君の奏でる音楽がどんなに綺麗で、誰もがスタンディングオベーションするほど素晴らしいものであっても
残念ながら、私に響くことは一生無いだろう
受信の壊れた聴覚では、それは音楽ですらならない、ただのガラクタな代物に変えられてしまう
けれど、それほど落胆はしていない
また来世で会うことが叶うなら
私が聴こえる人であるなら
君と私がどのような関係でも構わない
魂がその事に未練が残ってるならば
きっと君の奏でる音楽に、心震わせるだろう
これは来世への課題に残しておくから。
麦わら帽子というと、今や日本だけでなく
世界中が一斉に通じるだろうと思うのは
「ONE PIECE」
「麦わらのルフィ!」
ファッション用語では、麦わら帽子のことを
ストローハット、またはカンカン帽と言うらしい。
(正確には形も違うのだが)
しかし、二次元などではなく、麦わら帽子が最もよく似合うのは小さな女の子だと私はそう思う。
真夏のワンピース。
小さい子の頭に合わせた、小さな麦わら帽子。
ひまわり畑の中にいたなら、完璧である。
最寄駅が終点にある電車で座れた時は、帰り途で最も嬉しい瞬間だと思う。
乗り過ごす心配もなく、心置きなくうたた寝もできるチャンスが持てるからだ。
やがて宵の口になるにつれて、車窓からの眺めがより一層美しく感じる。
そうして終点に着く頃には、もうすっかり夜の空間に変わっていた。
ほんの少しだけタイムワープしたかのような、そんな不思議でなんともいえない感覚にとらわれるような-でもその哀愁の漂うこの時間が好きなのだ。
またいつか、どこかへ引っ越しすることがあったら、次の場所も終点にある駅だといいな。
ひっそりと決意するのだった。
上手くいかなくたっていい
初めては誰も一発で出来ることは何もない。
たくさん練習して、コツを自分で掴んで
トライ&エラーを繰り返して…
初めの頃は時間がすごくかかっていたのが
そのうち慣れてきて、時間短縮もできた。
産まれたばかりの赤ちゃんも
育児が初めての人も、
習い事が初めての人も
新社会人のみんなも大丈夫。
みんな同じスタートラインに立ってたんだから
自分を信じて、まずは目の前のことを一つ一つずつ
それは慎重に、時には大胆に、確実に進めていこう。
蝶よ花よと育てられた子は、とても自己肯定感が高いのではないかと思う。
充分に愛されていると分かっているからこそ、素直に我儘も言えるし、なんなら不機嫌そうにしたって構わないとさえ思ってるのではないか。
子どもは、大人達をよく観察している。
大人達から子どもへの接し方によっては、目の前にいるこの人は大丈夫か?どう表現すればいいのか?
そんなことを本能的に瞬時に判断してるのではないかと、子ども達を見ていて感心してしまう。
私もあくまでも傍観者に過ぎないからそう見えるだけで、当事者の大人達は我が子に翻弄されて大変かもしれない。
それもまた親としての試練なんだろうな、と陰ながら応援したくなる。
しかし、子どもというの存在はなんて可愛いのか。
言っておくが、顔の造りは関係ない。
ふわっと優しく微笑むその笑顔に、つやっとしてむちむちとしたフォルムにやられるのだ。
あぁ、今が一番可愛い。
この時を一瞬たりとも見逃したくはない。
全ての子ども達が、
蝶よ花よと、のびのびと育ちますように。
これが私からの一生の願いである。