黒佐

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2/22/2024, 11:04:22 AM

太陽のような、太陽のような人。明るい人。
私は太陽も、そのように例えられる人も苦手だ。
遮光のカーテンを閉める。社交を遮る。
そうして私は生きてきた。
しかし、我々人間が日光に当たらなければ、ビタミンDが生成されないのと同じで、人の暖かさに触れないと生まれない何かしらもあると思う。
だから時折カーテンを開ける。
窓を、部屋を、私の窓と心を日の当たる場所に出してみる。
少しは私も、誰かの日に照らされて、明るく見えるだろうか。
いつか月のように、淡くとも少しは光ってみたいものだ。

2/21/2024, 10:13:45 AM

私の人生は比較的下り坂だと思う。
自身の行いが悪かったとはいえども、前半部分に関しては、私何もしてないのでは?と思うような理不尽が多々あった。
よく無能だの零知だのなんだのと罵られたものだ。
言霊だろうか、実際そうなった。
そのうち通知簿にも一や二が並ぶ。
今ではほぼマイナスである。
数字まみれの世界では、数字に弱い人間は生きていくのが難しい。
だからといって、私はなにをするわけでもない。
やる気も零になってしまったから。
しかしなにもしなくても結局日は巡る。
零時零分。
零からまた一日が始まる。
私もまた自分が零の地点から、また今日が始まるを認識して、一から始まる。
今日こそは一ポイントでも徳を積んでやろうか、なんて考えて二度寝をかますのだ。
早起きは三文の徳?
そんなことば知らないな。

「0からの」

2/20/2024, 2:28:43 PM

同情。
もらったところで返せないなら私には必要ない。
与えられたところで現状を変えられないなら、他者にも与えるべきではないだろうとも思う。
こう考えてしまうのは、心に余裕がない「同情される側」の人間だからだろうか。
構ってほしいなら、かわいそうに思ってほしいなら、慰めてほしいなら、きちんと伝えるべきだろう。

というのが私に向けられる同情についての意見だ。
全く同じ情を感じとるなんて器用な真似できる人間はいないのだから、同情なんて無理にしなくてもいいだろう。
同情をしていいのは、心に余裕があって、人に寄り添う覚悟のある者だけだ。
同じ情を背負うとはそういうことじゃないのか、という個人の意見だ。
まあ、細かいことは気にすべきじゃないのだろうけど。

2/19/2024, 10:30:03 AM

枯葉と言われて思い出すのは、実家の近くの道路の桜並木だ。
枯葉と言われ思い出すように、私はソレに良い思いではほぼない。
彼奴ら、いつもこちらを嗤っているような気がして……。
春には花弁をどっさり落とす、夏には毛虫をどっさり落とす、秋には落ち葉をどっさり落としてそれは冬まで(暖かな場所故に葉が落ちるのも遅いのだ)暫く続く。
そして風が吹くとそれらをこちらに押し付けるのだ。それはまるで「掃除してくれよ」とでも言わんばかりに。
こちらは庭の生け垣の椿、山茶花、金木犀の花殻の世話で忙しいってのによ!とでも言っておこう。
勿論、向かいの銀杏の木だってそうだ。
あいつらに至っては実もつけないからな!
まあ木に文句を言ったって仕方がない。
だから私がいつも彼らに言うのは決まってこの言葉だ。
「私が生きてる間くらいは、お前らも生きろ。私も、お前らも、しっかり花実を咲かそうぜ。」

2/19/2024, 7:22:43 AM

今日にさよなら、と言ってもただ「別れた」というだけの気分にならないのはなぜだろうか。
それどころか、「今日にさよなら」と言ってしまうと、そのときの「今日」に存在した全てを、あの日の「今日」に置いてきてしまったような気がしてならない。
眠るのが怖くなる。
昨日の私が消えていく。
下書きのチラシの裏に「今日にさよなら」とだけ綴った私の感情や思考が、今日にはもう存在しないのと同じで、気を絶ち眠りを挟んだ世界は、昨日の私が知ることのない、また新規の世界なんじゃないかと思う。
この数行前の文を綴っていた私の見ていた世界もその感情さえも、今の私はわからない。
昨日のことは知らないけど、こうして生命活動を続けてはいる。そのためにしっかり睡眠も取る。
私は生きるしかないのだから。

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