sairo

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10/3/2025, 9:50:38 AM

「秋だぁ」

赤や黄に色づいた葉を見ながら、少年は呟いた。

「秋だね」

それに答える少女の声は、どこか呆れを滲ませている。

「夏、終わっちゃった」

肩を落とす少年の手には、虫かごと虫取り網。麦わら帽子を被った姿は、夏休みを謳歌する少年そのものだ。
対して、少女は秋色の落ち着いた長袖を着ている。半袖短パンの少年の後ろ姿を見つめる少女の目線はとても冷ややかだ。

「夏なんて、とっくの昔に終わったわよ。さっさと帰ったら?」
「酷い。ねぇちゃんと遊べるの、楽しみにしてたのに」

ぶつぶつと文句を言う少年を一瞥し、少女は背を向ける。
慌てて追いかけてくる少年の気配に、重苦しい溜息を吐いた。

10/2/2025, 9:28:59 AM

気がつけば、夢の続きのように知らない道を一人歩いていた。
立ち止まり、辺りを見渡す。続く一本道には果てが見えず、周囲にまばらに生えた木々の間からは、美しい花畑や泉が見えていた。
いつの間に、と首を傾げる。今は眠っているのか、目覚めているのかはっきりとしない。だがそんなものは些細なことだと思い直して頭を振り、歩き出す。元来気の向くままに歩くのは好きではあったし、何かを考えることには疲れていた。
たまには何も考えずに、旅に出るのも悪くない。道が続くというならば、旅も続ければいいのだ。
我ながら良い思いつきだと笑みが浮かぶ。軽い足取りで、緩やかな下り坂を下っていく。
まるで長く離れていた故郷に帰る心地がして、とても清々しい気持ちだった。



周囲の景色を楽しみながら歩いて行けば、不意に楽しげにはしゃぐ子供の声が聞こえた。
視線を向ければ、泉の周りで子供たちが走り回っている。少年の手を少女が引き、指を差してはその方向へと走っていく。赤とんぼを追いかけ、泉の底を覗き、水を跳ねさせ遊んでいる。少年は少女に振り回されている形ではあるものの、その表情は眉を下げながらも穏やかだ。少し離れた場所では二人の両親らしき男女が、微笑ましげにその様子を見つめていた。

「あら、こんにちは。おじさん」

こちらに気づいた少女が、気軽に声をかけてくる。手を引かれていた少年も、小さく会釈した。

「ここで何をしているんだい?」
「少し疲れちゃったから、休んでいるのよ。先は長いんですもの」
「泉が見たいって言ったんじゃないか。休むなら、父さんたちの所へ行くべきだと思う」
「だってただじっとしているなんて、もったいないわ。ようやく一緒に遊べるようになったのに」

頬を膨らませて少女は言う。一時も離れたくないと少年にしがみつく姿は、必死ではあるもののどこか微笑ましい。長く離れていた二人が、ようやく再会できたのだろう。出会いと別れ、そして再会も旅の楽しみだ。
少女たちに別れを告げ、奥の男女に会釈をしてその場を離れた。



随分と歩いた気もするが、終わりはまだまだ見えてこない。
不思議と疲れはなかった。どこまでも歩いて行けそうな気がして、とても気分がいい。
ふと視線を巡らせれば、一面の赤が目についた。燃えるような彼岸花。その美しさに惹かれて、足を向けた。

そこにはすでに先客がいたようだ。
彼岸花の花畑に座っている女性。よく見ると、その膝に男性が頭を乗せて眠っている。その頭を、女性は優しく撫でながら穏やかに微笑んでいた。

「――何か?」

問いかけられて、不躾に見つめていたことに気づく。

「いえ。特に何かあるという訳ではないのです。大変申し訳ない」

逢い引きの邪魔をしてしまった無礼を詫びると、女性は笑みを浮かべたまま首を振る。

「お気になさらず。見られることには不慣れなものでしたから」

そう言いながら、眠る男性の頭を撫でる。顰めた顔が次第に穏やかになっていく。
大分疲れているようだ。少しも目覚める気配はない。

「私たちは急ぐ必要はないので、こうしてゆっくりと過ごしているのです。積もる話もありましたし、彼には何より休んでほしかったもので」
「そうでしたか。確かに随分とお疲れの様子だ。邪魔をしてしまいましたね」

眠る男性の手が宙を彷徨う。その手を女性は取り、指を絡めて繋いだ。
これ以上二人の時間を邪魔することに申し訳なさを感じ、一礼して暇を告げた。

「穏やかな時間を邪魔してしまい、申し訳ない。それでは」

踵を返す。元の道に戻るため足を踏み出せば、女性の静かな声が引き留めた。

「貴方は、急ぐのですね。それは理由があるからなのですか?」

問われ、振り返る。
女性の真っ直ぐな目を見返しながら、道を急ぐ理由を考える。
考えようとする前に、答えが出てしまっていた。

「広い世界を知る前に、終わってしまった人がいた。先に旅立ってしまったその人に追いつけるとは思えないが、もしかしたらと思いまして……とても優しい人だったもので」

口にして、思い出す。
ここにいる理由。先に進むことの意味。そして道の先に何があるのか。
思い出してしまったら、無性に会いたくなってしまった。

「会えますよ。きっと」

自分の思いを見透かしたように、女性は微笑んだ。

「貴方が会いたいと思うように、その方もきっと会いたいと思ってくれているのでしょうから」

女性の言葉に、根拠などは一つもない。だが彼女の言葉は信じられる。そんな気がした。

「それなら、尚更急がなくては……ありがとうございました」

深々と礼をする。思い出させてくれたこと。信じさせてくれたこと。すべてに感謝を示した。
踵を返す。今度は声をかけられることもなく、元の道へと戻ってきた。
前を見据えて歩き出す。次第に足は速くなり、最後には駆け出した。
もう一度出会えるのならば、何を語ろうか。その前に、待たせてしまったことを謝らなければ。
そしてできることならば、新たな始まりも共にいて、二人で旅の続きがしたい。
気の赴くまま、足の向くままに歩いて、二人で同じ景色を見られたのなら、どんなに幸せだろうか。
次々とやりたいことが、願いが思い浮かぶ。小さな姿を探しながら、坂を駆け下りていく。

遠く、道の脇で小石を積み上げる子供の影が見えた。見慣れた後ろ姿に息を呑み、さらに速度を上げていく。
近づくほど、目線が下がっていく。時計の針が戻るように、子供の姿へと戻っていく。

ようやく、あの日言えなかった言葉が言える。
帰るべき場所に、自分はようやく帰れたのだ。

「ただいまっ!」

石を積み上げる手を止めて振り返るその人に、勢いを殺さず抱きついた。
長かった一人旅は終わる。続く二人旅の予感に、泣きながら笑った。



20250930 『旅は続く』

9/29/2025, 9:46:16 AM

空は黒く厚い雲が広がっている。雲の縁は傾く陽の光を吸って黄色に輝き、雲の間から見える青の色を薄くしていく。
きっとすぐに夜が訪れる。ぼんやりと空を見上げながら思った。
隣で同じように空を見上げる彼女を横目で見た。
口元は緩く微笑んでいるのに、その頬を一筋滴が伝い落ちていく。
訳もなく、胸が苦しくなった。慌てて視線を逸らす。
ふとした瞬間に流れる彼女の涙に気づいたのは、いつからだっただろうか。
声もなく、顔を顰めるでもなく流れ落ちる涙。
一度だけ、その理由を聞いたことがあった。
その時も彼女は穏やかに微笑んで、けれど静かに涙を流して言った。

「癖になってるの。ずっと泣くことでしか伝えられなかったから」

誰に、とは聞けなかった。あまりにも彼女が綺麗に笑うから。
胸を抑え、空を見る。
雲越しの陽が、辺りを黄金色に染め上げている。
燃えてしまう。溶けてしまう。
そんな取り止めのないことを思った。

9/28/2025, 9:14:40 AM

「はいどうぞ」

渡された缶コーヒーは温かく、収まり始めていた涙腺を再び刺激した。
ずび、と鼻を啜る。缶の温もりを抱きしめ、涙を溢す。

「相変わらず、泣き虫さんだねぇ」

くすくすと笑われる。
仕方がないだろう。分かっているというのにあえて指摘するなど、タチが悪い。
涙目で睨みつけながら、缶の蓋を開けた。ぷしゅと音を立てて、コーヒーの苦い香りが漂い始める。

「まあ、いいや。とりあえず、コーヒーが冷めないうちに飲んでしまいなさい。話はそれからにしよう」

そう言われ、おとなしく缶に口をつけた。ほろ苦い味が今の自分のようで、苦さを嚥下しながらまた泣いた。

9/27/2025, 9:26:48 AM

鏡の向こうに、幸せな世界を見た。
姿見に映る自分は眠たげな目をして身支度を整え、その後ろでは彼女が忙しなく準備を整えている。
ありきたりな日々の一コマ。けれどそれが、今は何より煌めいて見える。
爪が食い込むほど強く手を握り締め、唇を噛んで視線を逸らす。
これ以上は見ていたくない。
有り得たかもしれないもしもの世界など、心の傷を抉るだけで、慰めにもならないのだから。

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