この世界には、わたしの”すきなもの”がたくさん溢れている。
わたしの”すきなもの”は、いろんな種類がある。
わたしの”すきなもの”は、形のある”モノ”だけではない。
“物事に取り組む姿勢”と”モノが大切に受け継がれてきたこと”も、わたしの”すきなもの”に含まれている。
わたしは先日、家族にプレゼントしたら喜びそうな古着をみつけた。
その古着は、”破損部分あり”とラベルに貼ってあり、どこに破損部分があるのか確認しようとした。
しかし、破損部分はみつからず、お店の方にきくと、前開きのボタンが壊れており、修復できなかったため、ボタンをとったのだという。
そして、前開きのボタンがついていたところは、お店の方が縫い直したのだという。
その縫い直しがあまりにもきれいで、もともとそこにボタンがついていたことは、言われるまで気がつかなかった。
また、その破損部分以外、他の破損部分やヨレつきもなく、以前の持ち主に大切に着られていたんだと思った。
前のボタンがついていなくても、全然気にならないし、もともとボタンがあったとは思えないくらいきれいに塗ってあると、思わず少々上から目線のような発言をしてしまったのだが、お店の方は、直した甲斐がありました、と笑ってくれた。
お店の方は、破損部分はあるけどまだ着れる服で、生地もしっかりしているし、もったいないと思って、と話してくれた。
わたしはプレゼントする古着を購入した、というよりは、目の前の古着を通して、お店の方の“物事に取り組む姿勢”がとても素敵だなと思った。
同時に、古着になる前に、この服を着ていた持ち主や、その持ち主に販売したショップ定員、服を作った人、デザインを考えた人…など遡るとたくさんの人が関わっている。
このたくさんの人の想いが走馬灯みたいに頭に流れ込んできて、目の前の古着が存在する軌跡をみた気がした。それだけ、モノが受け継がれるということは、すごいことなんだと思った。
古着ももちろん”すきなもの”だが、古着を通して”モノが大切に受け継がれてきたこと”も、目にはみえないが、わたしの”すきなもの”だ。
この世界には、わたしの”すきなもの”がたくさん溢れている。
それは、素晴らしいことだ。
雨の日のちょっとした晴れ間に、ふと顔を上げたとき、目の前に広がっている”大きくてきれいな七色の虹”のような、そんな”すきなもの”がたくさんあると、どんなときでも、”そこにある幸せ”を見つけられると思う。
_________________________好きだよ_____________。
4/6/2025, 4:47:00 AM