小さな光の玉がふわふわと落ちてくる。舞雪のようで、それぞれに魂が宿っているらしい。ここは多くの息吹が集う楽園だった。
世界の終わりのようで始まりのような光景。
周りは淡い黄色の花がささやかに揺れ、中央の湖から立ちのぼる霧が幻想的に光を遮断する。
今が昼なのか夜なのか。それさえも分からない。
「娘よ。何を泣く」
腹に響く低音が優しく耳元で囁いた。
「…父さま…」
細い角を持つ獣だった。毛皮は長く上質で自ら発光しているかのよう。
「どうした娘よ」
「お願いです父様、どうかお側において下さい」
娘は静かに身体を預けた。孤独を抱え1人で戦い続けるのは酷く消耗する。
「お前が望むのなら叶わぬことはない。我々はいつでもここにいる」
美しい白銀色の毛がふわりと身体を包む。夢心地のような温かさだった。
「本当ですか」
「お前が望むべくもない」
娘の涙はまた落ちてまぶたが力なく震えた。やがて抗えぬ力で閉じていく。
月明かりもない新月に、黄色の花はまだ夜道を照らし続けていた。
「西の空に崩壊の兆しがある。娘よ。お前が気付かぬ訳ではあるまいね」
毛皮に埋もれるようにして眠りだした人型の娘に、獣の神はそっと語りかけた。まるで精神の奥底に植え付けるように。
「お前は私の成れ果て。ここを離れても足枷のように魂を縛るだろう」
やがてそれは知らず脳に腐食し、絶えず拠り所に枯渇し苦しむだろう。霧の中、彼女は子供のように眠り続けた。
やがて娘は戦鬼のように血なまぐさい生き方しかできなるだろう。だがそれがなんなのだろう。望む通りに。道理などない。娘はただこの世界と並行世界の連結の役目があればよいのだ。
夢が醒める前に
彼女はいつの間にこんなに小さくなったんだろう。
子供の頃は手を繋いであちこち引っ張り回してくれていたのに、今は子供のように肩も腕も小さくて柔らかい。
豊かな髪に隠れたうなじから、優しい洗いたてのリネンの香りが頭の奥まで刺さる。
彼女の腕が絡んできて、そのまま体勢が崩れてしまった。
「離れて」
自分は必死に抗う。
ベッドの上でこれはまずい。彼女と自分の体重を支えるので精いっぱい。まずはなんで彼女が抱き付いてきたのかが分からない。
おかしくなりそうな香りで背筋がぞわぞわする。
「もっと、あなたに触りたいんだもん…」
彼女の返答にふが、と変な息が漏れてしまった。
ますますのしかかってくる彼女の身体の丸っこいこと。雨で冷えた身体にじんわりと染みる。
「最近避けてるでしょ、私のこと」
「避けてない…」
「うそ」
彼女がぎゅうと抱きしめてきた。頬が触れてすごくいい匂いがする。
理性が飛びそうだった。毎日どれだけ彼女に対して抑え込んでるか知らないのだろうか。腹が立つ。
「自分でもよく分からないんだけど…。私じゃだめかな、私じゃ頼りないかな。あなたの側にいたいのよ」
俯いて、ぼそぼそと耳に届く甘い声。
細い腰が当たる。一気に頭に血が登った。
少し前に仲間が言っていた事を思い出す。「あの子は待ってるのよ」とか「不安なんだろうな、なんで安心させてやらないんだ」とか、当時は本当に本当に意味が分からなかったんだ。
今になって一気に燻って、支配欲のようなものがもたげてくる。自分以外に取られてしまいそうだからとか、そんなんじゃない。単なる野性的ななにか。失いたくない。岩場に踏み荒らされそうな花が咲いている。それを毟り取るのは自分ではいけないはずなんだ。
「君は、そんな勘違いししそうなこと、誰にも、特に男には言ったらダメ…だと思う」
「あなたにしか言わないよ、なんでそんな話になるの」
「ダメだよ…ぼく最近おかしいんだ、頼むから離れて!!」
こんなに警告したのに、どうして泣きそうな顔で見上げてくるんだ。息が上がってくる。君のことをめちゃくちゃにしそうで怖い。
「わたしは、離れない」
「なんで…なんで…」
「好きだからよ!なんで分からないの」
強情な唇が、嘘みたいに可愛い。自分の息で彼女の前髪がふわりと浮く。
「知らない、からな…」
急に余裕がなくなって自分じゃないような言葉が出てくる。
身体は冷え切っているのに、不思議な熱が頭の芯を奪っていった。もう熱くて身体中の息が上がっていく。
気が急いて、いいよと言った優しい頬に口づけた。涙の味が少しして、僕らは初めてのキスをする。
息が甘くて、腹がゾクゾクするほど堪らなくてもう一度唇を塞いだ。なんて薬なんだろう。頭がおかしくなりそうだ。
「胸が高鳴る」
人間の連合軍と義理の父親をバックに持つヴィルと、王国側の嫡男をどうしても英雄に仕立て上げたいという大臣の息のかかった次男坊の捨て駒とされたらカノン。
もし2人が人間でなかったとあらかじめ知られていて得をするのはと考えると…答えは人間側なのだ。
「そんなのおかしいでしょうが!!ヴィルもカノンも、なんで疑問に思わないの!」
魔界と連絡手段を持てるシーナが水鏡を持ってきた途端に飛び出てきたのは、かんかんになって怒るミレーヌだった。
「だいたいね、もう10年だよ!?」
「15年な」
隣で変なこだわりを持って突っ込むのはカノンに付いてきた黒髪の剣士ギールスだ。
彼女はそれには突っかからずに、小さな弟に向けるように人差し指を空に立ててぷんすか怒ってみせる。
「おかしいと思わないの!あなた達が争う理由なんかないの。まおーぐんだか魔界の大王だか知らないけどその議会に私も連れてってよ、子供を巻き込むなって!」
なんだか彼女はやたらオーバーヒートしている。幼馴染の男2人は知らず一緒にげっそりとする。彼女怒り出すとしつこいのだ。カノンもヴィルも嫌というほど知っている…。
やがて水鏡の向こうでティーエやシーナの静止するような声がする。
うそだろ…!!と思っているうちに、まるで扉を割るようにミレーヌが鏡を破ってこちらの世界に飛び出してきた。
不条理
カノンが村に帰って来てからというもの、明らかに土壌が良くなった。
彼自身が精力的に開拓をしたのもあるが、土地を守る精霊たちに受け入れられるほどに、罪を赦されていた証だ。
彼自身には、何のいわれもないのだけれど。
考えたら当たり前だ、彼は物心つく前からこの村にいたのだから。
ミレーヌは不憫に思いながら毎日騎士見習い達や、オーガやスピリッツ、ホビット達と汗をかいて土だらけになって帰って来る彼を出迎える。
あなたはこの村で愛されているよ。誰よりも朝から晩まで働かなくても、みんな見限らないよ。
口で言ってもきっと心の奥底にまでは届かないかもしれない。不安が先立ち、何も言えない。
泣かないよ。
ひらりと枯れ葉が舞い、秋の風を感じる午後だった。
山から降りてくる風は丘をくだり、途中の湖で湿り気を帯びてやってくる。
ここは真冬になっても雪はさほど降らない。
山が雪雲を遮るかたちになり風だけ降りてくる。春や夏にはそれは見事な水量の雪解け水が流れてくるのだ。風土は豊かで気候も穏やか。水源は豊富。
ただ、大陸の奥深くで交通の要所とならなかったため人の出入りが少なく、周辺の小さな村々は、また1つ、また1つと森に消えていく。
少女ミレーヌと開拓団、王国の騎士たちが一次的にだが妥結して村興しを初めて半年。一人の青年が村に帰ってきた。小さな妖精を大切に手でかばいながら。
「ただいま」
「カノン、おかえりなさい」
「あぁ、ティーエも」
カノンの手の中には少し衰弱した幼少期からの友達が居た。
「眩しくて、すぐティーエがいるのバレちゃうんだよね」
「そうだね。よく寝てる…」
彼女は薄い光をまといながらまるで花の蕾のように妖精の羽根に包まれ眠っている。
起きたらすっごい喋るんだろうねと、2人で顔を見合わせる。離れていた半年などなかったかのように。
ミレーヌは彼の文の通りにティーエの寝床を作り、小さな小屋も造っていた。
甲斐甲斐しく長年の親友の世話をするミレーヌを、カノンは勧められた椅子に座って見ている。
彼女はもうすっかり村の女の子だ。
カノンは旅の荷物を解く様子もない。
「もしかしてまたどこか、行っちゃうの?」
お茶のおかわりを持ってきた彼女に即答できないでいる。
「また、春に…僕は異界の穴を封じなきゃいけないから」
「王政からの命令?」
「それはないよ」
ふふ、と笑ってみせるけどミレーヌの顔は晴れない。
自分たちは散々大人たちの都合に振り回された。やっと手に入った呼吸を得るような時間。
「ここにいてカノン」
彼女の頼みは、優しくて残酷だ。
「僕はもう人間じゃないみたい」
だから、人と暮らすことはできない。暗にそう言った。
なのにミレーヌは、ふふ、と笑った。やっと笑ってくれた顔が懐かしくて可愛い。ちょっとカノンが喋れないでいる間に彼女は言った。
「やだわ、私たち、魔族にエルフに妖精に古代人に…人間のほうが珍しいパーティーにいたのに」
彼女は何も怖気づいて無かったのだ。柔らかい腕でカノンの頭を包む。
「ここにいてよ。ここは貴方と私たちの村なんだから」
荷物がどさりと落ちる。
「誰も貴方を傷つけない」
振り払うには温かすぎる。カノンがそっと応えると、ミレーヌはぐいぐいと薄い胸を押しつけるように抱きしめるのだ。
「本当に」
「本当よ」
幼馴染はようやくほっとして、震える大きなため息を漏らした。どちらだったのか。
怖がり