毎日、日常生活を過ごす上で誰もが必ず見るし、それを欠くことはできないと思うのは鏡だろうと思う。
なぜかというと、例えば
メイクする時。
スキンケアをする時。
歯磨きをする時。
髪を整える時。
服を見繕う時。
自分という"外見"を自分で見ようと思ったなら、鏡が必要だからだ。
私はいつも、鏡の向こう側にいる自分に対して話しかけることがある。ただし、それは自分ではなく、他人に向けて何を伝えたいかを考えている。
そんな風に、シミュレーションすることもある。
鏡の中にいる自分は、少なくとも悲観的ではない。
好意的に捉えてくれている-いや、相手はこんな風に自分を見て欲しい。
そう、これは私の願望がそうさせているんだろうなと客観的に思う。
はたから見ると、鏡にむかって話しかけてる…と奇妙に思われるだろう。しかし、やめられないのだ。
他人とのコミュニケーションは、私にとっては時々難しく、思うようにならず疲れてしまう。だから、時々こうして仮想相手にして密かに練習している。
その練習が成果を出せているかは、それはまた別問題なのだが。
お盆の真っ最中、何を思ったか
母と姉が天井上の引き出しを片付け始めた。
その時の私は料理中で、片付けには加わらなかったが
姉が興奮しながらキッチンまで来たと思ったら、
「見て!へその緒の箱!!」
生家を失った時、後始末のゴタゴタでどこかへいってしまったのかと思っていたものだった。
私達きょうだいの分まできれいに並べてあって
箱のラベルには名前や生年月日だけでなく、体重や生まれた場所ー産院名と取り上げたであろう医師の名前までもが表示されていた。
まだ残っていたんだ、と照れくさいような嬉しさが込み上げて、何とも素敵なサプライズになった。
これは私が「いつまでも捨てられないもの」の中で、最もナンバーワンだろうと思う。
いつか遠い未来、もし私に天寿がきたなら、その時は一緒に持ってゆきたい、私の身体の一部だったモノ。
夜の海、行けるなら行ってみたいと思う
どうせなら新婚旅行先で、ロマンチックな雰囲気で
それが叶うのはいつになるだろうか。
自転車に乗って風を感じる度に、いつも中学時代の通学路のことばかり思い出す。
気温差の激しい春秋の時期には、早朝はいつも濃霧で真っ白でほとんど見えない。学校に着いたら、制服にうっすらと露がついてるのをはたくのがいつものパターンだった。
ただ、濃霧のある日は昼はいつも快晴になることは分かりきっていたので、レインコートや傘を持って行く必要はなかった。
帰りにかち合わせた幼なじみと手を繋きながら漕ぐも、やっぱりバランス崩して2台とも倒れてしまったことも今や笑い話だ。
また、夏はゲリラ豪雨に遭い、雨宿りもしたが、それでも制服はおろか靴に至るまで全身がすでにズブ濡れだった。
道が川のように流れており、自転車を漕ぐのは危険だと思い、そのまま押して歩いた。
途中で帰り道の小学生達とすれ違ったが-夏服では下着も透け見えてしまっているのだが、隠せるものもなく仕方ないと開き直った。
ある時は、危うく車と接触したこともあった。
何メートルかはそのまま並行していたが、車が徐行していたのもあり、怪我もなく無事だった。
後になって身震いが止まらず、保健室でただじっと収まるのを待っていた。
九死に一生を得たのはこの時だったかもしれない。
それから卒業を目前にして、今度はアイスバーンで車輪が滑ってしまい、転けた。ペダルで傷付いたのか、膝が切れて血が出ている。
自転車のカゴはぐじゃりと曲がり、ハンドルもまっすぐには直らない。どうしようかと呆然と突っ立っていると、幼なじみが後から来て止まってくれた。
「どうしたん? 血ィ出てるけど」
「コケてん。てか、チャリどうしよ…」
当時はガラケーの時代で、中学生が持つのはほんの一握りなほどだった。本当は持ち込み禁止ではあったが、たまたま幼なじみが持ってたおかげで、学校に連絡入れることができた。
膝の怪我は新しく生まれ変わった皮膚になり、その部分だけが薄っすらと白く残っていたが、今では焼けてしまってもうほとんど分からなくなった。
中学時代はなんと濃い3年間だったか。
通学路だけでも、たくさんの出来事が次から次へと芋づる式に思い出されるのだから。
心の健康。
それは、わたしが、私じゃなくなった時。
いつだって自分の中には、強い芯があった。
けれど、それは柳ではなく、硬く周りからも守られていたのだと、壊れてから初めて気付かされた。
ひとつめ。生家を失った。
これは私の人生の土台が根元から崩されたような、 奇妙な感覚に陥った。それはもう十年経った今も、まだ夢に見るほどポッカリと穴が空いたままだ。
ふたつめ。初めて、身内を喪った。
老いは抗えない。それは理解できてはいても、後悔ばかり残った。もっと、生きてるうちに色々と優しく接したら良かったと。
みっつめ。健康体ではなくなった。
いっぺんに色々なことが起こり過ぎた。元から塵に積もった身体には大きなストレスとなって、ゆっくりと身体が蝕んでゆく。
それでも、最後まで気力だけは持っていた。
忍耐力があるのが自負だった。耐えて耐えて、耐え忍んできた。
しかし、身体はもう既に限界を何度も超えてしまっていた。
気力ももう残り少なくなった時、出先のトイレで溢れ出てくる涙を止められなかった。
結果としては、友人の助言によりあと一歩のところで助かった。
それでも、二度と昔のような身体には元には戻らないだろう。今でも薬は手放せず、長い間耐え過ぎたことで、とある臓器も壊れたままになってしまったと思っている。
心の健康とは何か?
身体との結びつきは実はとても強く、堅固だと思う。
身体が先にやられて、どんどん弱くなってくると、どんなに強く持った心まで参ってしまう。
もう二度と、あんなに辛くキツイ思いはしたくないし、しないと決めている。
そのためにはまず「健康第一」であることをモットーにした。それは身体だけではなく、必ず心の声にも耳を傾けることも忘れない。
一番は「自分」を大事にする。時には甘やかしたっていい。それは自分でしかできないことだ。
目指すべきものは、柳。
しなやかに、逆風であってもさらっと受け流す。
または、草花もいいなと思う。
しっかりと地につけ、風に揺られながらも根付いては花咲くのに一生をかけている。
色々なものを失ってきたからには、今の私は私自身の心の健康を守るべく、今日も「さぁ 何しようか?」と自分に問いかけるのだ。