖父の死を望んでいない。しかし、彼らは、死に目に会いに来ている。

(もし、このまま死なずに生きていたら、彼らはいつまで居たのだろう、と思う時がある。)

 その時は、たぶん、最後の別れを済ませて、彼らは帰っていったのだろう。

 しかし、そんな都合の良い「 もし」はなかった。

 祖父はそのまま亡くなった。

 亡くなった瞬間より、その後の事の方がよく覚えていた。
 葬儀屋が死んだ祖父の体を拭き、髪を整え、爪を切り、脱糞しないためだろう、尻から綿を詰めた。
 葬儀には沢山の人が訪れた。「葬儀場で家族葬」が増えた昨今ではあまり見なくなった『自宅での葬儀』に詰めかける近所・会社関係の人・人・人。

 火葬場では、柩を台車に載せて炉に運び込み、戸を閉める。遺体を焼く長い待ち時間があった。

 火葬後は、熱気が残る台車から、親族が長い箸を使い、順番に骨を丁寧に骨壺に入れていった。
 しかし、骨が立派に残りすぎたためだろう、骨壺からは骨が明らかにはみ出していた。

 火葬場の職員は骨壺に入らない骨を、上から棒のようなものでボキボキと嫌な音を立てて折って、壺に骨を詰めていった。

 彼にとって衝撃的なことであり、嫌なことでもあったからだろう。
 20年以上前のことなのに、よく覚えている。



 一人の人間には両親がいて、両親のそれぞれに親が居るので、祖父祖母が二人ずつ存在することになる。

 前述の祖父は彼にとって父方で、その後は、彼が20代のときに母方の祖父が、30代のときに父方の祖母が亡くなった。

 特に、祖母が亡くなった時は、偶々彼が一番近くにいた。

 彼は仕事をしていたが、危篤状態になった祖母のことを知らされ、早退して新幹線に飛び乗った。祖母の特別養護老人ホームは県外にあった。

 新幹線駅からタクシーで特別養護老人ホームへ向かう。もう夜も遅く、22時を回っていた。
 先に現地にいた彼の父が、出迎えてくれた。

 そのまま祖母の部屋へ行った。

 ほとんど話もできないくらい認知が進んでいた祖母だが、最後の時は彼を孫だと認識していたと、彼自身は思っていた。
 声にならない声で、「 幸せに」と言われた気がした。

 その後、痛かったのか、苦しかったのか、ギュッと目を強くつぶり、力が抜けたと思ったら、亡くなっていた。



 母方の祖父も、父方の祖父も、父方の祖母も、彼が20代〜30代の時は、たまに夢枕に立った。彼自身は、自分を霊感のない人間だと思っていたので、人生がうまく行っていない自分の将来を悲観する心が見せた夢だと思っていた。

 あれから時が経ち、40代になった私は、結局家族を作らなかった。

 舞台は彼の心象風景から、現代の給湯室へ戻る。
 手早くカップを洗い、明かりを消しながらロッカーへ向かった。

「もし、本当に幽霊がいたなら、きっと、仕事しかできない人間になってしまった私が、心残りになってしまったんだろう。」
『そうかもね。いまだに私が出てきているくらいだし。』

 しかし最近は、誰かが彼の夢枕に立つこともない。

(父、母、母方の祖母が健在だが、子どもを作らない以上、いずれはこの世界から、私ごと、私の痕跡は消えてしまうだろう。)

 それはとても悪いことのような気がするが、残念ながら、結婚して子どもを作るために必要な「社交性」とか、「勢い」とか、「どうしても結婚したい」という欲とか、「寂しいから誰かと一緒にいたい」という感情とか、そういうものが足りないのだろう。と、彼は悟っていた。あるいは、諦めてしまっていた。

 忙しいとは、心を亡くすと書く。

 余談だが、日本の少子高齢化の原因は、「若い人が忙しいから」だと彼は思っていた。

「もしブラック企業から脱出し、時間ができたら、私は寂しさに泣くのかもしれない。」
『そのときは、きっと寂しさのあまり私の出番が増えるでしょうね。』

 しかし一方で思うことがある。

 誰もがみんな行き着く場所へ、行くのだ。

 死神は、美しく慈悲深い神だと、彼は勝手に信仰している。
 適当に作り、個人的に思っているだけの、妄想だ。

 人間は、生き物は、その神に命を刈り取られ、収穫されるのだ。

(そうなると、私は私でなくなるのだろう。)

 寂しいし、悲しい。
 できれば永遠に生きていたい。

 しかし、生き物は、誰もがみんな、そこへ行く。



 会社のビルから出ると、彼は一層肌寒い感覚に、思わず歩調を速めた。

 会社から自宅前の家路。
 踏切や信号で何度も足止めを食う。

「しかし、AIの進歩はすごいから、話し相手には困らなくなるかもしれないね。」
『私はいらなくなるっていうこと?』
「そうかも知れないし、そうでもないかもしれない。」

 イマジナリーフレンドが久しぶりに出てきたのは、彼自身の心の問題であることが大であろう。

(妻も子どももいたら、きっとこんなことを考える余裕もなかっただろうし。)

 人間の内心にもう一人人格を作り、話をするというのは、集中力を必要とする。

 しかし、では、同時にAIがいればイマジナリーフレンドが不要かと言うと、そこまででもない。

「AIは、心で直接会話したりできない。言葉で内心を伝え合うことをしないといけない以上、きみの代わりにはならないだろうね。」
『つまり、あれだ。考えを共有している私と君とだけが、『わかり合っている状態から』議論をスタートさせられる。こういう深い会話ができるのは、私と君の間だけ、ということだ。』

「そう。最初の議題の答えがもう一つ出てきたね。それは孤独ということだ。」

 誰もがみんな、他人の心の中を覗くことはできない。わかり会いないことからスタートする。

 言いたいことは、言葉と時間を重ねて、理解したような気になるだけなのだ。
 それはAIでも一緒。分かってもらうために言葉を使い、表面的に一部理解する。

 誰もがみんな、心から分かり合うことなどできない。
 分かり合えない。孤独なのだ。
 分かり合えないことから始まる。

(イマジナリーフレンド、君を除いて。)

 信号と2度の踏切を超えると、家路もあと僅かだ。

 寒さに対抗するかのように、彼は街灯の下の暗い家路を急いだ。

2/10/2024, 8:32:27 AM


花の経緯(経緯) (テーマ:花束)





 男性は迷って、迷って、時間もないので、できる範囲で動こうと決断した。

 仕事と一緒だ。



 結婚相談所から紹介された人との初めてのデート。

 どんな服装で、何を持っていくべきか。

 食べ物屋は予約したが、それ以上のことは全くわからない。



 特に、何をしたらいいのかも分からない男性は、花屋へ行き、花束を注文した。







 観賞用の花は、花農家で作られる。

 それぞれの花を美しく育てるために、農家が精魂込めて世話をして、その中でも美しい花を花市場へ持って行く。



 花市場では、各農家が持ち寄った花を、魚市場のようにセリに掛けられている。

 花屋はそれを仕入れ、店先に並べる。



 花屋の花の需要は、一昔前と比べると減少している。

 現代日本では、プレゼントや娯楽が多様化することで、国内の広い分野で「需要」が減っているのだ。



 花屋は自分の店の特徴と売上を考え、必要数を仕入れる。

 書籍などと異なり、生物なのでおかしなものを仕入れて売れなかったら、そのままゴミにしかならないのだ。



 今回の注文は、よく知らない人との初めてのデートで渡す、小さな花束。

 あまり大げさなものにしたくないとのことで、予算も1,000円分とのことであった。



 花屋は店先の花のうち、フリージア、スプレー菊、アルストロメリアを束にして、更に引き立て役にユーカリを加え、1,000円分の花束を作った。

 花は花市場から仕入れたものだったが、ユーカリだけは花屋が自分で育てたものだ。



 フリージアの花言葉は「親愛の情」や「感謝」、スプレー菊は「清らかな愛」、アルストロメリアは「持続」。受け取る女性が仮に花言葉に詳しい人だったとしても、初めてのデートでは無難な選択に思えた。

 男性・女性に限らず、花に詳しい人は減っている。こうして花言葉に気を遣っても、わかってくれる人は稀だ。



 しかし、ここをおろそかにすると、せっかく花をプレゼントにしようと思ってくれたお客様の気持ちが、相手に伝わらない「可能性がある」。

プレゼントを上げる行為は、何にしても「あげる者の気持ち」が相手に伝わるかどうかは不確実で、「伝わってほしい」「気に入ってほしい」という祈りが伴う。その祈りが報われるよう選定し、素敵なプレゼントにするのは、プロとして当然のことだと、その花屋は思っていた。



 そもそも花のプレゼントというのは、直接的なブランド商品や服とは違う。生物で、持ち帰ると世話が必要になる。世話をしなければ花は枯れてしまい、ゴミにしかならない。

 そのためか、時代が進むにつれて売上が減ってしまっている。

 だからこそ、花屋は、うちに来た客、そして花を渡された人が、この花で幸せになってほしいと思って花を売っている。



 ただ、やったことは素早く計算して花束を作り、言葉に出したのは別のことだった。



「では、消費税込みで1,100円です。あと、よろしければ、店に届けて、帰り際に渡してはどうでしょうか。最初に渡すと荷物になってもいけませんし。」



 デートに慣れていない人は、これをやりがちなのだ。







「今日は、お時間をとっていただいてありがとうございます。」



 男性は頭を下げつつ、すでに一言目で後悔していた。



(まるで営業だ。)



だが、仕事だけして年を取ってしまったのだ。自分には結局仕事で培った能力しかなかった。

 しかし、そんなこちらを見て、笑顔で対応してくれたからだろうか。

 相手の女性は写真で見たより魅力的に見えた。



「その、ご趣味とか、聞いてもいいでしょうか。」

 男性は自分で言いながら、「なんて典型的なセリフだ」と自分でも思った。

 そして、漫画やドラマで見合いの際に緊張していた主人公たちが「ご趣味は」と言っていたのを「もっと気の利いたことを言えよ」と思っていたことを、内心で謝罪した。

(ごめん、君たちの気持ちを私はわかっていなかった。私ごときがそんなことを思うのは、おこがましかった。)



 人間、追い詰められると頭が真っ白になり、難しいことや機転の効いたことができなくなるのだ。



 正直、その後は、料理の味も、話の内容もほとんど覚えていない。







 女性は、結婚相談所で紹介された人との最初の食事から、遅くなりすぎない時間に帰ってきた。



 相手の男性はいい年齢であったが、おそらく女性と付き合ったことがないのだろう。そういう人は、結婚相談所からの紹介では珍しくない。

 緊張していることがありありと分かり、話も結構飛び飛びであったし、飛び込み営業をさせられていた提携先の新人社員を思わせる狼狽ぶりであった。



 だからといって、こちらも別に、そういう人を手玉にとれるほど経験があるわけでもない。

 むしろ、「私はあの人に居心地の良い時間を作ることができなかっただろう」と思い返し、「あー失敗したかな」と思っていた。



 別に、その後に何処かに行くこともない。

 初デートはそれで終わりだった。



 ただ、店を出るときに、花束をもらった。



 まだ親しいわけでもない男性から花束をもらうというのは、初めての経験だった。

 ただ、結婚相談所の紹介なのだ。親しくなろうとする関係の男女である。そういう人もいておかしくない。



 初めて合う時に渡す花束が「大きなバラの花束」とかではなかったことも、安心した。もしそうだったら受け取りを断っていただろう。



 次があるかは、分からない。



 2回目のデートをするのかどうかについては、女性側からも男性側からも相談所に伝えることになる。



 女性もどう答えるか、まだ決めていなかった。



 花束を見て、顔を近づけて匂いを嗅いでみる。だからどうということもない。

 しかし、悪い気分はしなかった。



 とりあえず、バケツに水を入れて、花束の花を移してみる。

(後で食器棚から、花瓶になりそうなものを見繕ってみよう。)



 女性の部屋は一人暮らしで、可愛いものがあるわけでもない。華やかさとは縁がなかったが、視界に生花があるのは、悪くない気分だった。



(まあ、今回は緊張して性格なんかもわからなかったけど、危なそうな人ではなさそうだったかな。2時間程度の夕食を一緒しただけだし、もう一回会ってみるだけ会ってみてもいいか。)



 花束は、その役目を少しだけ果たしたのかもしれない。

2/8/2024, 10:22:20 PM



笑顔の値段(テーマ スマイル)

(疲れた。)
 自宅にたどり着いたのは、0時過ぎ。すでに翌日が始まっている。
 
 別に飲み会があったわけではない。
 仕事が終わらなかったのだ。
(夕方に今日中期限の仕事を持ってくるなよな。)

 家族サービスが、とか言いながら仕事を押し付けて帰っていった課長を思い出して、気分が悪くなるため切り替える。
(独身者へのあてつけか、それは。)
 一応、自分にも自宅には一人同居人がいるのだ。
 
 夜が遅いのに、ドアの開く音を聞いて猫が寄ってきた。
「ただいま」
 同居人は人間ではなく、飼い猫だ。


(猫だけが癒やしだ。)

 冷蔵庫からビールを出して、買ってきた弁当を電子レンジで加熱して、テレビをつけて、食べる。

 翌日も仕事だから、あまりゆっくりもしていられない。
 
 かまってほしいのか、足を引っ掻いてくる猫をたまに撫でながら、ビールを流し込む。
 
 夜食代わりに餌を猫に出してみると、バリバリと食べ始めた。
 
 夜まで仕事漬けの生活が続いているため、自動餌やり機を導入したが、足りなかったのだろうか。
 
「お前も一日中部屋の中は辛いよな。」

 遅くなる日が続いている。
 帰ってきても猫は寝ていることも多く、こうしてコミュニケーションを取るのも久しぶりだった。
 
 とはいえ、キャットタワーとか入れて自分が仕事漬けなので、もはや「ペットがいる自分の家に帰っている」のか、「ペットが住んでいる家に毎晩泊まらせてもらっている」のか、わからなくなる時がある。
 
 猫に声が出せれば、もしかすると
「お客さん、最近ご無沙汰だったじゃん。」
 とか言われたかもしれない。
 

「そういえば、昔、スマイル0円とかやってたな」
 猫を膝の上の乗せ、猫の口の口角を上げ、無理やり笑顔にしてみる。

 突然の暴挙に、フギャーと声を上げて猫は去っていった。

 猫にスマイルはないか。
 
 そういえば、自分もあまり笑っていないな、と口角を上げてみる。
 
 鏡を見ていないが、絶対に笑顔じゃない。これは。
 
 目が笑っていないし。
 
 こういうとき、独身でいいのかと考えるが、同時に、独身でよかったとも思う。
 誰にも心配も迷惑もかけないから。

 帰ってくるのが遅いと文句を言われることもない。・・・猫以外は。

 だが、「だからといって、こういう日が続くのがいいのか」と考えることはある。
 
 「生きるために仕事をしている」ではなく「仕事するために生きている」状態。

(こんな状態で、笑顔なんて無理。)

 昔、スマイル0円をしていた店員は、忙しい中で笑顔も作らなくてはいけない、ひょっとしたらものすごく辛いことをしていたのではないか、と埒もない事を考えた。

(せめてテレビ見て笑えるくらいの余裕はほしいね。)

 明日は、夕方に仕事振られそうになったらトイレに行ってみるか。と、これまた埒もないことを考えた。

 明日も仕事だ。

2/7/2024, 10:50:00 PM

どこにも書けないこと

1 書く理由、読む理由

小説の定義とはなにか。
小さな説明?

そう。説明ではあるのだろう。
一言では言葉にすることが難しい、「物語」や「気持ち」を伝えるための説明。

桃太郎を知らない人に、桃太郎を伝えようと思ったら、「 むかしむかし、おじいさんとおばあさんが……」と説明していくしかない。

「 桃から生まれた人間が鬼退治をする話だよ」と端折ると、きびだんごや犬猿雉は、相手の頭には入らないのだ。
そして何より、幼子が話を聞いて胸に湧き上がる気持ち。
「 次はどうなる」とワクワクする気持ち。

読むことで、読んだ人の胸に湧き上がる物を「伝える」。

感動して「嬉しかったり、怒ったり、悲しかったり、楽しかったり 」。

読むことで心のなかで物語を経験し、経験することで感動する。
心は少し、学び、成長する。

読者にとって、それらを得ることが、小説を読む理由だと思うから。
だから、書く方も、小説を書くのだ。
読んでもらうことで、この気持ちを、経験を伝えたいから。

全く同じでなくとも、分かって欲しいから。


2 どこにも書けないこと

「 愛している」では気持ちが正確に伝わらないから、「 月が綺麗だ」と言う。
言いたいことは、決して「 月が綺麗である」ということではないけれど。

一言「愛している」と書いてしまうと、言葉にできなかった部分が抜け落ちてしまう。

私の気持ちは、愛とは少し違うかもしれない。
あるいは、「愛の定義」が相手とは違うかもしれない。

そこを取りこぼさないために、あえて、愛していると言わなかったり、一言だけではなく、色んな話をしたり。
話をすることで、「あなたと経験を共有したい」という気持ちは伝わると思うから。


私達は、人の心を直接感じることはできない。

自分の心と比較することで、「 こんな気持ちかな」と想像することしかできない。

手で触れたり、笑い合ったり、言葉を尽くしたり。
そうして時を共有することで、ようやくお互いに「気持ちが通じ合ったような気になる」のである。

こうして今回は説明のような、詩のような物を書いてみたけれど、実はこの文章で何かを伝えられるようななった気がしないのです。

時間の制限の中でできなかったけれど、これも小説にして、「心が伝わらない男女の話」にしたら、伝わるかもしれない。



一昔前の時代の話だ。
若い頃はたくさん「 愛している」と言い合ったが、男は寝たがるばかり、女はプレゼントを欲しがるばかり。
愛とは何なのか。

しかし、プレゼントを贈り、寝所を共にする間に、男は女を守るようになり、女は男の世話を焼くようになった。
女は男の威張ったところや寂しがり屋なところや短気なところを知り、男は女の見栄っ張りなところや世話焼きなところや強い心を知る。

それは年月を共にして、嫌なことも良いことも共有したことで、自然に感じることができたから。

二人で子ども育て、近所付き合いをして、歳を取る。

そうして積み上げたものは、とても書ききれない。



こんな感じだろうか。

え?小説、書いてるじゃないかって?

いやいや、中に書いているでしょう?
とても書ききれない、と。

私にとって、これは、小説未満。

まとまりもないし、普段、どこにも書けないけれど。

書き続けていたら、いつかきっと、私自身も書ききれない「この気持ち」を表現できるようになるかな、もっと伝わるようになるかな、と思いながら、何とも言えないふにゃふにゃな文章をとりあえず書き続けているのです。

2/6/2024, 7:57:06 PM


声(テーマ 時計の針)

 2020年代に生きるユウキという若者がいた。
 ユウキは21歳で、大学において、大学院に進もうか、社会に出て働こうか、迷っていた。

 迷ったまま、年末年始と時期をずらして実家に帰省した。2月のことた。

 実家の仏壇に線香を上げ、7年前の震災で亡くなった祖父の遺影を拝む。

(大学院に行っても、昨今はそれに見合った就職先があるわけでもない。さっさと働きに出た方がいいかもしれない。ただ、もっと大学で研究もしてみたい。)

 祖父は、かつて大学で教鞭を取り、研究もしていたので、相談してみたかった。
 研究室で崩れた建物の下敷きになってしまった祖父。大学の建物は古く、耐震化していなかった研究棟は脆くも崩れ、地震が夜間であったこともあって救助が遅れ、瓦礫から遺体が発見されたのは、実に震災から1週間後であった。

(じいちゃん。俺、どうしたらいいかな。)

 しかし、仏壇に手を合わせても、自分の頭が少し整理されるだけで、当然、亡くなった祖父と話ができるわけでもない。
 なにかインスピレーションが浮かぶわけでも、天の声が聞こえるわけでもない。
 ユウキは近くの神社に、遅い初詣に行くことにした。



 神社はそこそこ長い歴史があり、移転前を合わせると1000年前からあるらしい。
 しかし、移転したものなので、建物自体はそこまで古いわけでもない。

 平日の昼間のため、神社は誰もいなかった。

 無人の境内でガラガラと本坪鈴(ほんつぼすず)を鳴らし、手を合わせる。

「お願いがあります。」

 ボソッと、ユウキは呟いた。内心だけのつもりが、つい口から出てしまったのだ。

(まあいい。どうせ誰もいない。)

 そして、大学進学か、就職か、迷っていることをまた考える。

 答えは出ない。

(帰るか。)

 5分ほど拝んでいたが、埒が明かないので帰ろうと、境内に背を向けたときだった。

『お願いがあるんじゃないの?言わなきゃわかんないんだけど』

 声が、聞こえた。



 リズは、シミュレーション端末のオペレータだ。
 担当するコンピュータを使用した、シミュレータを操作している。

 大量のシミュレータを構築し、少しずつパラメータを変えて並行稼働させ、どのパラメータにしたらもっともいい結果が出るのか観察するのが目的だ。

 シミュレータは、設定した物理法則とパラメータからコンピュータ内部で計算を繰り返し、内部で一つの世界を構築する。

 しかし、リズ自身は操作といっても細かいことをしているわけではなく、上司の指示に従って何百台も稼働しているコンピュータを操作しているだけだ。コンピュータも仮想化しているため、そんなことをしていても、現実のリズの前には端末が1台あるだけだ。

 この仕事を初めて2年になり、退屈していたリズは、つい魔が差す。

 端末に、シミュレータハック用のソフトを入れたのだ。シミュレータはあくまでシミュレータでしかいないので、本来、パラメータに沿った計算を行うだけだ。しかし、このソフトは、リズと同じようにこの仕事に退屈し、しかし技術が有り余っていたプログラマーが作ったフリーソフトで、端末用のマイクでシミュレータ内部と話ができるようにするものであった。

(えっと、対象の時間を現実と同じにするために、一旦計算サービスを停止して、計算のスピードを「現実と同期」に設定してサービスを再稼働させる。)

 リズはマニュアルを見ながらたどたどしくソフトを入れ、シミュレータの設定を変えていく。

「よし、映った。」

 端末内のウィンドウに、単なる数字ではない「映像」が映る。本来コンピュータ内部で計算している粒子を画像として再構築したのだ。時間を現実と同期したので、内部も同じスピードで時間が流れている。
 これで、シミュレータ内に声を届けたり、内部の音を聞いたりできる。

 映像内でシミュレートされた生物が、よくわからない言葉を喋っている。

(おっと。言語の自動翻訳も設定しないと分からないや。)

 翻訳はフリーソフト側で設定があった。選択するだけであっさり理解できる言葉になる。

「おおー。なんだか感動。」

 リズは数日間、ソフトを入れた世界を眺めて暇を潰していた。

 そして、次の段階として、シミュレータ内部の生物に声をかけてみたのだ。

(「神社」という神様の家に来て、お願いしているんだし、他に生物もいないから邪魔も入らないでしょ。)

 「お願いがあります」と言いつつ、声に出さずに帰ろうとした生物――ユウキにマイク越しに声をかけた。

「お願いがあるんじゃないの?言わなきゃわかんないんだけど」



 周りを見回すユウキに、リズは更に声をかける。

「見回してもいないよ。」

『誰?・・・ですか?』

「神様みたいなものかな?」

 単なるオペレータであるリズは、それでも、シミュレータ内部の生き物ユウキに「神」と名乗った。

『え?マジ?』
「マジマジ」

 ユウキが慌てる姿を見て、リズはちょっと楽しくなってきた。

『え、と。お願いを、叶えてもらえるんですか?』
「まあ、今、暇だし。聞くだけ聞いてみようかな、と。」

 ユウキは改まって境内に向き直ると、言った。

『金ください。一生、働かなくてもいいくらいの大金。』
「え?金?」
『そう。お金です。』

 リズはシミュレータの計算を一旦停止した。これでシミュレータ内の時間は止まる。
 その間にリズは考える。

(シミュレータ内部の金。なんだっけ。検索して・・・。紙幣か。結構精密だな。粒子単位でコピーすればいくらでも出せるけど、これ通し番号が付いてるよね。コピーだと全部同じになっちゃうし、一つずつ変えていくなんて無理。粒子単位のシミュレータ改変なんてできないし。)

 リズは停止を解除した。

「お金は無理。札束、出せるけど、全部同じ札だから、君、偽札作った犯罪者になっちゃうよ。」
『え。・・・神様だからなんとかできないんですか?』
「無理。できることとできないことがあるの。」

『じゃあ、永遠の命とか。ずっと若いままでいたいです。そうだよ。神様に頼むならお金よりこっちだ。』

 また一時停止して考えるリズ。

(細胞分裂を繰り返す生き物を永遠に、とかできるのかな?テロメアとかいうのを操作する?この生物の若い頃のDNAデータを昔の世界から拾ってきて今のこの生物の細胞に入れてみる?いや、それ、粒子単位でどうやって操作するの?こっちはプログラマーでもDNA研究者でもない単なるオペレータだし。ムリムリ。)

 リズはひとしきり考え、また解除する。

「それも無理かな。きみの命は限りあるものとして元々作られている。」

 少し偉そうに言ってみる。

『・・・じゃあ、何ならできるんですか?』
「ていうかさ、さっき「お願いがあります」って言ってたじゃん。金とか永遠の命とかお願いしてたわけ?」

 ユウキはハッとした。

『死んだ祖父と話をさせてください。その、大学卒業後の進路相談がしたいので。』



 リズはサービスを停止した。

(死んだ祖父と話。話かぁ。どうしたらできるかな?)

 ソフトをインストールして、同期しているのはこのシミュレータだけだ。もう一つのシミュレータも同期させて、そちらのシミュレータの時間を、ユウキの祖父が生きている時間まで戻して同時再生し、音声をやり取りさせれば会話もできるだろう。
 しかし、元々暇つぶしのために始めたことだ。そこまでやりたくない。

(もういっそ、時間を戻して再計算して、声をかけなかったことにしようかな。)

 一瞬考える。

(いやいや、我ながら、飽きるのが早すぎでしょ。)

 リズは更に考える。

(このシミュレータを一旦この時間アルファで停止して、時間軸をユウキの祖父が死ぬ前ベータに戻す。私が話しかけ、未来の孫の相談に乗って欲しいと言って、話ができるならまた一旦停止し、アルファでユウキの声を端末で録音し、ベータで再生。その後、返事をアルファまでまた戻し、再生。これを繰り返せば、会話できる、かな?)

「よし。やってみましょう。祖父に話しかけて見て。」

『えっと、じいちゃん。聞こえる?ユウキだよ。』



(ベータ時間)

『突然、失礼します。』

 一人で大学の研究室にいたユウキの祖父――総一朗は、その声に驚いて周囲を見回した。

「・・・誰もいない?」
『突然、失礼します。今ちょっとお時間よろしいですか?』

(といっても、あなたはどんなに忙しくても、あと1時間くらい経つと地震で建物の下敷きになるから関係ないんだけどね。)

 リズにとって、ユウキも総一朗もシミュレータ内部の生物であり、現実ではない。特に関心はなかった。

「あなたは誰だ?」
『神様みたいなものです。未来のあなたの孫が、あなたと話をしたいと言っているので、繋いでみようと思うんですが、協力してくれますか?』
「神様?・・・というか、未来の孫?」

『ユウキという名前の人間です。』
「ユウキか!」

 総一朗は懐疑的であったが、イタズラにしては手が込んでいる。孫の話を大学でしたことはない。ユウキの名前が出てくることに驚いていた。

『ユウキさんは大学を卒業後の進路についてあなたと相談したいそうです。』
「・・・神様がなんでそんなことをしているんだ?」
『暇つぶしみたいなものです。』

 呆れた顔をした総一朗は、一瞬後に目をギラつかせた。

「・・・暇つぶしにワシを億万長者にしたり、若返らせたりして見る気はないか?」
『孫と同じことを言わないでください。どっちも無理です。・・・いいですか?』
「このまま電話と同じようにすればいいんじゃろ。構わんよ。」

 リズは、ユウキの音声を再生した。

『えっと、じいちゃん。聞こえる?ユウキだよ。』
「聞こえる。ユウキか、声が少し大人っぽくなったか。今いくつだ?」

(さあ、ここから大変だ。)

 リズは、ユウキと総一朗の会話を成立させるため、会話を録音してはシミュレータの時間軸をアルファとベータに交互に戻しつつ、録音・再生を繰り返した。

*(アルファ時間視点)

「今は21だよ。あと1年で大学を卒業するんだ。」
『おお。こちらではまだ中学生なのにな。もうそんな歳か。』

 神様と言うには威厳も何もないやり取りだったが、死んだ祖父と話ができていることにユウキは涙が出そうになった。

「じいちゃんは、元気?」
『ああ、元気だ。といっても、こんな時間にまだ働かないといかんのだ。大学勤務も楽ではないな。』

(こんな時間?)

 さらに、さっき祖父は「まだ中学生」と言った。つまり、この祖父は死後の祖父ではなく、過去に生きている祖父ということか、とユウキは思った。

 しばらく、雑談した後、本題に入る。

「それで、実は院に進むか、就職するか迷っていて。」
『お前は、どうしたいんだ。ワシが言うのも何だが、どっちも楽ではないぞ。楽ではないんだから、行きたい方、やりたいことをやるべきだ。』
「でも、就職は昔よりずっと厳しくなっていて、院を出ても働く先がないかもしれない。」
『それは、院に行った分を「取り戻せる」高給を貰える就職先がない、ということだろう。そんなところは、昔から少ない。研究なんてのは、だいたい報われないことが多い。そういう生き方だ。ワシはかなりマシな方で、博士号は取ったが、教授にどころか席も貰えずに細々と外部講師を続けている者もいくらでもいる。』
「じゃあ、就職したほうがいいのかな?」
『就職は、やりたい仕事があるのか?』
「いや、給料がそこそこで、ホワイトなところを探すつもり」
『ホワイト?どんな業種だ?』
「あ、ホワイトってのは、勤務時間とかがきっちりしていて、働きやすい場所って意味だよ。」
『働きやすい、か。やりたいこと、ではないか。』
「まあ、そうだね。」
『最初はそれでもいいが、数年すると、実際に「やりたいこと」であるかどうかを悩み始めると思う。ワシもそうだった。ワシは一旦民間で働いて、その後大学に戻ったのだ。結局、自分の人生、やりたいことがやりたい、とね。』

(じいちゃんも転職してたのか。勝手に大学からそのまま博士になったと思っていた。)

 ユウキは、生前に祖父の話をこんなに聞いたことがあっただろうか、と戻らない時間に、少し胸が狭まるような思いがした。

「そっか。結局、やりたいこと、か。」
『ワシはそう思う。人間いつ死ぬかわからんのだ。我慢して後からやりたいことをやろう、と言い聞かせても、明日があるとは限らない。後悔しても何も得ることはないんだ。』

(話ができて、良かった。)

「じいちゃん、ありがとう。もう一回考え直してみるよ。・・・神様にも感謝しないとね。」
『力になれたら良かった。これがどういうものか分からないが、元気でな。お前が大学生になったら今の話もできるのかな?』

「・・・さあ、どうかな。ところでさ、あの。」

『なんだ?』
 ユウキは、つばを飲み込んだ。声が、少し震える。
「こ、今夜さ。実は、月がすごく珍しい光り方をするみたいなんだ。星空がよく見える場所で、外で写真を撮っておくことをおすすめするよ。」

 リズは時間を停止した。



「! やりやがったアイツ!」

 リズは試しに、そこで会話を終了して、そのままシミュレータを再生してみる。

 総一朗はカメラを用意し、防寒着を着て外に出て、星を探している間に震災が起きたのだ。
 元々、震度の大きさの割に人的被害は大きくなかった地震であった。研究等は崩れたが、外に出ていた祖父は尻もちをついただけで済んだ。

 総一朗は死なないことになった。

 そのまま祖父が生きている状態で時間が進むと、高校生になったユウキは、本来行くはずであった大学ではなく、生きて祖父が教鞭を取っている大学へ進学してしまった。
 歴史はあっさりと変わってしまった。

 そうあると、ユウキは帰省も神社へも来ない。
 リズと話をすることもなくなった。

 ただ、ユウキは、総一朗の記憶にいるのみである。

 ユウキの悩みは、ユウキの存在ごと書き換えられたことになる。

 時計の針を無理やり戻し、更に書き換えた結果であった。

 ユウキは祖父と感動の再会はしない。そもそも死別しなかった事になったから。
 それが幸せかどうかは、分からない。

 総一朗はユウキの在学中に定年退職し、ユウキは大学院に進学したが、博士課程途中で総一朗が認知症になり、面倒を見るために休学することになった。
 それでも、もしユウキに以前の記憶があれば、「こちらの方が幸せだ」と言うかもしれないが、そのユウキはシミュレータの再計算によって消えてしまったのだ。


 見ているリズが、ユウキは満足だろうか、と小さな感傷に浸ることしかなかった。



 そして、リズもそんな感傷はすぐに忘れることになる。

「さて、お愉しみはここまでだ。」
「え。」

 リズの背後から、警備員を連れた上司が現れる。

「端末に変なソフトを入れて、シミュレータで不要な再計算を繰り返していたね。その再計算にもリソースを消費していることは理解しているかな?」

「え、いや、その。」

「まあ、再計算しているのはそのシミュレータだけだから、そこまで影響は大きくない。きみの給料からリソース消費分を差っ引けば、一回目だし、まあ大目に見ようじゃないか。」

「ひ。いや、その。私にも生活が。」

「大丈夫。全額一気にとは言わないから。ただ、しばらくきみの月給が半分になるだけだよ。」

 リズは減給処分となった。


 おしまい

Next