一人でみる花はきれいだ。
一人でみる桜は、悲しみと美しさが共存している。
桜の花びらが一枚、また一枚と散っていき、哀愁を漂わせながら、華麗さも感じとることができる。
これに対し、家族や友人とみる花は、また別の気持ちを感じとることができる。
友人3人とわたしのグループチャットで、飲み会の約束をしており、先日飲み会へ行ってきた。
友人に会うことはすごく楽しみなのだが、会う前は少し不安な気持ちになる。
友人と会うときには、毎回思うのだが、気に障ることを言って嫌われるんじゃないかなどと、悪い想像ばかりしてしまう。
改めて、ほんとうにわたしは、面倒くさいなと思う。
そんなことを考えつつ、約束の時間が迫っていた。
少し不安な気持ちで、3分前くらいに集合場所に着き、ちょうど友人からもう着いていると連絡があったので探したが、人が多くてなかなかみつからない。
キョロキョロしていると、友人が急に目の前に友人の一人が現れた。
わたしは、それまでの不安な気持ちが一瞬で吹っ飛んで、友人にハグしながら飛び跳ねて喜んだ。もう二人の友人も来て、そのときもうれしくて気がついたら飛び跳ねていた。
飲み屋に向かう途中で、桜が咲いていた。きれいだねというと、そうだねと返ってくる。
桜をみれたことに加えて、友人と”きれいだと思う気持ちを共有できたこと”がうれしい。
一人で桜をみたときとはまた違う気持ちだと気がつく。
大切な人と、気持ちを共有できることは、とても幸せなことだと思う。
_______フラワー________________________________。
この世界の真ん中には、”ユーモア”があってほしいと思う。
“ユーモア”があれば、小さなことでも、面白おかしく考えられる。
“ユーモア”があれば、日常のちょっとした瞬間にも幸せを感じられる。
“ユーモア”があれば、誰も傷つけずに誰かを笑わすことができる。
新しい地図はまだ真っ白で、早くなにか書いていかないと、みんなに置いてかれる、と焦りそうな気持ちを必死に抑えている。
焦りそうになったときは、深呼吸をしてみる。
これから、”ユーモア”を中心に置いて、真っ白な地図に少しずつ、自分のペースで書き足していこうと思う。
“ユーモア”は、きっとわたしのペースに合わせて、一緒に歩んでくれるはずだ。
________新しい地図_____________________________。
この世界には、わたしの”すきなもの”がたくさん溢れている。
わたしの”すきなもの”は、いろんな種類がある。
わたしの”すきなもの”は、形のある”モノ”だけではない。
“物事に取り組む姿勢”と”モノが大切に受け継がれてきたこと”も、わたしの”すきなもの”に含まれている。
わたしは先日、家族にプレゼントしたら喜びそうな古着をみつけた。
その古着は、”破損部分あり”とラベルに貼ってあり、どこに破損部分があるのか確認しようとした。
しかし、破損部分はみつからず、お店の方にきくと、前開きのボタンが壊れており、修復できなかったため、ボタンをとったのだという。
そして、前開きのボタンがついていたところは、お店の方が縫い直したのだという。
その縫い直しがあまりにもきれいで、もともとそこにボタンがついていたことは、言われるまで気がつかなかった。
また、その破損部分以外、他の破損部分やヨレつきもなく、以前の持ち主に大切に着られていたんだと思った。
前のボタンがついていなくても、全然気にならないし、もともとボタンがあったとは思えないくらいきれいに塗ってあると、思わず少々上から目線のような発言をしてしまったのだが、お店の方は、直した甲斐がありました、と笑ってくれた。
お店の方は、破損部分はあるけどまだ着れる服で、生地もしっかりしているし、もったいないと思って、と話してくれた。
わたしはプレゼントする古着を購入した、というよりは、目の前の古着を通して、お店の方の“物事に取り組む姿勢”がとても素敵だなと思った。
同時に、古着になる前に、この服を着ていた持ち主や、その持ち主に販売したショップ定員、服を作った人、デザインを考えた人…など遡るとたくさんの人が関わっている。
このたくさんの人の想いが走馬灯みたいに頭に流れ込んできて、目の前の古着が存在する軌跡をみた気がした。それだけ、モノが受け継がれるということは、すごいことなんだと思った。
古着ももちろん”すきなもの”だが、古着を通して”モノが大切に受け継がれてきたこと”も、目にはみえないが、わたしの”すきなもの”だ。
この世界には、わたしの”すきなもの”がたくさん溢れている。
それは、素晴らしいことだ。
雨の日のちょっとした晴れ間に、ふと顔を上げたとき、目の前に広がっている”大きくてきれいな七色の虹”のような、そんな”すきなもの”がたくさんあると、どんなときでも、”そこにある幸せ”を見つけられると思う。
_________________________好きだよ_____________。
春の訪れを知らせてくれる花がある。
子どもの頃、学校からの帰り道に、桜のような花が咲いている木を見つけたとき、わたしが「桜だ!」というと友達が「あれは梅の木ってお母さんが言ってたよ」と言った。
そのあと、わたしと友達は、桜と梅は何がどうちがうのかなといっしょに考えたが、「わからないね」という結論を出して、それ以上は考えなかった。
先日、お花見へ行った。最近友達になった、わたしにとってお姉ちゃんみたいな存在の人と、一緒に行った。
お花見へ行った神社には、たくさんの桜のような梅のような花をつけた木があちこちにあった。そのなかの一つの木に近づいて、わたしはふとこれはなんの木なんだろうと思った。
思ったことがそのまま声に出ていたようで、それを聞いた友達が教えてくれた。
「梅は、枝に直接花をつけるけど、桜は枝からニョキッと出た緑色のやつに花をつけるらしいよ。」
「あとね、梅は丸い花びらだけど、桜は花びらに切れ込みがあるんだって」
そう教えてもらい、一緒に目の前の木はなんの木か見てみた。「花が枝に直接ついていて、丸い花びらだから、梅だ!」わたしは友達にいうと、友達は、そうだねと言ってニコッと笑った。
これまでずっと意識していたわけではないか、子どもの頃から疑問に思っていたことがわかって、すっきりしたような爽やかな気持ちになった。
梅か桜の違いを知っていても、学校のテストには出ないし、会社の面接試験でもアピールする機会少ないだろう。
しかし、こういう豆知識は、世界の観測者である”わたし“がかけている”目では見えない透明なメガネ“に、“幸せなレンズ“として、”観測する世界”をより楽しく、わくわくするものに見える魔法をかけてくれるような気がする。
”観測する世界”は変わらないのに、“幸せなレンズ“があればあるほど、幸せを感じられるんだと思った。
実際に、わたしもこの魔法をかけられて、この日から今日まで幸せな気持ちの余韻に浸っている。魔法の効力が続いているともいえる。
豆知識は、小さいようで大きな知識なのである。
わたしにとって、春の訪れを知らせてくれる、梅と桜の見分け方が、その一つである。
_________桜____________________________________。
君と、いっしょにいるだけで幸せなんだよな。
なにか特別なことをしなくても、ただ君といっしょにいるだけでいい。
同じ空間を共有するだけで、魂の波長は自然に合っていく。
ふと、人生の時間は、君と一緒にいられることの喜びを噛み締めていくための時間なのかもしれないと思った。
もしそうだったら、心が折れそうなときも、なんとか乗り越えられそうだって、そう思うから。
__________君と_______________________________ 。