夢をみるのはなぜなんだろう。
夢をみるのは、現実世界で起きた出来事を整理するため、という説がある。
現実世界でやってしまった、ばかな失敗が、夢にも出てきたら、うんざりしてしまう。
わたしってなんでこんなダメ人間なんだろう。夢のなかでも思い知らされる。
誤りが一切なく、万事順調に進んでいったらいいのに。そう思う瞬間もある。
だけど、もしなにもかも順調に進んでいったら、わたしがなにもかも順調にいかなくなってから出会った、大切な人たちにも出会えなかっただろう。
そう思ったら、わたしは”今のわたし”でよかった。
今のわたしは、完璧ではないけれど、だからこそ、この世界のなかで幸せを噛み締めながら生きることができているんだと思う。
悪い夢をみたら、いいことが起こるって誰かから聞いたことがある。
夢の中でも、わたしはダメ人間だと思い知らされたら、わたしはこれから成長していくのびしろがたくさんある人間だと思い直せばいい。
そして、現実世界で、不安と希望が混ざり合った、夢を描く。
その夢は、自在に変形し続けるけれど、信念だけは曲げずに、描き続けていく。
すると、ふとした瞬間に、兆しが光ってみえるときが訪れる。
まだ寒い、しんとした春の日に、昇った朝日が頬をしんわりと温めていくように。優しくて穏やかな兆しだ。
________夜が明けた。___________________________。
夜、床に就く前、暗くなった部屋に、学習机の間接照明が部屋をほんのりと照らしているのをみたときに、なんだか不思議と安心した気持ちになる。
なんでだろうと思っていたけど、急を要す疑問ではないと思って、これまで深く考えてなかった。
けれど、ふとした瞬間にわかった。わたしが2歳くらいのときに買ってもらって読んでいた絵本で、真夜中に少年と猫が部屋を飛び出して冒険に出かけるという話があった。
わたしは気になって、その本を押し入れから見つけ出した。
夜に冒険に出るというのは、子どもにはできないことを、そのときのわたしはなんとなく理解していた。
だからこそ、そのときのわたしにはできないような、ワクワクするとびきりの冒険に憧れたのかもしれない。
真夜中に自分の部屋から冒険が始まるような、非現実的だけど、ワクワクする、そんな想像をしてみる。なんて、素敵なんだろう。
絵本は”想像の世界”を描くことができる。描かれた想像をみて、読み手は実生活のなかで、さらに想像を膨らます。そして、それが現実でも実現されることもしばしばだ。
想像は”無限大の可能性”がある。想像が現実になるという、信じ難い一説もあるが、あながち間違いではないのかもしれない。
せっかくなら、悲しくて涙が溢れてきたときも、楽しくて仕方がないことを想像してみる。
不安に押しつぶされそうになったときも、情熱を携えて希望ある未来を想像してみる。
これを習慣にできるようにしていくと、その習慣が人生になっていく。
うまくいかなくても、一回、またもう一回と信じてやってみたらいい。自分の人生の実験者は自分で、対象者も自分なのだから。
___________________________ふとした瞬間_______。
人生をマラソンに例えてみる。
このマラソンのゴールが遠く遠く離れていても、ゴールがあると分かれば、途中で歩きながらでも走り続けることができる。
ゴールは、最初からどこかわからない。チェックポイントに着くと、次のチェックポイントを示されていて、次はそこへ向かう。
次のチェックポイントにどれだけ早く着くかは、正直どうでもいい。
そのチェックポイントへ向かうまでの過程が大切だ。
早く着いた方がいいのではないかという疑いの気持ちは、今も抱き続けているのだが。
ゴールは、”死”だ。”死”というゴールに向かって、今日も走っている。
どんなに人気者のスターでも、どんなに周囲から嫌われている人でも、なんの違いもなく、同じ”死”に行き着く。
今の自分がどんなに情けなくて役立たずにみえても、行き着く先はみんな同じだと思えば、この苦悩も思いっきり笑い飛ばせる日が来るかもしれない。
このゴールがどんなに離れていても、目と鼻の先にあっても、わたしはゴールに向かってときどき歩きながら走り続ける。
そうやって、今日も一歩踏み出せた。
____________________どんなに離れていても_______。
互いに想い合っていても、いつの間にかどちらかの一方通行の想いになっているような、”不確実な愛”という現象は、これまで生きてきた人類の多くが経験してきた。
”不確実な愛”に終わるくらいなら、ほろ苦い恋で終わってほしかった。愛し合わなければ、こんなに悲しくて辛い気持ちになることはなかったのに。
終わってしまった愛にも、確かに想いが通じた瞬間があった。たとえ、もう想いが通じることはなくても、その事実は変わらない。
終わった愛は、セピア色の思い出の棚に”幸せな記憶”として残しておきたい。そう簡単にいくものでもないんだけどね。
“幸せな記憶”がある程度溜まってきたら、きっとまた新たな恋を始めるための準備も整ってくるはずだ。
____「こっちに恋」「愛にきて」_________________。
“あなた”は、この世界でわたしが関わる人すべてだ。
大好きで、これからもずっといっしょにいたいとお互いに思い合う関係。
仲良くも仲悪くもない、すれ違ったらあいさつするくらいの関係。
すごく仲良かったけど、小さなケンカがきっかけで、もう口を聞かなくなった関係。
なんで、わたしと”あなた”が出会ったんだろう。
なにか理由があるのかな。
大好きが大嫌いになったときは特に、出会わなかったらどうなっていたんだろう、出会わなかった方がよかったのかなと思う。
出会った理由を探し出すとキリがない。
理由がわからないとモヤモヤするけれど、それはきっと今すぐに答えを出すことはできない。
この世界で生きるなかで抱く疑問は、答えがないことがほとんどで、テストを解くのとは180度違う。
見つめる鍋は煮えないように、考えても答えが出ないんだから、一旦考えるのを放棄しよう。
何日か、何年か経ったときにふと、分かるときがくるかもしれないし、一生こないかもしれないけど、きっと人との出会いには、ときには小さく、ときには大きな理由があると思っている。
その理由を探すことだけが、人生において重要なことではない。
今は、わたしが出会えて幸せだと思える”あなた”との時間を大切にして、幸せを感じることが、わたしの人生にとって重要なことだと思うから。
_________________________巡り逢い______________。