凍りつくような夜だった。
朝から遠方射撃の波を越え、生きているものだけで空と地上から後方を落としながらの逃避行を続けている。
我々を乗せた飛竜は時折り高度を落とし、御者は手綱を引き絞りたたえては持ち直す。何度繰り返しただろう。
数々の条約のうえに組まれた連合軍は、突然何かが合致したらしい。今朝方、連携のとれた波状攻撃を加えてきた。紙面の契約はそれほどまでに確固たるものなのか。
地上の部隊は数を減らし、空を飛ぶ竜騎兵も何匹か撃ち落とされた。それが昼過ぎのことだった。
今は不気味なほどに何もない。追尾や追撃は止んだのか、それとも油断を誘っているのか。疑心暗鬼になり、皆もう何もしゃべらない。
術符の守護の集中力はとっくに限界を超えていた。
零下の中、指先も耳ももう感覚がない。雲の上は無限に続く重苦しささえ感じる満天の空。気流は音を遮断し温度しか感じない。この世界からそのまま息絶えてしまいそうだ。
星が溢れる
長身で野性味溢れる男が横たわっていた。彼の隣に少女は力なく彼に寄り添っている。
赤銅色のむき出しの肩に、森を思わせる黒緑髪に埋もれて、彫り深い顔は見えない。まだ若い。
辺り一面、燻したようないやな匂いが漂っていた。その場にいるだけで皮膚が張る。彼は地獄から巻き上がる炎の渦をその身に受け倒れたのだ。
震える手で彼に触ろうとして、身に付けていた服装が炭化していたのかほろほろとこぼれていく。
身体中の水ぶくれと腫れ上がった皮膚。人体の表面は一気に水分を失ったのだ。
身に付けた貴金属さえも未だ高温を放っている。中身は無事では済まなかった。
「カリオン…」
自分で彼に付けた名前だった。良く働く騎馬戦士だった。
苦しかったろうに、叫び声はほとんど上げずに彼は果てた。
それとも喉と肺が一気に焼かれ何も発声することができなかったのかもしれない。ぞわりと恐怖を感じると共に一気に胃の中のものかせり上がってきた。
嗚咽と共に地面に中身を吐き出す。
自分はなんと傲慢だったのか。大切な部下ひとりさえ守れない。
「すまない、すまない、カリオン…」
涙が溢れて前が見えない。彼の装飾品に水分がじゅうと染みた音がした。
薄く開いた瞳さえも白く濁っていて、閉じてやろうとして動かない固さを思い知る。なんて地獄。
古い石畳に靴音が響いた。振り返ると元凶の男が立っていた。癖のある朱色と金の混じる髪に、上級貴族のような時代錯誤の服装。周囲の空気が一気にぴりつく。
「サ、シェゼ」
「なんだ、随分と大切にしてんだな。子供みたいにグシャグシャに泣いて」
もうひとり、燃やそうか?と嫌な笑顔をする。
「いや!!!やめて、なんでもする!もう、なにもしないで」
動かないと思っていた身体で必死に彼の足元にすがり付く。カリオンをこのままに出来ないと抱えながら。
「へぇ」
「お、お願い」
地面に頭をすり付ける。
もう誰も。この男の反感を買って失うのは避けたい。
サシェゼは、ぐしゃりと娘の頭を鷲掴みにして地面に押し付けた。砂が口に入り顔に付く。
お高く止まっていたお前がここまで従順になるとはね。赤髪の男は至極愉快そうに笑った。
朦朧とした意識のなか、場面は一気にベッドの中に戻った。男の手のひらが首筋をもっと締め上げていくる。
「…っか…」
かすれて出る呼吸はそれだけ。サシェゼは死ぬぎりぎりまでこちらの首を絞めてくるのだ。
そのまま、身体の奥に楔をうち込められた。奴は腹の奥にとてつもない圧迫感を与えながら嘲る言葉を降らす。
「いいなお前。最高だ。いい拾い物をした」
もう何も身を守る術もない。過去の記憶を繰り返し視させられ、この男に蹂躙されていく。誰ももう失いたくない。
安らかな瞳
ところで「安らかな」「瞳」ってへんじゃないですか?
風を切って硬いものが飛んでくる音がした。主である少女剣士より、隣の青年が先に飛来物に気が付いて打ち落とす。
塗装の剥げた地面に落ちたのはこの世界でのコインだった。布に入っている。
「罰当たりな…」
青年がやたら日本人の感性に沿って呟くと、隣の少女がふふ、と笑った。
投げた相手は、繁華街の2階から見下ろしていた。大柄な男が三人。側に商売女を連れている。
「やるよ褒美だ」
金袋を拾ったのは少女だった。中は端金。ずいぶんと軽く見られたものだ。
「うまかったぜお前。また買ってやるよ」
隣に侍らした女がくすくすと笑う。屈辱的だが、青年はもちろん少女も微動だしない。
「毎度」
「もっと今度は愛嬌付けてこいよ」
男たちは何がおかしいのか、朝から酒を食らっているのかゲラゲラと笑っている。
「いくよ」
「はい、なんか言ってますが…あいつら」
「いいんだよ」
少女は金を身衣にしまい荷物を背負い直す。主が言わぬなら自分も何も言うまい。青年も後ろにぴたりと付いて歩き出した。
ずっと隣で
娘の周囲にいくつもの手の平大の金属板が浮かぶ。
テトラと呼ばれる機材は術者の能力に反応して、それぞれが反射し合う性質を利用し、魔力、もしくは念波を増幅させる装置だ。
「いったいどこで手に入れた」
「ケイン。見ていたの」
それには答えずに、装置室のケインは黙ることで続きを促した。
「遠い昔よ。覚えていない」
娘の周囲には強風が流れていた。
黒か紫か分からなくなるほどボロボロな外套に、手入れのされたことのない伸び放題の薄い色素の髪。見た感じでは浮浪者の小僧にしか見えない。
娘はナタを背負って、肩幅ほど足を開いて立っている。
雄々しいというか…少しは嗜みを覚えないのかこいつは…。これでは野生児ではないか。
娘のもとに、背景の透けるスクリーン付きでケインの表情を送る。無表情で落ち窪んだ寝不足な顔が映った。緋色の髪も、距離と揺れる画面ではあまり見えない。体格もいい。なのに頭脳派だから惜しいとよく言われる。意味は分からない。
「覚えていないと?一つ渡すんだ。送れ」
「無理よ。精神を保ってないと消えちゃうもの」
精神…??
古の魔術大陸から出土する産物によく似ている。科学技術と魔術、力学が繁栄した古代の人間にしか扱えないはず…。
キン!!と高い音がした。娘の側に金属片が落ちた。
「今戦闘中!」
ナタを構えた瞬間に、2人の兵士が降り立つ。仲間だ。
大きな掛け声と共に二重の結界が張ったのが分かった。同時にテトラが青緑に輝く。周囲に炎が散った。隣の2人にも反応が伝わっていく。動く度にテトラは増えて確実に周囲を破壊した。
なんなんだ、こいつは…。
遠くで乱闘の様子を見ているケインはぞわりと胸の内をくすぐられた。
興味と恐怖の入り混じった不思議な感覚で、おおよそ天井打ちの科学力を彼女はいとも容易く抜けていく。
もっと知りたい
身体中に回復の緑の光が宿る。
「オレはお前が抵抗するなんて思わなかった。なんで阻害したヤツを守ろうとするんだよ」
紫の悪魔が髪を乱して吠えている。
「耳を貸すな」
隣でギールスが剣を抜いている。
なんでそういう話になるんだよ。
「あの村には子どもがいっぱいいる、壊したらいけなかったんだ」
「それがなんだ!」
「子供は未来なんだよ、なんでヴィルが分からないんだ」
ずっとヴィルの後ろに隠れて、ミレーヌに守ってもらっていたカノンが初めて大声を出した。
「子供?」
怪訝な顔でヴィルは嘲笑う。魔力が増幅され突風との刃となって飛んできた。また傷が増えるけど、それ以上に、ヴィル達親子が歩んできた背景が覗き見えて胸を抉るようだった。
「子供だからなんなんだ。芽は潰すべきだろ」
「確かにヴィルは酷い目に遭ったかもしれないよ。でも子供が残酷な事をさせるのも大人のせいだって、なんで自分で思わないの…」
カノンがただの気弱な少年に戻った。
憎しみが考えることを拒絶している。暴走が俯瞰する目を防いでいるのだ。
空気が揺れる。
長い遠雷がこの世界にまた嵐を呼んでいた。
愛と平和