sairo

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8/2/2024, 9:39:25 PM

長く続いた雨も終わり、久方ぶりに見る青い空に目を細める。
恵みの雨とはいうものの、雨空が続けばやはり晴れの空が恋しくなるのだろう。贅沢なものだと苦笑して、去っていく黒い龍を見送った。


「雨は過ぎたのか」
「おや、珍しい」

常世の彼の訪れに、何かあったかと首を傾げる。相変わらず眉間の皺が濃いが不機嫌さはなく、どこか困惑したその表情は滅多に見た事がない。

「明日の朝。晴れたのならば、生まれた子に言祝いでやれ」
「何だそれは?そんなの、宮司がやる事だろう」
「先日流れて来た者らがいるだろう?そこの子だ……おそらくは双子となる」

意味が分からない。双子を忌むものとする慣習がある事は知っているが、この村にはないはずだ。外から流れて来た者だという事を踏まえてもだ。
変わらず彼は眉間に皺を寄せたまま。村へと視線を向け、静かに息を吐いた。

「妖が人間として生まれる事は可能だと思うか?」

何を言っているのか。それは常世に在る彼が誰よりも知っているだろうに。

「人間が妖に成る事はあるだろう。鬼、蜘蛛…全ては人間の強い情が転じて成ったものだ……ならば妖が人間として生まれるには、その為に何を転じるというのか」
「そうだね。自らの存在を変えてしまう程の情を妖は持てないから、そんな事はありえないよ」

そういう事か。
彼が現世に来た意味。生まれる子に「おそらく」と言った意味。生まれる子らに言祝げと言った意味。
人間。妖。生きる者。在るモノ。姿は似せれど、決して同一にはならないもの。

明日生まれてくるのは、人と妖だったもの、か。

ならばそれを可能とするのはやはり。

「けれど人が強く望んだとしたら。願い、祈ったとしたら、それはあり得ない事ではないのかもしれないね。妖とは人の望みに応え、在るモノなのだから」
「そうか……本当に恐ろしいな、人間は」

眉間の皺が濃くして納得したように頷くその姿に、思わず笑みが溢れる。気づかれぬようさり気なく視線を逸らし、そのまま何気なしに空を見上げた。

快晴。明日はきっと朝から晴れてくれるだろう。

「初めての事だ。どうなるか分からん。生きるか、死ぬか…人の形を取れるかも怪しい」
「大丈夫さ。明日は晴れの日だからね。しっかりと言祝いであげよう」
「そうだな。頼む…守ってやってくれ。此度の生は、愚かな龍に煩わされる事のないように」

そうか。還ってきたのか。
あの男ならばやりかねない、と耐えきれずに声を上げて笑う。最期の時まで妖を想い、在り続ける事を望んでいたのだから。

「頼まれた。あの二人の為だ。励むとしようかな」

面倒事ではあるが、仕方がない。
強く頷いて、彼らのこれからを祝福した。



20240802 『明日、もし晴れたら』

8/1/2024, 8:31:12 PM

「やめろ!くるな!あっちいけ!」

毛を逆立てて、猫は威嚇する。

「ごめんね。でも仕方がなかったんだ」
「猫が悪いんだろうが。いつまでも我儘言ってんなって」

蜘蛛の片割れは悲しげに眉を下げ、もう片方は呆れたように窘める。
そのどちらの態度も、猫は気に入らなかった。

「猫に何をしたか忘れたのか!本来ならば万死に値する愚行だぞ!」

差し出された手に爪を立て、距離を取る。傷つけてしまった事に心が痛むが、それよりも怒りの方が勝っていた。

「猫は暫し一人になるぞ!決めた。今、決めた。猫は家出をする!せいぜい後悔する事だ!」

高らかに宣言し、蜘蛛らの手が、糸が猫を捕えるよりも疾く、地を駆ける。後悔しろ、と胸中で繰り返し、感情の赴くまま行動する。
振り返る事はなく。呼び止める二人の声は聞こえない振りをした。



一日が過ぎ。三日過ぎ。
七日が過ぎて、猫は少し後悔をしていた。

言い過ぎただろうか。泣いてはいないだろうか。
ちゃんと食べているだろうか。狐や狸に襲われてやしないだろうか。
寂しくはないだろうか。

すでに怒りは鎮まり。今あるのは蜘蛛らに対する心配だけだ。

やはり探しに行こうか。

そうしよう、と頷いて起き上がる。一つ伸びをして、寝ていた木の枝から飛び降り。勘を頼りに駆け出そうとして。


「やっと見つけた」
「ったく、心配かけさせんな」

求めていた二人の声に、迷わずそちらへ飛び込んだ。

「銅藍。瑪瑙。心配したぞ!」
「心配したのはこっちだっつうの!」
「怪我はしてない?」

抱き上げられ、怪我の有無を確認される。無遠慮に撫で回されるがそれすら今は心地よく、喉を鳴らして機嫌良く尾を揺らした。

「ま、俺達も悪かったよ」
「ごめんね。もうしないから」
「そうだぞ。もう二度としないでくれ。あんな、思い出すだけでも恐ろしい…」

あの日を思い出し、思わず毛が逆立つ。宥めるように撫でる二人の手に擦り寄れば、愛おしげに、呆れたように笑われた。

「元はと言えば、猫が悪いんだろうが…泥まみれで百足なんぞを追いかけやがって」
「だからといって、猫を洗おうとする奴があるか!湯に浸けられた、あの時の猫の気持ちが分かるか!?恐怖と絶望で死ぬかと思ったぞ」
「うん、ごめんね。今度からは別の方法を考えるよ」

蜘蛛の言葉に微かに引っ掛かりを感じたものの、まあいいかと思い直す。そもそも猫は恨み深いが単純なのだ。蜘蛛が二度としないと言うならば、それ以上を追求するつもりはなかった。

喉を鳴らし、目を閉じる。蜘蛛がいるのだから、少し眠ってもいいだろう。

「おやすみ、猫」

優しい温もりに、一人ではない事に安心する。
一人というのは今の猫にとって、存外落ち着かないものらしい。

いずれ別れが訪れるというのに、これでは駄目なオヤだな、と。
微睡みの中、蜘蛛のため、猫のために子離れを考えた。



20240801 『だから、一人でいたい。』

7/31/2024, 10:36:52 PM

※ホラー


綺麗だな、と思った。
きらきらと光を反射して、輝く宝石。
欲しいな、と願った。
手に取り見れば、その極彩色の美しさに時を忘れて魅入るだろうか。口にしたならば、味わった事のない極上の甘美な味わいに満たされるのだろうか。

いいな、いいな、と。
閉じた部屋の中。欲しがる気持ちだけが、只管に膨らんだ。



「『差し上げます。あなたにこそ相応しい』だってさ」

机に入っていた小箱を取り出し、添えられていたカードを読む。
相応しいという部分に口元を緩ませ、周りに急かされるように小箱を開けた。

「…何これ?」
「黒い、石?」
「あれじゃね?天然石とかいうやつじゃね?」

小箱の中に入っていたのは、黒く艶やかな丸い石のような何か。少しだけがっかりしながら蓋を閉じ、元通り机の奥に押し込んだ。

予鈴。
慌ただしく散っていく友人達を見ながら。あの小箱の送り主は誰なのかを、ぼんやりと考えていた。





目が覚めた。
自分の部屋ではない。知らない天井。知らないベッド。

ここはどこなのか。

未だ覚醒しきれぬ頭で考えながら、体を起こす。
ベッド。机。本棚。クローゼット。扉。
殺風景な広い部屋。窓はないが、それでも辺りに何があるのか僅かに分かる程度に暗い部屋。
夢か現か曖昧なまま、立ち上がり扉へと歩く。
取手に手を伸ばし。



「まだだめだよ。あのこがいるよ」

口から溢れたのは、自分ではない声。
はっとして口を塞ぎ。混乱した思考のまま、扉に目を向け。

「……ひっ」

扉に張り付いたそれに、息を呑み後ずさる。


周囲を見渡せば、壁に張り付いたそれらと目が合い耐えきれず声を上げようと口を開き。

「だめだよ。あのこがいるよ」

けれども口から溢れるのは、やはり自分のものではない声。
四方のそれらに見下ろされ、逃げるように頭を抱えて蹲った。



「もういいよ。あのこはいったよ」

不意に口から溢れたその言葉に、のろのろと頭を上げて扉を見る。
先程まで張り付いていたそれらは見当たらず。急くように扉に手をかけた。

扉を開ければ、長く続く暗い廊下。恐る恐る足を踏み出し、歩き、そして走り出す。


「きいろのとびらにはいって。そのさきにかいだんがあるよ」

自分のものではない声が囁く。それに従い、黄色の扉に手をかけ開いた。

「すこしまって。あのこがいるよ」

階段の前。声が止まれと忠告する。壁に現れたそれらが、咎めるように見つめてくる。
階下の様子を伺うが、ここからでは何も窺い知る事は出来ない。

あのことは誰の事なのか。それを考える余裕はなく。
早鐘を打つ心臓を抑えるように、深く息を吐いた。


「もういいよ」

声の許可に、音を立てぬよう慎重に階段を降りる。

「おりたらきをつけて。あかるいほうはだめだよ」

あのこがいるから、と声は告げる。
最後の一段を降り、辺りを見渡す。

二股に分かれた廊下。一方は暗く、もう一方は明るい光が漏れて。
誘われるように、明るい方の廊下へ向かう。

「だめだよ」

声が忠告する。左右の壁にそれらが現れるが、それでも足は止まらない。

出口がある。明るい光に浮かぶその場所は、外へと繋がる扉がある。
玄関はここからでも広々としており、例え声のいうあのこがいたとしても逃げながら外へ出る事が出来そうに思えた。


後少し。明るい光に目を細め。
扉の鍵はかかってはいないようだ。取手に手をかければすぐに開いてくれるだろう。

期待に息が弾む。口から溢れる声はもう何も言わず。壁のそれらはただこちらを見つめ。


取手に手をかけ。そして、ゆっくりと。


「だめだよ」

声がした。
自分の口から溢れた声ではない。別の声。

「だめだよ」

取手にかけた手首を掴まれる。
細い手。幼い子供のような。けれどどんなに振り解こうとしても、振り解く事は出来ず。

「大人しくしていて。今度こそはちゃんと綺麗に取って上げるから、ね?」

窘めるような声。視線を向ければ、髪の長い小さな人らしき姿。

「っ…!」

子供のものとは思えぬ程強く腕を引かれ、倒れ込む。
馬乗りになられ、目尻を子供の指が形を確かめるようになぞっていく。
逆光で表情は見えない。しかし長い髪の隙間から覗く黒い瞳は、先程まで見続けていた壁に張り付くそれらとは比べ物にならない程、澱んでいるように見えた。

「怖くないよ。すぐ終わるからね」

動けない。声も出せず、目を逸らす事も出来ず。
近づいてくる銀色の何かをただ見つめ。



不意に、その動きが、止まった。

「えっ、?」

驚いたような。意味を理解していないような。
小さな呟きを最後に、ぼろぼろと体が崩れていき。


「まにあって、よかったね」

口から溢れた誰かの声を最後に、意識がとんだ。






「ありがとう」

礼を言う子供に、首を傾げる。
礼を言われる意味が分からない。何かあっての礼だろうが、特に何かをした記憶はなかった。

まあいいか、と手にした魂魄を飲み込む。
先に取り込んでいた、ここに閉じ込められていた魂魄もあり、だいぶ胎に溜まっている。一度戻った方がいいだろう。

最後に、と目の前の子供に手を差し出す。
きょとりと瞬きを一つして、澄んだ黒の瞳が細くなり一筋涙を流した。

「ありがとう、ここに来てくれて。みんなを連れていってくれて。あのこを……弟を救ってくれて」

首を傾げる。
子供の弟を救った記憶はない。記憶を辿るが、やはりただいつものように、常世に戻らない魂魄を取り込んでいただけだ。


随分と不思議な事を言う子供だと困惑しながらも。
何故か子供を取り込まず、二人手を繋いで歩き出した。



20240731 『澄んだ瞳』

7/29/2024, 10:01:36 PM

祭囃子の笛の音に誘われて。一人初めて外へ飛び出した。
きらきらとした灯りを、賑やかな騒めきを目印に。誰かに見咎められないよう、暗い木々の合間をすり抜け進む。


「……きれい」

そうして離れた場所から、自分の眼で見た祭り《そと》の光景は。
とても鮮やかで、暖かく。宝石のように煌めいていた。
祭囃子の音。楽しげな笑い声。香ばしい香り。
遠くからでも分かる賑やかな雰囲気に、見ているだけでも心が躍る。

もう少しだけ側で見たいと、一歩踏み出した。
ほんの少しだけ、近づけた気がした。


「…誰か、いるのか?」

もう一歩と踏み出しかけた足は、聞こえた誰かの声にそれ以上は進めず。慌てて下がろうと無理に動かしたために縺れてバランスを崩し、無様にも尻餅をつく結果となった。

がさがさと音を立て、誰かが近づく。
目の前の草が揺れて。


「女の子…?」

現れたのは自分と同じ年頃の少年。

「ご、ごめ、なさっ…その、きらきら、してた、からっ…」

早く戻らなければ、怒られてしまう。
そう思うけれど、余計に焦るせいで体は思うように動いてはくれず。

「ねぇ」

そう言ってこちらに向けられた手に、反射的に身をすくめる。
けれど想像した痛みは訪れる事はなく。
優しく頭を撫でられて目を開けると、彼は小さく笑って手を取りそのまま引かれた。

「え?あっ」

急に立ち上がった事で、バランスを崩してふらつく体を支えられる。

「大丈夫?」
「だ、大丈夫…」

初めての事ばかりで、どうすればいいのか分からない。祖母以外の人と話す事も、況してや触れる事もなかった。
混乱し固まる私に、少年は視線を合わせて笑いかけ、躊躇いもなく手を差し出した。

「よくわかんないけどさ。花火が見たいのか?なら、こっち」

手を繋ぎ、歩き出す。
人気の少ない道を選んでいるのか、他の誰かとすれ違う事もない。

「山の近くは滅多に人が来ない割に、花火がよく見えるから」

こちらの歩幅に合わせてゆっくりと歩く少年が何を思っているのか、その表情からは分からない。
村の住人ならば、私の事が分からないはずがないのに。

『村外れの館に住む白い娘に関わってはいけない』

それなのに、何故こうして手を繋いでくれるのだろう。


「何か買ってきてやるから、その間いい子にしててな」

離れた手で優しく頭を撫でられて、お祭りの方へと戻っていく少年を見送って。
一人になって、ようやく落ち着いた気持ちで考える。
今日の事。少年の事。自分の事。
落ち着いていても纏まらない考えに、目を閉じる。

どうして彼は親切にしてくれるのだろう。
どうして彼は私の事を聞かないのだろう。
どうして、何で。
一人で待つこの時間を、寂しいと感じてしまうのだろう。

離れてしまった手が、消えてしまった温もりが恋しい。彼と会ったのはほんの少し前の事なのに、離れる事が寂しくて、一緒にいれる事が嬉しい。
全部初めての事。だから分からない。これからどうしたらいいのか。待っていればいいのか、ここから離れればいいのか。
何も分からない。彼の考えも、自分の気持ちも何一つ。



「……どうして」

小さく呟いた声は、誰にも届く事はない。
俯いて、必死で泣くのを耐えていた。



20240729 『お祭り』

7/28/2024, 10:00:06 PM

ころも様、という占いが流行っているらしい。

交霊術。いわゆる狐狗狸さんの派生。
白い紙に鳥居、はい・いいえ、五十音に数字を書き。
鳥居の上部には水で満たした白い器を置き、硬貨を使用して質問を行う。

ありきたりで、子供騙しの呪い。
関わらなければ害にもならない、ただの噂話。


そのはずだった。





「なん、で、こん、なっ…!」
「話す暇があるなら速く走れ!』

彼女の手を引き、ただ走る。空間が捻れているのか、果てのない廊下の先に思わず舌打ちする。

委員会の仕事を終え、彼女と共に教室に戻るまではいつも通りだった。外から聞こえる部活動に励む声。教室に残る誰かの話す声。いつもと変わらぬ放課後だった。

それが変わったのは教室の前に来た時。どこか覚えのある肌の粟立つ感覚に、扉に手をかけた彼女に声をかけるも一足遅く。
扉が開かれると同時に、周囲から音が消えた。

「え?なに、これ、」
「逃げるよ」

教室の中にいるそれを正しく認識するよりも早く、彼女の手を引き走り出す。
無駄だと思っていたがやはり昇降口は閉ざされ、窓は開かず。
永遠と続く廊下に、走る足を止めずにどうするかと思考する。

己一人であれば、教室にいたあれを喰ってしまえばそれで済む。しかし今は彼女がいる。
彼女を一人置いていけるわけはなし。況してや彼女と共にあれの元へ行けば、あれの巻き散らかす呪いで彼女の気が触れてしまいかねない。

さてどうするかと、彼女を横目で見ながら思案する。
限界が近い。これ以上走る事は無理だろう。

幾度目かの廊下の角を曲がり、階段を駆け降りた先。
目の前の教室を見、後の気配を確認してから入り込む。


自分達の教室。最初に扉を開けた時と殆ど変わらぬ光景。
倒れている三人の少女。机の上の白い紙。白い器。
異なるのは少女達の側で佇んでいたあれがいないことくらいだ。

「も、って、きた?」
「あんまり喋らない方がいいよ」

彼女の背を摩りながら、倒れている少女達の近く、教室の奥へと移動させる。

入り口であれを喰ってしまえば、被害は少ないだろうか。
膝をつき、必死で息を整えながらも離れようとしない手を見つめ、内心で困惑する。
あれの気配はまだ遠いが、時間に余裕があるわけでもなし。どうすれば手が離れるか、とにかく声をかけようと口を開いた視界の隅で水面が揺れた気がした。

視線を向ければ、机の上に置かれた白い器。器を満たした水が、緩やかに揺れて。

ふと、噂になっていた『ころも様』について彼女が話していた内容を思い出す。

ころも様はどんな事でも視えており、何でも知っている神様で。
昔、悪い事をして神社に縛り付けられている為に外に出れず。だからこそ占いの間、外に出してもらえたお礼として質問に答えてくれるのだと。


神社に縛り付けられた、すべてが視える神様。
心当たりが一つだけあった。


「掛まくも畏き御衣黄大神の御前に恐み恐み白さく」

紙に書かれた鳥居に触れ、記憶の片隅から祝詞を引き摺り出し紡ぐ。
様子を伺う彼女を、今は気にかけている余裕はない。

ころも様を呼び出す呪文など知りはしない。ならば不完全であれ、それらしい言葉で呼び掛ければと。
完全な賭けではあった。

「祓え給い清め給えと恐み恐みも白さく」

水面が揺れる。波紋が広がる。

いつの間にか、繋いでいたはずの手が離れ。


あれの気配が近くなり。そして。
扉が軋み、開かれ。


あれの動きが止まった。



「何を惚けておる。さっさと取り込まぬか」

背後から聞こえる、男の声。

「早くせぬか。いつまでも抑えては居れぬぞ」

その言葉に駆け出し、その勢いのままに喰らい付いた。





「さて、娘。我を呼び出した対価を差し出せ」

にやりと笑みを浮かべる神に、思わず眉間に皺が寄る。
面倒くさい。ある程度予測はしていたが、とても面倒な事になりそうだというのが正直な感想だった。

「ナに差し出せバいいノサ」
「…まずはその呪を収めよ。障りが出るだろうが」

無茶を言う。擬きとはいえ、神を喰ったのだ。すぐに消化出来るわけがないだろうに。
仕方なしに口を閉じ、続きを促す。

「我は斯様に縛りがある故、社からは離れられぬ」

四肢に繋がれた縄に触れ、神は言う。

「娘。我の手足となれ」
「断ル。吊り合イが取れナイ」

無茶な対価に、耐えきれず口を出す。慌てて口を閉じるも、今度は何も言われず。

「無論、対価が重いのは承知の事。余剰分は望みに応える事で吊り合いとしよう」

望み。はてさてどれくらいの望みならば応えてくれるというのか。
真に望む事など応えられはしないだろうが。

不意に、かつて呪を施された場所が痛んだような気がした。


「最後の子を助ける術を探しておるのだろう?」

息を呑む。表情が険しくなる。
視える神なのだから不自然ではない。いや、それを対価に出すとは、おそらく最初から知って呼ばれたのだろう。


釈然としないが、まあ仕方がない。
一つ頷いて荷物と、気を失っている彼女を抱えて歩き出す。

「何処へ行く?」

屋上。人差し指を上に向け、伝える。
空間が戻った後のこの状況を、第三者に伝える面倒は避けたかった。倒れていた少女達も死んでいるわけではないのだから問題はないだろう。

「そうか。なれば続きは移動してからにしよう」

戻るのではないのか。
当然の如く付いてくる神に、理解が追いつかない。
そもそもこの場から動けるのだろうか。

「言ったであろう。我の手足となれ、と。娘自身を依代としておるからな」

憑いていくのは当然であろう、と愉しげに笑う神から思わず目を逸らす。
これは本当に面倒な事になったようだ。



20240728 『神様が舞い降りてきて、こう言った。』

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