闇を吸い、青く潤む瞳が美しいと思った。
オレがただ見惚れていると、彼女は小動物のように小首をかしげる。黒髪がさらさらと素肌に落ちていった。
「どうしたんですか。へんですよ、さっきから急に黙ってしまって…」
彼女はまだ男の狂気を知らない。
そのまま何も知らないで居て欲しい理性と、散々に引き裂いてしまいたい葛藤がせめぎ合う。
どうしろって言うんだ…。
恐ろしい激情に耐えきれず息を漏らすと、無垢な指先が額に触れて頬を撫でていく。
「触んな…」
きっと今、オレは肉食獣のような顔をしている。
僅かな光の中、柔らかい肌が白く浮き上がっていた。こちらの牙も知らずに華奢な身体をひねり無防備に仰ぎ見てくる。どんな拷問だよこれは。
お前さんを守らせてくれよ頼むよ。
私は彼のキッチンで覚えたての紅茶の入れ方を実践していた。
沸かし立てのお湯を茶葉を開かせるぐらいひたひたに。
ダージリンの濃い水色が出たら葉を取り除いて、熱いうちにはちみつを。
あの人は甘いのが好きだから。
氷で一気に冷やして、洗ったミントをすこしだけ揉んで乗せる。
淡い黄金色のアイスティのできあがり。氷がカラカラと音を立てる。
「できましたよ」
外仕事から帰ってきた彼に差し出すと、ごくっとひとくち。
「おいし」
良かった。
「あとで出掛けようぜ」
「うん」
「ありがとな」
頬に冷たいキスをされた。
「ほっぺだけですか」
私が挑発するように言うと、年上の彼はにやりと笑った。
「言うようになったじゃん」
グラスを置く音がした。
日焼けした大きな手が頬にふれる。
今日は冷たくて甘いキスだった。
大きな肩にしがみついて、息を細かく吐いていく。内側から熱く一気に破壊されていく。
「もうやめよう苦しいだろ」
気遣う声がさっきよりも切羽詰まってて、私は彼の首を抱き締めた。
「いやです」
怖がりだけど自分で決めたんです。
身体と身体が溶け合って滑らかに落ちていく。こんな優しさを知らなかった。汗で背が冷えて支える腕が熱くて。なんて混乱だろう。
「お前を壊しそうで怖い」
「大丈夫です。壊れませんから」
私達はやっと目線を交わすと、初めてのようなぎこちないキスをした。貴方が怖がるなんて珍しい。
思えば触るのさえ躊躇されてもどかしくて、ずっとやきもきさせられた。私は彼を抱き締める。受け入れたい、怖くないのだと伝えたい。
大学の校内の廊下。
彼から随分と熱っぽい目線で見られているなと気付いた。前はずっと喋っている仲だったのに。最近、顔が合わせづらい。
私は急に照れくさくなって急ぎ足になっていた。
だけど、彼とは足の長さが違う。
わざとらしくないようにちょっと息を荒くしながら逃げたけど、彼にはすぐに追いつかれてしまった。
「なぁ。最近オレのこと避けてないか」
低い声が私を縛る。そのまま壁に追い詰められてしまった。
「避けて、ません…」
そう言うだけで精一杯。
「なんか悪い事したなら教えてくれ。顔も合わせたくないぐらい嫌ならもう…」
「嫌なんかじゃありません! だ、大事な友達です!」
その時の彼の顔をなんと表現しよう。
背が高くて頼りがいがあって。明るくて皆を引っ張る、いつでも眩しいぐらいかっこいい人が…おもちゃを奪われた子供のような傷ついた顔をしたのだ。
「そうかい。友達か。特別に思ってたのはオレだけか…」
「えっ…」
傷ついた子供の顔が急に色気を増してきて困ってしまった。
どういうこと。特別って部分で、胸が潰れるぐらい切なくなった。
「私だって、特別…です」
もう感情が溢れてどうすることもできない。顔が見れないよ。心臓の音がうるさい。
アンドロイドと占い師
人は占い師に道筋を求め、行き先を尋ねる。
うつ向いて占いにやってきた客は、出ていく時にはほっとしたような…負担が和らいだ表情をしている。
人間はなぜ占いにすがるのか。機械である自分には、根本的な所が分からない。
「そうですね…」
彼女は嫌な顔一つせず、言葉を選びながら答えてくれた。
「なぜ自分は生きているのか。どうやって生きていけばいいか。要約するとだいたいこんな感じになりますね」
「重いな…」
「重いですね」
ぞっとして感想を述べると、彼女は拍子抜けするぐらい柔かな笑みを浮かべていた。
んなもん、自分で決めろよと思うのだが。
「宗教であったり、国であったり…生きるのに精一杯な時もあれば、悲しみや空しさに潰される時も多い。人は、すがるものが欲しいんです」
「人間は大変だな。オレにはわからん」
「そうですね。だから何のために生まれて、何のために生きるのかはっきりとしている貴方は、たまにちょっと…羨ましいですね」
「オレがか」
「はい」
「めでたいなそりゃ」
「そうかもしれません」
不思議な不思議な感覚だった。
いつか追い付くから。どうか置いていかないでそばにいて。祈ったのはどちらだったのだろう。
穏やかな午後がもう少し続きますように。